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【かいねこ】千の祈りと罰当たりの恋

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「えー、でも、あ、もう帰らないといけないから。いろはも、もうマスターが迎えにくるでしょ?」

実際、辺りは大分薄暗くなってきていた。
そろそろ帰らないと、メイコにどやされる。

「えっ、ああ、うん。そうだね。マスター、そろそろ来る、かな」

いろはは、何故か顔を背けると、

「じゃあね、カイト。バイバイ」
「バイバイ」

手を振って、急ぎ足で神社を出た。
ふと振り向くと、いろはがぽつんと一人で立っている。
寂しげな横顔が気になったけれど、すぐに我に返って、家路を急いだ。



「ただーいまー」
「お帰りなさい、お兄ちゃん!」

玄関を入ると、ミクが出迎えてくれる。

「おかーえりー。遅かったじゃない」

奥から出てきたメイコが、腰に手を当てて言った。

「ごめんごめん。ちょっと寄り道してて」
「へー、珍しい。何処に寄ってたの」
「んーふふー。めーちゃんには教えないよー」
「何そのムカつく態度は」
「お兄ちゃん、ミクには?」
「ミクちゃんには、今度教えてあげるね」
「あーもう、このシスコンめ」
「めーちゃんには教えてあげないよー」

いろはが歌っていたあの曲を、小声で口ずさみながら、買い物した品を冷蔵庫にしまう。
今度会ったら、また聞かせてもらいたいなと思いながら。



それから、買い物の行き帰りに神社に寄って、いろはを探すのが日課になった。
いろはは、いたりいなかったりで、大体、帰りに会うことが多い。
「マスターの支度に時間がかかるから」と、いろはは言っていた。
いろはは、僕に歌ってくれとせがむけれど、僕はむしろいろはの歌が聞きたいので、なんだかんだと理由を付けて、いろはに歌ってもらっていた。

いろはの声が好きで、歌っている時のいろはが好きで、しゃべっている時のいろはも好きで、明るい笑顔も、大きな目も、真っ直ぐな性格も、全部が好きで。


いつの間にか、いろはに会えるのを、心待ちにするようになっていた。



「お兄ちゃん、最近嬉しそう。何かいいことあったの?」
「そう?そうかな?」
「頭に花でも咲いたの?バカイト」
「めーちゃんには教えてあげませんー」
「何だとこら」
「もー!お姉ちゃんもお兄ちゃんも、喧嘩しないのー!」



その日は、珍しく買い物に行く途中で、いろはに会った。

「カーイト!」
「いろは」
「何処行くの?買い物?」
「うん。いろはは、今日もここで待ってるの?」
「え、うん。あ、あたしは、そのほうが気楽だから」

いろはは、一瞬視線を逸らした後、

「あ、ねえ。今日こそ、カイトの歌、聞かせてよ」
「えー、あー、でも、僕、買い物があるから」
「じゃあ、帰りに寄って。あたし、まだ当分いるからさ」
「ん、んー。分かった。じゃあ、少し待ってて」
「うん、待ってる」

勢いよく頷いて、たたたっと境内に戻っていく。
僕も、急ぎ足で商店街へ向かった。



八百屋で、店頭に並んだ野菜を吟味していたら、隣で主婦らしき女性が二人、立ち話を始める。
挨拶から始まって、お互いの子供のことや近所の噂話を、身振り手振りを交えて、声高に交わしあっていた。


どうしようかな。今日はカレーだけど、小松菜も買っておこうか。


どれにするかと悩んでいたら、

「そう言えば、あの更地になった家」
「聞いたわよー。可哀想にねえ」
「いくらロボットだからって、やっぱり、小さい女の子なんだもの」
「酷いことするわよねえ。誰かに譲れば良かったのに」
「帰ってきたら、家族はどこかに引っ越してただなんて、ねえ」
「可哀想に。まだこの辺にいるんだって?」
「神社の辺りで見かけたって、聞いたわよ」

手に持っていた小松菜を取り落としそうになって、慌ててつかむ。
その時、八百屋のおじさんが僕に気がついて、

「いらっしゃい。今日はどれにする?」
「あ、えっと、き、今日、カレーにしようと思って」
「あいよ。日持ちのするものは、ちょっと多めに持ってくかい?」
「あ、う、ああ、えっ、はい」


いろはのことじゃない。いろはには関係ない。


おじさんに選んでもらっている間、僕はひたすら自分に言い聞かせていた。




買い物を終えて神社に向かうと、いろはが小走りに近づいてきて、ぴたっと足を止める。

「カイト、何かあった?」
「え?な、なんで?何もないよ。どうしたの急に?」

慌てて否定しても、いろはは訝しげな視線を向けてきた。

「カイトが、あたしに隠し事してる気がする」
「え?あ、それは、でも」


いろははどうなの?


口に出しそうになって、慌てて手で押さえる。
気まずい空気の中、いろはは、いきなりにこっと笑って、

「ごめん。あたし、マスター迎えに行かなきゃ」
「え?」
「ごめんねー。今度は、カイトの歌聞かせて?」

そう言って、僕の横をすり抜けた。

「あ、あの、いろはっ」

思わず呼び止めたけれど、言葉が続かない。
いろはは、振り向いて僕の顔を見つめた後、

「バイバイ、カイト」

手を振って、走り出した。
その場を動けないまま、彼女の後ろ姿をただ見送る。


・・・・・・帰らなきゃ。


何度も何度も振り返りながら、僕も神社を後にした。



その日を境に、神社でいろはの姿を見なくなった。
境内の中をくまなく探しても、暗くなるまで待っても、いろはの姿は見えず。
更地になった土地には、どうやらアパートが建つようだった。



「そーいえばさー、最近、捨て子がいたらしいよ」

夕飯の席で、マスターが、いきなり物騒なことを言った。

「捨て子!?え、赤ちゃん!?」

メイコが驚いて声を上げると、マスターは手を振って、

「あー、いやいや、捨て子と言っても人間の子供じゃなくて、ボカロね。何でも、引っ越しの時に置いてかれた子がいたみたいだよ。確か、「いろは」だったかな」


!?


神社で別れたいろはの姿が、瞬時に浮かぶ。
手を振って走り去った彼女は、どこに帰ったのだろう。

「酷っ!引き取り先も見つけずに、置いてったってこと?」
「ええ!?そんなことってあるんですか!?」

メイコとミクの言葉に、マスターも渋い顔で、

「そう。認めたくないけど、そういう酷いマスターも、世の中にはいるってこと。ほんと、胸くそ悪い話だよ」

コップに残ったビールを、ぐいっと飲み干す。

「マスターは、そんな酷いことしないですよね?」

ミクが急いで聞くと、マスターは笑って、

「当たり前だろ。ミクもメイコもカイトも、俺の家族なんだから」
「あの、その子、どうなるんでしょうか。その、マスターがいない状態で」

恐る恐る聞くと、マスターは頭を降って、

「引き取り手が見つかればいいんだけど。そうでなかったら、廃棄物扱いされてスクラップ、かな」
「え・・・・・・」

マスターの言葉に、一瞬頭の中が真っ白になった。
それは、一番恐ろしい言葉で、一番聞きたくない言葉。

「やだー、こわいー」
「大丈夫よ、マスターはそんなことしないから」

泣きそうになるミクを、メイコが慰める。

「心配ないよー、ミクー。俺はそんなことしないから。ミクもメイコもカイトも、俺の家族だから」

マスターが、ミクの頭を撫でながら、

「なー、カイトー?」