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鉄の棺 石の骸4

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 やっとのことでZ-oneの食事を終え、パラドックスは初めて自分の食事に手を出した。
 ミルクはどれだけの量を何時間ごとだったのか、正確に時間を計った方がいいのか? 人の子の親は、本当に面倒なものだ。今まで子どもなんて持たなかったから、子育て経験なんて全然ない。
 身支度は、残り二人の手を借りてできた。もう怖いものは何もない。
「あー」
「……モノクルは君のおしゃぶりではない。悪いが、外させてもらうぞ」
「むー」

 気が滅入って思考がどんどん変な方向に走っていく。
 ミルク交じりの唾液が零れた髪の端なぞ、気にする暇がない。

 あやすと言っても、どうやって?
 見かけはれっきとした老人のZ-oneの扱いに、パラドックスは考え込んでしまった。
 Z-oneは、立派な大人の男だ。人間の尊厳をもって、自分と対等に扱うべき対象だ。自分以上に大事な友だ。
 しかし、中身は赤子に退行した人格データなのだ。どうしてこんなところばかり性能がいいのか、頭にくる。
「Z-one、私はどうしたらいいのかね……」
 困り果てた末に口に出して、パラドックスはすぐさま後悔した。 
 しまった。何たるNGだ。
 発作で「不動遊星」の人格が濃く表層に現れた時、Z-oneの名で呼んでは絶対にいけない。呼んだら、自我が更にごた混ぜになって、正常な意識が回復するのに時間がかかってしまう……。
 これで散々酷い目に遭わされて、自分で記したことなのに、何たる不覚だ。
 パラドックスが歯噛みする目の前で、大きな赤子は、口をぱかりと開けて、にこっと笑った。
「あ、君は……」
 発作時、明確に表に出てくるのは「遊星」だけではなかった。「遊星」になる前の彼も……。
「Z-one、なのか?」
 肯定するかのように、Z-oneがけらけらと高く声を上げた。
「Z-one」

 Z-oneの本名は誰も知らない。例え知ってても知らないことになっている。
 Z-oneは英雄を模倣するためにそれまでの自分を全て捨てた。素体の情報としてならまだ残されているが、彼に本名で呼んでも他人事のようにすり抜けるだけだ。発作の原因にもなりかねない。
 だからせめて仲間たちは、彼を英雄の名ではなく親愛を込めて「Z-one」と呼んでやるのだ。

 子守唄など知らない。知識としては知っているが、誰かに歌ったことがないから歌詞など全く覚えていない。
 パラドックスはでたらめな歌詞をでたらめに歌った。
 Z-oneは機嫌よく調子を合わせて歌ってくれていた。そのうち眠気が訪れたのか、するすると瞼を閉じて、静かな寝息を立てて彼は睡眠に入った。
 人類が史上初めて子守唄を発明したのは、予想するにこんな状況からだろう。しかし、予想外に効果があるものだ。昔の知恵もバカにできない。 
 しかし、今日は本当に疲れた。山積みの仕事も、進行中の計画も、今はもう放りだしたい。
 Z-oneはパラドックスの傍で、安寧なる眠りに就いている。パラドックスの気持ちなど、これっぽちも知る由もなく。
「Z-oneよ。早く大きくなってくれ。君が再び大きくなって心が落ち着いたなら、……また私に君のことを聞かせてくれ」
 
 今日の残りのレポートのことは、もう全てどうでもよくなった。後が怖いが、あの二人に任せることに決めた。

 パラドックスは、時折夢想する。
 あの日現れた、「遊星」も誰も居座っていない純粋な彼のことを。
 あのまま彼を、仲間も知らない隠し部屋に閉じ込めて、普通の赤子のように与えるものは全部与えて。
 今まで調べてきた、ごた混ぜになるまでの「Z-one」を形成しうる知識を全て彼の中身として詰め込んで。
 しかしそんな作業では、自分の知るZ-oneは二度と復元できないのだ。
 人の為に自分をも捧げてしまうような、誰よりも優しいそんな彼に。


 4.

 つくづく思う。あれで済んだのは、まだ幸運な方だった。
 次の日の狂乱の後、パラドックスは体力を消耗しすぎて自分の体を引きずるまでになっていた。
 頼られる男は、辛いものだ。

 昨日のZ-oneの症状のレポートは、こっそり二つに分けた。オリジナルは自分の手元に、もう一つは記述を数行抜いてからデータベースに追加する。
 二人の仲間はあまり部屋に立ち入らなかったから、昨日の出来事の詳細は自分一人しか知らない。
 知りたくもない自分のことなんて、わざわざ本人に見せつけるべきではないだろう。

 ――二心同体たちについて調べて行くうちに、パラドックスはある一つの答えを自分なりに見出した。
 彼らを真の意味で二心同体たらしめていたのは、一種の愛だ。友情でも尊敬でも恋愛感情でもある、何より強い感情だ。
 相手を心底好きでなかったら、恐らく全ては破たんする。拒絶反応を起こして両方とも自滅する。あるいは片割れに身体を乗っ取られて終わる。
 相手の汚い所も全て見せつけられる覚悟でいかなければ、きっとうまくはいかない。
 Z-oneと「不動遊星」もある意味愛で結ばれていたのではなかろうかと思う。Z-oneは「遊星」への敬愛、「不動遊星」は「Z-one」への庇護愛。そして二人に共通していたのは、世界を、愛する仲間たちを守りたいという愛の心だった。
 似通っていた彼らはうまく適合し、一時は本当に英雄として世の人々の希望になっていた。
 反面、目の前で守るべき対象の崩壊を見せつけられ、強い絶望に二人は二人して壊れ、中途半端にごた混ぜになった。
 そうなった今も、彼らは希望と基になる愛だけはまだ失っていないのかもしれない。

 愛しいものが滅亡したこの世界で、心を捨てず、命も捨てず、彼は必死になって生き続けている。
 この世界を救いたいという、ただそれだけの希望を持って。
 そんな彼らの願いを手助けするのは、自分たち仲間の役割だ。
 Z-oneを見捨てて逃げる意思など、生き残りの誰の選択肢にも存在しないのだ。


「あ、あの、パラドックス」
「Z-one」
 あの狂乱の日々はどこへやら、すっきり回復した様子のZ-oneが、申し訳なさそうにもじもじしていた。
「何かね?」
「アポリアとアンチノミーにはもう言って来たのですが、……今までずっと、済みませんでした」
「本当に、全くだ。奴らが学習して、日誌に記すべき時刻と出来事を写真に収めてくれたからよかったものの」
「……」
 Z-oneはしょんぼりとしている。あれだけ散々仲間たちに迷惑をかけてしまったのだ。普通の人間ならばとうに縁を切られてもおかしくなかったが。
 それでも、パラドックスたちは彼の傍にずっといることに決めている。例え何があろうとも、彼の力になってやるのだ。
「済まないとは、思っているのだな」
「はい」
 ならばと、パラドックスは、ここ数日で堆積した日誌やレポートの数々から三分の一ほどを、Z-oneに手渡した。
「それなら、溜まりに溜まった私のレポートの手伝いを頼む。あいつら二人に任せておいたらこの先どんな内容になるのやら分からん」
「……はい」
 二人は連れだって歩いて行く。Z-oneのぎこちない足取りも、今日はどこか弾んでいる様子だ。

作品名:鉄の棺 石の骸4 作家名:うるら