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鉄の棺 石の骸3

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 催眠ガスだ。
「何、を……」
 パラドックスは、冷酷ではないかと思うくらいの低い声音で一言。
「――おやすみ」
 今日の狂乱は、そこで終わりを告げた。


 四日前は、がらくたからD-ホイールを組み立てていたが、不完全なD-ホイールに乗り込もうとしたのを目撃され、居合わせた仲間によって即座に引きずり降ろされた。
 一昨日は、アーククレイドル中にトラップを仕掛け、三人が解除に手間取っている隙を突いて外に逃亡しようとした。
 昨日は、赤子のように泣いているだけだった。 
 そして、今日はこんなありさまだ。

「今日こそは、し、死ぬかと思ったな……」
「思えば、昨日の方が楽だったよ。ひたすら泣かれるだけで済んで」
「ああ、よかったぞ……私は一日中、Z-oneに髪の毛をつかまれていた上に大泣きされていたがな!」
 力任せにぐいぐいつかまれて、パラドックスの自慢の髪の毛は、見事にぼさぼさになっていた。彼はそれが我慢できないようで、自前のブラシで念入りに髪を梳いている。
 君は喧嘩でも売っているのか? とも言えず、アポリアとアンチノミーはやっと訪れた休息に長い長いため息をついた。
 さて、明日は一体何が来るのだろう。
 不安が押し寄せるアポリアをよそに、パラドックスは情報端末を開き、今日の発作の状況をタイムテーブルつきでまとめあげていく。 

 いつも心配する以上のことは何もできなかったアポリアやアンチノミーと違い、パラドックスはどこまでも冷静だった。
 発狂するZ-oneをこと細かに観察しつつ、発作が起こりやすい状況を調べ上げ、レポートにまとめてアポリアたちにも分かりやすくした。
 パラドックスがまとめたNGリストには、Z-oneに対する禁止事項が可能な限り全て挙げられている。
 「あちらが特に何も言わない限り、こちらから「不動遊星」だったころの過去を訊くな」、「発作時に絶対「Z-one」と呼びかけるな」、「発作時に素手でマーカーを線に沿ってなぞるな」、「Z-oneにスタンガンを絶対に使うな」などなど……。
 その中に、こんな一文がある。

「Z-oneが仮面を着けていない時に、彼の顔を鏡に映すな」


 続く発作に身も心も疲れ果てたZ-oneは、とうとう最後の改造で自分自身をフライング・ホイールに繋いでしまった。
 このフライング・ホイールは、発作が起こった時に身体をホイール内に格納し、ひれもシリンダーも全て引っ込めてスリープ状態に入ることができる。
 見かけは巨大なアンモナイトだ。
 これのおかげで、発作を起こしたZ-oneに全員が振り回される頻度が格段に減った。
 しかし、アポリアは未だに納得していない。あれはあくまで一時しのぎだ。
 殻の中では何が起こっているのかは外からは見えないが、今まで自分たちが受け止めてきた狂乱が湧き起こっているのだろう。
 敵から中身を守ってくれるはずの貝殻は、Z-oneにとっては牢獄だ。
 誰にも言えなかったが、アポリアは見たことがある。
 アンチノミーが死ぬ少し前、白いアンモナイトと化したZ-oneの表装に、こつんと拳をぶつけて静かに泣いていたのを。
 非人間的な行為であると分かっていても、これでは彼に負担を押し付けただけだ。
 そうなるのが嫌だったから、アポリアは喜んでZ-oneの助けになっていたというのに。

 ああ、どうか信じて欲しい。
 自分たちは、こんな風に、Z-oneを白い殻の中に追いやるつもりは決してなかったのだ。


 3.

 仲間全員がコピーロボットとして復活し、すぐさま二人きりになってしばらくたったある日のことだった。
 アポリアは、先に息を引き取った二人と自分のオリジナルの墓参りに出向くことにした。
 遺体を納めたカプセルの傍には、見慣れた先客がいた。
「Z-one」
「アポリア」
 フライング・ホイールが、仲間の棺の前で浮かんでいた。
「時間ができたので、ついこちらに寄ってしまいました」
「それはよかった。しかしZ-one。あまり根を詰めないでくれ。身体に障るぞ」
「大丈夫です。計画はこれからです。そんな大事な時に休んでなんていられません」
 Z-oneには全幅の信頼を置いているアポリアでも、Z-oneの「大丈夫」はこの世で一番信用できないのだが……。
 穏やかな時が、二人の間を過ぎていく。穏やか過ぎて、油断してもいた。
「さて、墓参りも終えましたし、戻りますか……」
 ホイールがついと動いた弾みで、Z-oneの着けていた仮面がごとんと落ちた。
 経年劣化で、接続が甘くなっていたのだろう。
「あ……」
 仲間の棺の蓋。透明なガラスが反射していたのは、Z-oneの非対称な顔だ。

 思い返せば、その後の彼の狂乱は酷いものだった。
 仲間の眠るカプセルの蓋を叩き破らなかったのは、Z-oneのなけなしの理性のたまものだったのかもしれない。

 アーククレイドルの硬い内壁に、アポリアの新しい身体はめり込んでしまっていた。腕にはしっかりと白いホイールを抱え込んで衝撃から守っている。 
 ようやく意識が戻って来たZ-oneが、仲間の惨状に、喉の機械越しから震える声音を零した。
「わ、私は、また君をっ……」
「私は大丈夫だ……。君の作ってくれたこの身体は、君を守れるくらい頑丈だったな……」
 壁から背中を引きはがし、アポリアは腕の中のZ-oneを宙にそっと解放してやる。破損が酷いのか、アポリアの身体中をところどころ青い火花が走っていく。
「済まない……君にもらった大事な身体をぼろぼろにしてしまった……」
「どうして君が謝るのですか……謝っても済まないのは、私の方なのに……。――待っていてください。すぐに君の身体を修復します」
「ああ、よろしく頼む」
 電源が落とされ、アポリアの意識は白い闇の中に消えた。



 夢を見た。
 モーメントの暴走以来、欠片も降らなかった白い白い雪が、アーククレイドルに降り積もる夢だ。
――わあ、こんなに雪が積もってる。
――零点下か。道理で寒かった訳だ。
――こんなにいっぱい雪が降ったんですから、何か作れそうですね。
――かまくらとか、雪像作らない?
――雪合戦も乙なものだぞ。Z-one、君は腕を新調したと言っていたが、この際だ。実験してみないか?
――この腕で雪玉はケガ人がでそうなので、雪だるまで勘弁してください。
 雪はこんこんと神の居城に降り積もる。
 そらで思い出せるほどに楽しい夢だった。
 白い色。それはZ-oneのまとう色だ。彼はアポリアにも同じ色をくれた。
 白は大好きな色だ。


「高い高ーい! きひゃははははは!」
 アーククレイドルにいないはずの子どもの声が聞こえてくる。アポリアを基にした三皇帝だ。
 彼ら分身体には、アポリアとしての自意識はほとんど残っていない。三つに分けられた絶望が、彼らの持つ人格だ。
 その中の子ども、ルチアーノは、Z-oneに高い高いしてもらっていた。
「おい、いい加減Z-oneから降りろ、ルチアーノ! 我らの創造主に無礼もいいところだ!」
「神はお前の遊園地ではないのだぞ」
作品名:鉄の棺 石の骸3 作家名:うるら