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墓を掘るなら早いほうがいい

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 大きなため息をつき、栄口は阿部の前の席に腰を下ろしました。部員たちが繰り広げる連日のからかいに、かなり辟易気味です。もしこのとんでもないブームが野球部内に留まることなく、学校全体に飛び火したら。……もれなく自分はホモというレッテルを貼られ、高校3年間を過ごすことになるでしょう。水谷に関してはもうホモなのだからどうでもいい。……あれ?水谷ってホモなのか?栄口はふと思い返しました。
 実のところ、この騒動が起きてから水谷と口をきいていません。水谷がなにか話しかけてこようとも、露骨に避けています。ひとりでいてもげんなりするほどなのに、ふたりでいればよりいっそう囃し立てられるからです。そういう自分を身勝手だとは思いませんでした。元はといえばあんな変なことを言った水谷がいけないのです。
 水谷が浮かべる、とても悲しそうな表情は栄口の胸を打ちます。しかし多少の罪悪感は無視しました。しばらくすればきっとみんな忘れてくれる。そのためには今はじっとしているべきだ、というのが栄口の考えでした。
「疲れてるな」
「誰のせいだと思ってんだよ」
「水谷だろ、水谷。」
 部内に噂を広めたのは阿部だというのに、しれっと言い放ちます。
「オレもう勘弁してほしいんだけど……」
「あれだ、人の噂も75日、って言うだろ」
 指を折るまでもなく、頭の中に浮かんだ数字に栄口はがくりと首を垂れました。

 じめじめと床を見ていたのでしっかりと把握はしませんでしたが、ふと阿部が席を立つ気配がしました。行き先を尋ねる余裕はありませんでした。栄口は自分のことで手一杯なのです。
 これから自分はいったいどうしたらいいのだろう。栄口の忍耐力もピークに差し掛かっていましたが、具体的な打開案は見つかりません。おそらく自分が本気でキレれば誰一人としてその冗談を言う人はいなくなる、とは思います。栄口はそんな自分をちょっと想像してみました。
(オレには無理だ……)
 常に活火山の阿部とは違い、栄口は怒り方を知りません。無理もありません、栄口はふつふつと嫌な気分になることはあっても、それを外に出すということはして来ませんでしたから。

 机の下に足が入ってくるのが見え、阿部が戻ってきたものだと栄口は思い、顔を上げました。そして、すぐ逸らしました。
 今いちばん会いたくなかったあいつ、水谷がそこにいたからです。
(う、わ、水谷っ)
 水谷が何か言葉を見つけようとして口をパクパクさせている隙に、栄口はさっさといつものように逃げようとしました。が、水谷に手首を強くつかまれてしまいました。反射的に栄口がその手を振り払うと、急に立ち上がったからでしょう、水谷の座っていた椅子が床に派手な音を立てました。がごーん。まるで水谷の心の中に鳴り響く効果音のようです。一瞬にして7組中の視線を集めることとなってしまったふたり。幸いなことに阿部はまだいません。
 ここは走って逃げるより、場が収まるまで水谷にあわせておこう。これ以上注目されるのが嫌な栄口はそう算段し、改めて水谷と向き合いました。久しぶりすぎてなんだかぎこちなく思えます。
「……この前は変なこと言っちゃってごめん」
(ほんとにな)
「おれ、こういうふうになるなんて、ぜんぜん思ってなくってっ」
 水谷が少し涙声になりつつあったので、栄口はいよいよこの場から立ち去りたくなりました。
「いや、オレはぜんぜん気にしてないから」
 それが嘘だということは水谷にもわかっていました。本当に気にしていなければ、あんなふうに避けられることも無視されることもないでしょう。それより今こういうふうに嘘をつかれるほうがひどくつらい。
「あのっ、さかえぐち」
「……何?」
 これ以上会話をしたくなさそうな栄口を見て、きっとこれからも自分はシカトされ続けるんだろうな……と絶望的な予想をしてしまいます。
 ですから、水谷はこれが最後のチャンスだ、と勘違いしてしまいました。
「おれが栄口を好きなのは、だめ?」
「え」
「……だめ?」
「嫌だ」
 汚いものを見るような目で吐き捨てられた言葉に、ぎゅーっと気持ちが絞られます。ぼろぼろに擦り切れた雑巾みたいな胸のうちとは裏腹に、目からは止まることなく涙がだばだば出てきます。
 そんな水谷を見て、栄口は今までにない感情が芽生えるのを感じました。
(いらいらするのとはなんだかちょっと違う)
 もっとオレのために泣けばいい、なんてどうして思ってしまったんだろう。
 ……これは、イライラでもムカムカでもなく、
(……オレ、むらむらしてんのか)
 そう気づいてしまったら、これ以上水谷と対峙してなんていられませんでした。