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桜渡り

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2.

春の陽射しは麗らかで、盛りを過ぎた桜がはらはらと花弁を散らしている。穏やか過ぎるほどに穏やかな午後だ。――明日もまた穏やかな日が続くのだと、錯覚してしまいそうなほどに。
元親は、あの日から気に入りになった桜の大木にゆったりと背を預け、腕を組んで空に浮かぶ雲を見ていた。その表情は、常の元親を知る者からすれば別人かと思うほどに思案げで、揺らぐ瞳は虚ろにすら見える。そんな独り深く考え込む元親の背後から、突然声が掛けられた。

「迷っているようだな」

元親は、その声に軽く目を見張った。そして数瞬記憶を辿るように脇へ視線を流すと、突然何かに気が付いたかのように、声がした方向へ勢いよく振り向いた。
あのひとだった。
少年の頃一度だけ会った、うつくしいひと。我が身の不遇を嘆き、欲しいものを与えられぬことに拗ねていた自分を、叱ってくれたひと。あの日から今までの、自分が進むべき道を指し示してくれた、光。そのひとが、あの時と変わらぬ姿でそこに立っていた。あの時のように、唐突に。
強烈な引力に引かれたかのように、衝動的に手が伸びていた。

「ッつ。何をす――」
「アンタ、触れんのか」

いきなり左右の二の腕を強い力で掴まれ、男は眉を顰めて元親を睨む。しかし元親は構わず、その存在を確かめるように細い肩を撫で、髪に触れる。男は煩そうに頭を振るった。

「貴様、だから何なのだ」
「いや、あんときゃ夢でも見たのかと思っててよ。――あァ、アンタほんとに居たんだなァ…」

元親は破顔した。男はそんな元親を見て不審げに眉を顰める。
夢か、幻か、もしくはあやかしか。あれは、己の弱い心が見せた実体の無い『何か』だったのだと、思い込もうとしていた。
あの日から、一度も会うことができなかったから。
この桜へは、何度も何度も足を運んだ。今日は会えるか、明日は会えるか。今日は来なくても、明日は来るかもしれない。次の月には、次の季節には、次の年には。諦めきれずに何度も通った。それでも一度も会うことはできなかった。今日、この日までは。

「で、何でアンタは全然変わってないんだ?やっぱり人間じゃねェのか?」
「……貴様はいささか変わり過ぎではないか。昔の面影の欠片も無いではないか」

そう、元親は変わった。癖のある銀の髪と片目を隠した蒼い瞳はそのままに、更に伸びた背丈と逞しく鍛え上げられた身体。『姫若子』と囁かれた弱々しさは『鬼若子』と讃えられる精悍さへと見事なまでの成長を遂げている。今となっては、家中の誰一人として、元親を長曾我部家の継嗣たる者として認めぬ者は無い。
あの日自分の為すべきことに気付かされてから、まずは己の心と体を鍛えることだと決めた。得物には槍を選び鍛錬を始めたが、もちろん初めは見られたものではなかった。姫若子の突然の変化に周囲は驚き、今さら何を、とその情けない姿を嗤う声も聞いた。だが進むべき道を見つけた元親は、迷うことも怯むことも無かった。日々ただ只管に鍛錬を続けた。やがて目に見える成果が表れてくると共に、周囲の目も変わっていった。元親は、自分が変わらねば周りも変わらぬのだということを身をもって知り、そのきっかけをくれたひとを遠く思った。
そのひとは今、目の前にいる。あの時と同じく、桜を纏って。

「アンタのおかげよォ」

ニヤリと笑ってそう言うと、男はどこか困り気な、居た堪れないような表情を見せた。それを見て初めて元親は、相手が人間なのだと確信した。出会ったあの頃の幼い自分では、このひとの表情の変化など読み取ることは出来なかったから、ただその放つ気に圧倒されて人とも妖とも判ずることは出来なかった。だが齢二十を越えた今なら多少の余裕はあるつもりだ。このひとを目の前にして、ざわざわと胸の奥が高鳴っていても。
―――照れてる、だなんてな。
幼少の頃はただの憧れだった姿に、人間らしい感情が肉付けされてゆき、元親は男にますます惹かれていくのを感じていた。

「で、何でアンタはここに居るんでェ?」
「特に理由などないわ。気が向いただけよ」

男はつん、と顔を逸らした。拗ねているようで可愛い、とすら思えてしまう。ニヤニヤと笑う元親を、男は腹立たしげに横目で睨んだ。

「あの時の童が今どうしているかと思ってな」
「おう、見た通りよ。槍の腕もまぁ大したもんだぜ?」
「強くなったとでも?」
「おぅよ。試してみるかい?」

揶揄うように、上体を曲げて顔を寄せると、男はつと元親の方へ向き直った。その表情を見て元親はたじろいだ。ほんの少し前まで見せていた人間らしい表情を綺麗に拭い去り、全く感情の読み取れない、凪いだ海のように澄んだ瞳で元親を見つめていた。
ふと記憶が甦る。このひとは、あの時も、こんな瞳で自分を見ていた。

「人をころすのが、怖いのに、か」

それを聞いて、元親の顔が強張る。そうだった。あの時と同じだ。あの時と同じく、このひとはその鋭い視線で自分の迷いを正確に射抜くのだ。そしておそらくは、よりによって今日ここに現れたのも、己のこの迷いのためなのだろうと気付くと、ついさっき相手を人間だと確信した自信も揺らいでくる。
男の言うとおり、元親は人を殺めることに恐怖を感じていた。遅い初陣を明日に控え、自分に人が斬れるのかと、自問自答するためにこの場所へ来たのだ。戦とはそういうものだと、自分を納得させるために。そしてそれは未だ成っていない。

「貴様はあの時何と言った?家を、国を、海を、守りたいと申したであろう。敵を斬ることは、その敵が斬る味方を、その敵が荒らす国を、守るために他ならぬのではないか」
「……そいつは詭弁だ。言い訳にもならねェ」
「ならば斬らずに貴様が死ねばよい」
「死ぬ気はねェよ。――…いや、すまねェ、俺だって分かってんだ、ホントはな。ただ気持ちが追いつかねェってだけでよ」

元親は自らの髪を掻き毟った。この戦国の世にあって戦が避けられぬものであれば、斬らねば戦は終わらない。だが怖い。人のいのちを奪うことが怖い。いのちの一つ一つが背負う、思いや家族や未来を断ち切ることが怖い。割り切れと、人は言う。そのうち慣れる、と人は言う。だが元親は慣れてしまうのも堪らなく厭だった。そうなったら、本当の鬼になる。

「これからそなたが斬る人間には、凡て家族がある。その命を絶つからには、その家族をも含めた命を背負う覚悟を決めよ」

男は惑う元親をじっと見つめていたが、追い打ちをかけるように、淡々と告げた。心の中で思っていたことを言葉にして突きつけられ、元親はぎり、と唇を噛んだ。

「ただし、気には病むな」
「……無理だろうが」
「憐れむな、と言っているのだ。それは貴様の傲慢だ」

唸るように言った元親を、あくまで冷やかに男は切って捨てた。戦場に出る以上、死ぬ覚悟を持つことは当然であり、その死を憐れむことは強者の、勝者の論理であると。自らの強さに驕る者の、いやらしい欺瞞であると。仮に自分が戦場で命を落としたとして、殺された相手に憐れまれて救われるのかと。立て板に水を流すが如く言われ、元親はまた唸った。

「……無理だ」
「鬼になれ。そうして絶った命に恥じぬ生き方をせよ」
作品名:桜渡り 作家名:亜梨子