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そういや向こうの彼は元気だろうか。もうずっと、それこそ何年も会っていない様な気がする。実際は数週間程度だけれども、ここの時間が向こうに適用されるのかどうかは分からない。
それに娘の事も心配――ではあるが、あの子はしっかりしているし、何より彼が一緒に居る筈だから、向こうの事はそれ程気に病む事はないだろう。もし娘に万が一にも何かあったのなら、それこそ全身全霊を持って一矢報いるつもりだ。
想いに一区切りを付ける様にぶるりと頭を振ると、丁度支度を済ませた彼が訝しげにこちらを見ていた。視線が痛い。
「…何やってんだよ」
「いや、別に何も。さ、食べようか」
まだ何か言いたげな彼を急かす様に席に着かせた。いただきます、と手を合わせて出来あがったばかりのから揚げを食べる。形、味共に問題なし。寧ろ会心の出来といっていいだろう。内心自画自賛していると、大きな鳶色の眸とかち合った。促す様に小首を傾げると、少し戸惑った後、彼はか細い声で問うてきた。
「アンタ、料理とか得意なのか?」
「得意って程でもないけど。まあ一人暮らし、長かったからね。それに娘に作ってやんなきゃいけなかったし」
「は?!」
「ん?」
何かおかしな事でも言っただろうか。はて、と今しがた口にした言葉を頭の中で反芻してみる。特に不可思議な事は口走っていない筈だが、彼はパクパクと金魚の様に口を開閉した後、
「アンタ、子供がいたのか!?」
それはもう、盛大な声で喚いてくれた。耳がキンキンと痛む。鼓膜が破れて聞こえなくなったらどうするつもりだ。
「もうちょっと声量を考えてくれないかな。うう、耳が痛い。難聴になったら責任とってよね、オドロキくん」
「なんで俺が!てかさっきの!」
「ん?ああ、15歳の娘がいるって話?」
「じゅ…ッ!……アンタ見かけによらず、意外と遊んでたのか…?」
「……随分な物言いだね」
思わず半目で睨むと、若干怯みながらもだってと反論してくる。まあ無理もない。僕が彼の立場であっても、きっとそんな反応をするだろう。彼ほどあからさまではないと思うけど。
「…娘、さんはどんな…?」
「うーん、そうだなあ。可愛いよ、とても。魔術師になる為に頑張っていてね。自慢の娘だよ」
「ふうん。………じゃ、奥さんは?…美人?」
「いないよ」
「え、…あ、………ごめん」
急に何かを思い付いた様にしょんぼりとするものだから、何事かと思う。それからすぐに、その理由の思い当たる。妙なところで妙に礼儀正しい。
「ああ、違うよ。そうじゃなくて。元からいないって意味だよ」
「いない…?」
「うん。僕は今のところずっと独身だからね。未婚だよ」
「えっと、じゃあ…?」
「彼女――娘はね、僕の子じゃないよ。いや、今は僕の子だけど。それはまあさておき、ちょっと訳アリでね。色々あって僕が引き取ったんだ」
だからいないよ。そう告げた時の彼はどこかホッとしたようだった。
けれどそういうのを目の当たりにすると、僕の悪い癖がむくりと首を擡げる。やっぱり母親が必要かな?と何も知らない振りをして問うと、彼は慌てた様に支離滅裂な事を言ってきて、その姿がやけに必死で、一生懸命過ぎて少しだけ申し訳無くなった。
だから僕は、平静を装ったまま話題を変える事にした。その話題も、彼にとってはあまり歓迎すべきものではないかもしれない、と思いつつ。
「その話は兎も角、右腕、どうしたの?」
彼はしまったという顔をしたけれど、実は帰宅した時から気にはなっていたのだ。
何でもないという彼の言葉を無視して、問答無用で袖を捲りあげる。案の定、そこには見るのも痛々しい傷跡があった。
食べたら消毒ね、と告げる僕に、彼はバツの悪そうな顔でそっぽを向く。相変わらず態度だけは素直じゃない。口もそんなに素直じゃないけれど。
「…喧嘩はほどほどにね」
「向こうから仕掛けてくるんだから、しょうがねぇだろ」
「だとしても、こんな傷作るまでやらなくて良いだろう?」
「逃げろって?」
「それもアリだね」
「オイ」
「身体は大事にしないと。キミにもしもの事があったら、僕が困る」
厳密に言うならば、7年後の僕が、だ。それは口が裂けても言えないけれど。
そんな僕の内情は兎も角、「今」の彼に何かあってもそれはそれで窮地に立たされてしまうし、何より見ている方がこれは辛い。
分かったね、と念を押す様に覗き込むと、渋々といった態で善処はするとの応えが返ってくる。如何にもな態度なのに顔が赤いのが隠せていない所為で、思わず噴き出すと鋭い眼で睨まれた。
これはやばいと慌てて宥めるように頭を撫でたら、意外にも大人しくしている。彼は優しく、可愛い子供だった。
その触り心地の良さも相俟って、調子に乗ってずっと撫で続けていると耐え兼ねたらしい彼から喚き声と共に拳が飛んでくる。拳は避けたけれども、少し、いやかなり残念ではある。もう少し触っていたかった。