墓を掘るなら早いほうがいい
鉄柵から身を乗り出すとおなかの辺りが圧迫されます。水谷はそうすることで自分のつらいつらい気持ちを紛らわせることができるんじゃないかな、なんて馬鹿なことを考えていました。
(あんなとき泣いちゃって、おれホント消えてしまいたい……)
これ以上栄口を困らせるつもりなんてなかったのに、感情に負けてわんわん泣いてしまい、栄口が去った後は自分の机を涙で濡らしました。
水谷は自分の勝手で栄口を困らせてしまっていることに、深く反省していました。しかしどうでしょう、何か行動をするたびにどんどん墓穴は深くなってゆきます。今ではもう、地上の光が見えないくらいまで掘り進んでしまったような気がします。
(栄口にあんなに冷たくされても、なんでかきらいになれないよー……)
あまりの不毛さにまた胸が詰まります。いつの間にかだいぶ上半身が空中にありました。涙がはたはたと落ち、その水滴が見えなくなるのをぼんやり眺めていました。
金属のドアノブを乱暴にひねる音がした後、突然屋上のドアが開け放たれました。こっそり泣いているつもりだったので、水谷は誰かが来てしまったことにとても驚きました。逃げようとした足は空回り、身体がぐらりと宙に吸い込まれます。
これがドラマなら、命からがら栄口が助けてくれる展開です。
ふと思いついた妄想は相変わらず夢見がちで、そんな自分を心の中でせせら笑いました。
「危なっかしいんだよ、おまえは!!」
胴をつかんだ腕、しばらくぶりの口調。図らずとも後ろから抱きとめられ、栄口が安堵の息を吐いたら、水谷はますます涙がこみ上げてきました。あれだけ泣いたのに、身体の中にまだ水分が残っていることが不思議でなりません。
小さく嗚咽を始めた水谷に向き直り、栄口は涙で濡れるその顔をしっかりと目で捉えました。ぐしゃぐしゃなのに、なぜかきれいなのです。伏せられた睫毛はつややかに濡れ、泣き腫らしたまぶたと目じりがほんのり赤く色づいています。
栄口が優しく頭をなでると、その手を追いかけるように水谷のつむじも動きます。
「ん」
鼻をすすった水谷がそんな声を出したものですから、栄口のやわらかいところにぐっと何かがこみ上げました。いやいや、オレこんなときに何考えてんだよ!
「さかえぐち、どうしたの?」
ぎくりとしました。水谷に自分の考えていることなんて読めやしないとわかってはいても、栄口は胸のドキドキが収まりません。
そもそも水谷が飛び降りそうになってるのが悪い。なんだか知らないけど泣いているのが、その泣き顔がかわいいのが悪い。旦那になれだとか好きだとか、よくわからないことをいうのがまた悪い。
……そうやって全部水谷のせいにしてしまえるところがまた悪い。
「……栄口?」
ぐるぐる考え事をしているときに話しかけられると、ああだこうだの自問自答が真っ白になってしまいます。とにかく、不安がる水谷に何か言葉を返さなければなりません。
(マジわかんねー、っていうかオレこういう状況慣れてないし、っていうか……)
水谷が泣き止むような、何か気の利いた……と思いをめぐらせばめぐらすほど、栄口の頭は混乱します。ついにはさっきのセロテープの歌まで流れ出しました。
(セロテープ持ってない?、じゃなくて、セロテープある?、じゃなくて、セロテープセロテープせろてーぷせろてーぷ)
もう、なにがベターで何がベストなのか、手探りすら不可能な栄口は、とりあえず水谷がいちばん言われて喜びそうなことを口にしてしまいました。
「オレと結婚してくれ」
ドラマだ。
栄口にぎゅっと手をつかまれると、冷えた指先へ急に血が通います。むくんでしまった手のひらは感覚がぼやけ、夢か現か把握できません。
「……じゃあ誓いのチューして」
「へ!?」
「けっこん、してくれるんでしょ?」
もうどうにでもなれ、と栄口が腹をくくり、水谷の両肩をつかみます。水谷はすっかりやる気で、目を閉じ、少し上を向いて体勢を整えました。さあ食べてくださいと膳を据えられてしまった栄口が顔を近づけると、水谷のまぶたが自分のそれより薄いことに気づかされます。
(……なんかすこしかわいくね?)
あごを手で捉えたら、水谷のまつげが一瞬ふるえました。頬のあたりにふわりと水谷の熱を感じるのがくすぐったい。あと数センチ、になって栄口は自分だけが目を開けているのはフェアじゃないな、と自分もゆっくり目を伏せます。
さあいよいよと息を呑んだとき、バタバタと屋上のドアがにぎやかに開きました。慌てて振り返ったその先では、見知った野球部員たちがなだれを起こしています。
え?なんで?と原因を探るより早く、阿部がしれっと「ごくろーさん」なんて言うのです。
つまりは、阿部プロデュースで見世物にされていたわけで……。
「あーーーーべーーーー!!」
さすがにこれは、よほどのことでは怒らない栄口も大声を出してしまいました。わなわなと震える栄口のすごみに気押された部員と阿部は、瞬時に屋上から消えました。
屋上にはまた二人だけになりました。栄口は恐ろしくて水谷のほうを向けません。よくよく思い返してみると、自分はとんでもないことを水谷に言い、とんでもないことをしようとしていたのです。焦っていたとはいえ「結婚」だのキスだの、我ながら正気ではないです。
(落ち着け勇人、オレ今すごい勢いで人生踏み外そうとしてた!)
「水谷、さっきのはなかった……」
心の準備が整い振り返った先、すぐ後ろで水谷はもじもじしていました。いつの間にこんなに近くへ移動したのでしょう。びっくりする栄口に、きらりと顔を上げた水谷がトドメを刺しました。
「幸せにしてねっ、栄口」
水谷から額へキスを落とされたら、栄口はへなへなと腰が抜けました。
しりもちをついてしまった栄口にうふっと笑い、水谷もドアの向こうに消えました。予鈴が鳴っているのです。栄口も立ち上がろうとがんばりましたが、なかなか足に力が入りません。きっとこれは水谷の呪いです。キスをされたときに呪いをかけられてしまったのです。
作品名:墓を掘るなら早いほうがいい 作家名:さはら