花火の下の黙認
8月の最後の日曜日に毎年開かれる花火大会には夏特有のジンクスがある。俺が始めてそれを聞いたのは、バカみたいに暑い中2の部活帰りで、よくある話だとみんなで笑い飛ばした。『花火大会に一緒にいけば両思いになれる』だなんて、今どき小学生でも信じない。というか花火に誘ってダメな時点でもう勝負が見えている。
ところが、散々こき下ろした仲間のうちで夏休み明けに彼女ができた奴が1人いて、そいつはそれをを試したというのだから噂は一気に信憑性が増してしまった。
でも俺はなんとなく信じられなくて、常日頃いいかげんに生きているせいか自分の恋路まで神頼みっていうのが気に食わなかった。そういうのに頼るなんてよっぽどせっぱつまってるんじゃない?俺はそんな恋愛なんてしたくないねと鼻で笑っていた過去とは裏腹に、今は何かにすがらないとどうにもできない恋をしている。
「花火? 今週末の?」
「そーそー、川んとこでやるやつ」
脱ぎかけのアンダーシャツを頭に通したまま、隣にいる栄口の様子を伺った。汗臭い黒い布は断られた時のダメージを和らげてはくれないんだろうけど、真正面から拒否を受け止める器量があったら、こんなまどろっこしいことなんてしていない。
「水谷アタマ出せよ、なんか変な生き物みたい」
「……行かね?」
「どこ?」
「花火大会! ねー、行こうよー? もう夏休み終わっちゃうじゃん」
栄口が小さく笑いながら「俺も行ってみたいって思ってた」と言ったら、今まで抱えてた不安と引き換えに、やたらむくむくと期待が膨らんできた。だめだ、顔がにやける。心の中で小さくガッツポーズを決める俺の首根っこを掴み、栄口はずるりとアンダーシャツを剥ぎ取った。
「ちょ、なにすんの! マジびびったんですけど!」
「や……なんか」
「なんか?」
「きもくて」
「ひーどーいー!!」
やかましい蝉の鳴き声ですら自分を囃し立てている。今日も死ぬほど暑くて、明日もあさっても多分暑いのに、毎日を消化して花火の日に近づくのが楽しみだった。練習が終わりグラウンドに伸びた影の先を見つめるたび、あと何日とカウントダウンする甘みが日を増すにつれて強くなる。
両思いになれるなんて、そんな都合よく願いが叶うとは思っていなかった。でも「もしかしたら」があるのかもしれない。「もしかしたら」、俺が栄口のことをそう思うように、栄口もまた俺のことを好いているのかもしれない。ありえないありえないと頭を振り払っても、ふと気を緩ますだけで妄想は止め処なく広がった。
まず俺はこの前栄口と一緒に遊んだとき買ったシャツを着て行って、「似合うじゃん」なんて褒められたりして、出店でわたあめとかカキ氷とか買ってるうちに花火が上がって、あーキレイだねー、うんキレイ、実は俺栄口のこと……、えっ俺も……。
「おい水谷、聞いてるか?」
妄想劇場に夢中で全然阿部の声が耳に入ってこなかった。話を聞いていなかったことを詫びると、阿部は大きくため息をついた後、日曜の花火のことなんだけど、と言ったものだから気が動転した。
「花火さ、現地集合でよくね?」
「え? なに、阿部も花火行くの?」
「野球部全員で行くだろーが」
「そうなの? 俺全然知らなかった」
「はぁ? 言い出したのお前って栄口が言ってたぞ」
毅然とした阿部へ、まさか栄口だけと行こうと思ってたなんて口が裂けても言えなかった。阿部はそんな俺の思惑に気づくはずもなく、当日の大まかなスケジュールについて淡々と語る。
「んで花火大会終わったら三橋んちで手持ちのやつやるってさ」
いいじゃん、と返した声に涙がにじまないようにするのにすごい苦労した。
栄口が俺の言葉をそう受け取っても何らおかしくはない。考えてみれば「みんなで行く」ほうが普通だ。だって俺と栄口はただの友達で、同じ部活の仲間なのだから。
「なんだ水谷、花火行くのが泣くほど嬉しいのか」
ポジティブすぎる阿部が心底うらやましいよ。
俺だけとよりみんなと行ったほうが楽しそうって栄口は思ったのかな。だったらなんで一言も俺に相談してくれないんだろう。冷静になれよ、はっきりと栄口とだけでって言ったわけじゃないしという声は、失意の渦に飲まれ微かにも聞こえない。二人きりじゃないとジンクスは成立しない。なんで、どうして、ひどい、ずるい。ぐるぐると醜いことばかり考えてしまう自分が嫌で、小さくなって消えてしまいたい。
当日は大雨だった。当然のごとく花火大会は開催されず、残念がるみんなの様子を人ごとのように眺めていた。もうどうでもいい。花火の打ち上げは体育の日に延期され、その10月には遅咲きの台風が来た。俺の怨念は凄まじい、花火大会を呪うがあまり台風まで呼んじゃうなんて。窓の外でごうごうと吹き荒れる風を見ながら、自分勝手な思い上がりに浸っていた。
花火大会がそれからどうなったのかは知らない。