欲 2
案外すんなりと避けた男が視線をこちらに向ける。
その眼が一瞬俺を見た様な気がして思わず息を詰めてしまうが、男はコチラには気付かないようで安心した。
反対側の林に用意しておいた影を動かし、そちらに視線をやった瞬間自分は地中に潜る。
「誰だ。」
男の声が聞こえ、つい笑いが漏れた。
男は何も怯えてはいない。
今まで出会った武将は見えない敵に対して怯えや焦りを感じ萎縮するのが殆どだったのに、この男はまったく怯えの色がない。
耳を澄ませば、静かにトクトクと規則正しい心音を感じるのではないのかというほど落ち着いた相手に、興奮を覚える。
(この男、強い)
―――誰でしょう?
男への期待感と、高揚した気分に笑みが生まれる。
ヒクリとも動かなくなった事に違和感はあったが、男の脚を勢いよく掴もうと地面から腕を伸ばした。
(____ここだッッ)
だが、掴んだと思った足は手には無く、空気を掴んでいた。
その隙を突かれ、男が刀を振り下ろしたのが視界の端に映った。
「お前・・危ねぇなあッ!!」
降ろされた刀を避けた時に僅かに頬を掠めた。
肉を割いた感触に、相手の男の口元が弧を描く。
その油断を逆手にとって背後に飛び、即座に、棒手裏剣を打つ。
(危ないなぁ、このヒト!)
血液がジワリと着物に滲んでゆく。
出血は多かったが、切り傷事態はそれ程大きなものではない。
その一瞬だった。
「――ハァッ」
すでに棒手裏剣は避けられており、飛ぶように移動していた自分に向い素早い動きで此方に踏み込む男の姿が視界いっぱいに広がった。
利き足で踏みこんでコチラに向けて強烈な突きを繰り出してきた。
「__ッ」
寸でのところで空中へと舞い上がり用意していた大量の苦無を男に向けて放つ。
後少し気づくのが遅かったら腹部に風穴が開いていたかもしれない。
それほどの威力がありそうな突きは、その「風圧でもって周りにいた足軽おも吹き飛ばし失神させている。
「チッ・・・」
見るに、突きの攻撃範囲は左右と正面のみ、効力を発揮し、後方と上空は隙があった。
今の自分がとれる最善の手段は男の間合いよりも高く飛びあがることしかない。
幸い、利き足が地に着いていたので、力を入れれば簡単に高く飛びあがれた。
「見つけられちゃった〜」
飛んだ身体が頂点に達したとき、両手に持てるだけのマキビシを投げる。
そこで地面に着地した足で素早く後ろへと飛び退り、男の間合いから完全に離れることに成功した。
「面倒だなぁ、・・・なぁ、女」
男の顔があまりのも恐ろしいものでンフフフと笑いを洩らしてしまった。
この男の強さは本物だ。
あまり近くに長居をするのは心臓にも身体にも悪い。
害にしかならない。
(困った困った、)
男は中々ドスのきいた顔をした男だった。
強面の顔にどれだけの人間がまともに彼を見返せるだろうか。
面白い男を見つけてしまった。
ヤクザ顔負けのご面相だ。
その御面相が一段と鋭く自分を見てくる。
何なのだと、自分の格好を見下ろすと未だ女のままだった事に思い至る。
初めは覚えていたのだが、途中からすっかり忘れていた。
術を解くのも忘れて強面の男の相手に夢中になっていたのだ。
(女相手にも手加減なしかぁ・・・ホント手強いなぁ、この人)
防具もつけないで戦場に出てくるとはどれだけ自分は焦っていたのか。
体中汚れてボロボロで、初めは綺麗に結われていた髪も、上手く引けたと思った紅も今では自分を滑稽にするだけの道具である。
だが、外見を気にするよりもまずお仕事だ。
「真田忍軍が頭、猿飛佐助。」
位が上の武将であるから一応、お遊びとからかいも含め礼をする。
「貴殿を独眼竜伊達政宗公が家臣、片倉小十郎景綱殿とお見受けいたします。」
乱れた髪を引っ張って結びを解く。
そして、乱雑に傷口から垂れる血を拭い取る。
「女が忍びの頭か・・・・、まぁ、お前なら納得だな」
男の言葉にはあざけりも見下す姿勢も感じられなかった。
正直な言葉なのだろう。
「片倉様は、面白い方ですねぇ」
このヤクザのような男は、実直な男のように思えた、少し真田の旦那や親方様を思い出させるのだ。
真っすぐで融通のきかない戦馬鹿。
そう言えば、この男の主人もいかれてる感じがした。
戦に餓えて、強者を求めて、闘っている時こそ生きてる充実感を味わえる。
そう言う人種に見えた。
この男も同じなのだろう。
「恐れながら、忍びの世界は男も女も関係ございません。力こそが全ての世界故」
なんて贅沢な男なのだろう。
戦も、人殺しも望まなければ幾らでもうまく生きてゆける癖に。
少しでも人を殺さないで生きてゆく方法を選べる癖に。
―――傲慢だ。
自分はなりふり構わず生きるしかないのに。
この脚のように泥に塗れボロボロで血がにじむまで酷使され、傷も癒えず、忍びでなければその平穏な世を与えられ住む事もできただろうに。
「そんな形でテメェの言う「力」は証明できんのか」
今まで何度となく考えても仕方のない思考の闇に囚われて来たか、まぶしい世で生きてゆく事も出来るだろうに、それを拒む人間が未だ羨ましいのだ。
「「そんな形」だろうと、証明できてこその世界に住んでおります」
「・・・」
人は殺すものではない、生かすものだ。
生かて田畑を耕し、生きるための道具を作り、子を産み育て、古きを伝え新しき者に繋いでゆく。
死ぬのは愛する者のそばでだけ。
それが人だ。
「此度は主より、これ以上の前進を阻止せよとのご命令。・・・行く手、阻ませて頂に来ました。」
愛した者の傍でその生きる世を楽しみ死んでいく。
これが人の当たり前のあり方であるはずだ。
それが当たり前に手に入り、尚且つ与えられる存在でありながら、戦を好む。
なんて傲慢なのだろうか。
「成る程。」
だが、傲慢で救いようがないのは自分も同じ。
強者と交える戦いに胸が踊る。
喜びが押さえられずに顔の筋が上がっている。
所詮自分もこの男と同じ存在。
自分はどうやっても田畑を耕し子を育てる存在にはなれない。
だから、余計に羨ましいのだ。
この男は戦に明け暮れながらも、田畑を耕し、子を育て、見聞を伝え教え、大切な物の傍で死ぬことができる。
この男が憎いほど羨ましい。
だから自分は男に刃を向けるのだ。
矛盾を抱いた刃を、嫉妬という暗く濁った思いを込めて微笑みながら刃を向けるのだ。
「お前も面白い女だ」
その言葉に知らず笑みが浮かぶ。
「このような姿で申し訳ありませんが、ここで術を解いている暇は与えて頂けない様なので・・・」
男が刀を構えなおすのをみて、自分も持っていたクナイを構え何時でも踏み出せるよう姿勢を直した。
この男を殺すために。
きっと何が一番気に入らないかって、のんきに愛だなんだととぼけた事を考えていながら現実では人殺しだ。
そんな自分が醜悪に思えて苦しい。
本当は分かっている。
この男は殺すには惜しい男なのだ。
正直で融通が利かなそうで、強い。
智将と呼ばれるほどの男である。その知識も多いことだろう。
こういう男はなくすに惜しい男だ。
そう思うのに、自分は殺すのだ。
主の敵であるから。