デンノウノツカイ
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『電脳の使い』
通称『電使』、MK-projectより製造・販売されているセキュリティソフトを購入する際に希望すると追加される機能(料金別途)、及びそのマスコットキャラクター。一般的には後者を指す。
大元のセキュリティソフトが正常に作動していることを示すマスコットだが育成ゲームのような側面と交流機能を持ち、育て方によって様々な新機能を得る。
完全なオーダーメイドで、他のMK-projectの製品同様、インターネットでのみ購入可能。
MK-projectの片割れである筈の帝人はパソコンの画面を見て深く溜め息を吐く。
「……やられた」
相棒の美香に電使を送りつけられた、それだけならば特に問題はないが、その電使が明るい緑色のスカーフをつけたセーラー服で、スカーフと同色の鞄とペットボトルを持った、丸い眼鏡はそのままの想い人の姿をしていた。
「肖像権とか、……言っても無駄かなぁ」
元々が犯罪者気質の美香に法律を唱えても意味がないように思え、また帝人の思考を先読みして杏里を言い包めているかも知れない。許可を取っているとは少しも思わないところが美香の常識に対する帝人の信用値である(実際に後で確認してみると、詳細を話さず杏里に写真の使用許可を求めた結果がコレだった)。重い溜め息が再び帝人の口から漏れる。
マスコットを消すことは出来る、とても簡単に。美香もそれを分かっている、分かっていて送りつけてきたから余計に性質が悪い。『セキュリティマスコット/電脳の使い ―時をかける少女杏里―』が現実の杏里を模っている時点で帝人に消せないだろうことを美香は予想出来た筈だ、とても簡単に。画面の中では帝人の懊悩を他所に、電使が頭の上にペットボトルを乗せてピョコピョコと動いている、可愛かった。
ああああぁ、と妙な声を上げて帝人はバタリ、と背中から床に倒れ込む。深呼吸を何度も何度も繰り返す。頭の中でイロイロな思いがグルグルと回るがそれは実際の時間にして1分も経たない内に、あるところでストン、と落ちる。彼はガバリ、と上体を起こした。画面の中でから電使がデフォルメ特有の円く大きな瞳で帝人を見上げている、可愛かった。しかし今度は倒れることなく微笑を浮かべる。
「大丈夫、守ってみせるから」
ス、とピアノを弾き始める弾き手に似た動作で帝人はキーボードに指を置く。
その眼は先程まで溜め息を吐き、床に転がっていたのが嘘のように冴えていた。
1週間後、帝人のパソコンのデスクトップは様変わりしていた。機械、生物、0と1の羅列、それ等が全て残骸と形容するに相応しいものに成り果て、画面の奥、地平線まで折り重なり、転がり、崩れている。ほとんど色味を持たない無彩色の荒野で唯一と言っても過言ではない翠緑が、パソコンの起動に伴って手奥の地平から飛ぶように駆けてくる。
『おかえりなさいませ、マスター』
屈託のない笑顔で出迎える年頃の少女に帝人は苦笑を禁じ得ない。
「ただいま。今日は何かあった?」
『はい、プログラムの発注が何件か』
少女は持っている鞄から手紙のアイコンを出し、空中へ浮かべると送られてきた順に封を切る。
『ダイレクトメールは一応、ゴミ箱に保存してあります』
「うん、それ保存って言わないからね」
メールの内容をメモしながら、帝人は少女にツッコミを入れた。
時をかける少女杏里(帝人は時さんと呼んでいる)は帝人のパソコンへ来て24時間と経たない内にデフォルメの度合いが限りなく小さくなった。彼女自身の意思でその度合いを下げることは出来るが基本的には現在の姿でいる、要するに成長しまくっていた。
というのも、MK-projectの半身である帝人のパソコンは一般人のそれとは思えないような狙われ方をしている。インターネット上限定の営利団体なので現実の帝人の顔や身元はほとんど知られておらず、本人は凡そ安全であると言えるが、パソコン内から出られない電使はそうもいかない。改造に改造を重ねたセキュリティプログラムで守られているとはいえ、万が一にも侵入されたらひとたまりもないのである。その考えに到った帝人は、とにもかくにも電使を成長させ、容量を増設して護身用に刀型のアンチウィルスプログラムを持たせ、ウィルスやクラッキング等への対処の仕方を教え、と、考えつく限りのことをした。最早チートである、そして過保護である。
電使は帝人の思いに応えるように成長した、が、どういうわけか曲解し、攻撃は最大の防御とばかりに最前線で刀を振るい、教えていない筈のクラッキングまで覚え、攻撃してきたウィルスの大元に報復しようとまでし出した。危険から守るために育てたのに、自ら危険な行いをしたのでは本末転倒なのだが、電使は肝心なその思いには応えてくれなかった。
『私達電使はセキュリティプログラムの化身です。貴方様が心配して下さるのはとても、いえ、この上なく嬉しいのですが、主君に守られたのでは本末転倒。私はこの仮初の命を賭しても、貴方様とこのパソコンを守護する所存です』
そう言って聞く耳を持たず、今日も元気にウィルスへと斬りかかっていく。デスクトップに散る無彩色の残骸は全て、彼女が討ち取ったウィルスの成れの果てだ。
『マスターが本日も無事で何よりです』
「現代の日本は世界でも稀に見る安全な国だよ」
『いいえ、今朝も他県で誘拐があったとニュースで報じられていました』
「僕なんか誘拐しても仕方ないと思うけど」
『いいえ! 貴方様は財もありますし、聡明ですし、容姿が小動物に似通う愛らしい印象ですので誘拐される恐れは多分にあります!』
「思い当たる節が一つもないよ」
『私が誘拐犯なら貴方様を狙います!』
「そんな堂々と言われても……」
彼女が来てから毎日のように繰り返されるこのやり取りに、帝人は複雑な思いになる。どんな性格をしていようがその顔は想い人と瓜二つ、好意的に言われて悪い気にはなれない。それでも彼女と想い人を混同することはない、人工とはいえ彼女にも感情があるのだ。
『貴方様が誘拐されたらどんなことをしても取り戻し、報復しますが』
「…………お願いだから公共施設にハッキングかけるのは止めてね」
『はい、発覚して貴方様の不利益になることだけはいたしません』
「いや、時さんが消されるの嫌だから」
『どうぞ私のことは呼び捨てて下さいませ。主君であることは勿論、造物主にも等しい貴方様に敬称付けされるなどこの身に余ります』
その感情、とりわけ好意の全てを向けられるようでとてつもなく面映ゆい。何度目とも分からない溜め息を吐く。
今日も会話は噛み合わない。相互理解は果てしなく遠かった。