もみのき そのみを かざりなさい
あした ほがらかに めざめなさい
「メリークリスマース!いやあクリスマスにふさわしい気持ちのいい朝だね!」
リリーがいたから、当然、僕は彼女に声を掛けた。とうぜんだ。彼女が視界に入っているというのに、他に優先すべきことなど何もない。3日間の断食のあとにスープを出されたとしても、リリーがいたら僕はスプーンを持つ前に彼女に声を掛ける。だって彼女よりもスープが大事なんて、そんなことありえないだろう。シリウスが聞いたらうんざりした顔を見せるかもしれないけれど、それは僕にとって普遍の真理みたいなものだ。りんごは落ちる。地球は回る。僕はリリーに声を掛ける。
呼び止められたリリーは、想像の中のシリウスより3倍はうんざりとした顔をした。
「あなたに呼び止められたせいで、せっかくのクリスマスが台無し」
「そんなことないよ」
「そんなことないって何よ、それは私が決めることでしょう!」
怒った顔も可愛い、と言おうとして、僕は思いとどまった。先週も怒った彼女に(僕が怒らせたのだそうだ)そう言ったら髪を燃やされたからだ。
「だいたいメリークリスマスなんて。教会にも行ったことないくせに」
「君はあるの?」
「あるわよ。3回くらい」
「へえ、そりゃすごい!」
「…バカにしてるの?」
すごいと思ったからすごいと言ったのに。リリーはじとりと僕を睨んだ。女の子は難しい。
「バカになんてしないよ。僕がこれまで君にどれほどの畏敬の念を捧…って待って!待って!僕が悪かった!」
口上さえ途中だというのに、リリーはすいと僕の横をすり抜けようとした。僕の存在は彼女の視界の中では植木鉢程度の存在感しか持たせてもらえないらしい。僕は慌てて彼女の手首を掴んだ。
リリーはぴたりと立ち止まり、それから掴まれたままの手首をゆっくりと掲げた。据わった目で僕を静かに睨む。
「これ、大声を出して助けを求めてもいいかしら」
大声出したって誰も助けになんて来やしないよ、だって"どうせまたあの2人だろ?"ってみんなに思われるだけだもの、それに君より強いやつなんてこの学校のどこにいるんだ、と思ったけれど、すべてを飲み込んで僕は手を離した。ごめんなさいもうしません、と一応付け加える。それからにっこりと笑って、その場を仕切り直そうと試みる。
「今日はね、クリスマスだから、君にプレゼントがあるんだ」
「いらない」
「いや、そう言わずに」
「欲しくない」
「とりあえず開けてみて」
「開けない」
「そんな強情張ってるとキスしちゃうよ」
「できるものならやってごらんなさい」
ふふん、と彼女は胸を張った。そんなに胸張ってると触っちゃうよ。
「じゃあこうしよう」
僕は紳士的に提案をする。
「とりあえず開けてみる。気に入らなかったら君は僕にそれを投げつけて好きなところへ行く。もし気に入ったら、それを持って好きなところに行く。どうかな。これだったら君にとって何の損もない取引だと思うけど」
「取引、ねえ」
リリーは斜めに僕を見て、ものすごく疑わしそうな顔をした。ちょっと傷付く。
「でもそれじゃあなたにとって利益はないわね?何を企んでいるの?」
「君がプレゼントを受け取ってくれるかもしれない、これが僕にとっての利だね。可能性は50パーセント。悪くない賭だ」
「50パーセントもあるなんて本気で思ってるの?私がそれをありがたがって受け取る可能性が?」
「可能性はいつだってフィフティ・フィフティ」
「呆れた楽天家ね」
リリーは疑わしい目で僕を見たまま、すいと杖を抜いた。
「いいでしょう。ただし、箱はあなたが開けて。へんな罠でも仕込まれてたら大変だもの」
「変な罠!?そんなもの仕込むわけないじゃない!」
「覚えておいて、私はあなたのことを小指の先程も信用してないの」
「ひどい…」
リリーは杖の先をゆらゆらと振った。
「どうするの?開けるの?開けないの?」
クリスマスにプレゼントを渡したかっただけなのに、この扱いってどうだろう。プレゼントにかけたリボンにさえ触ってもらえないなんて。しかも目の前のリリーは若干苛立たしげに杖を握っている。知らない人が見たら、リリーが僕を脅迫してるみたいじゃないか。まあでも、と僕は思う。いずれにしても僕には選択権などないのだ。苛々しててもリリーは可愛いし。杖の握り方だってとってもチャーミングだし。
「どうするの?開けるの?開けないの?」
へらりと笑顔を浮かべてしまった僕の鼻先に杖を突きつけて、リリーが急かす。開けます開けます、と大慌てで答えて、僕は時間をかけて一生懸命結んだ白金のリボンを自分の手で解いた。解いたところで、目を上げる。リリーは、それから?という目で、冷淡に先を促した。杖の先はまだ僕を狙っている。はいはい、分かっていますとも。自分の手で箱も開けて、どうぞ中身を検分してくださいと差し出した。リリーは杖を構えたまま、首だけをこちらに伸ばして中を覗き込んだ。中身をじっと見て、それから訝しげに顔を上げる。
「…これは?」
「リボンです」
箱の中身は深い緑色のリボン。ふわふわでさらさらで肌触りがとってもいいのだ。
手に取ってみて取ってみて!とねだると、彼女は渋々、本当に渋々、リボンの端をつまんで持ち上げた。幅広のリボンはリリーの指についてよろよろと引き上げられる。その姿はひいき目に見ても気絶した蛇みたいだった。リリーはと言えば、それが彼女の髪を飾るためのものであるという認識以前に、なにか怪しげなまじないがかかっているのでないかと、そしてそれが今にも発動するのではないかと、そちらのほうばかりを気にしていた。
とんとん、と杖の先でリボンを叩く。
リボンは頼りなげにひらひらと揺れた。
「どうやら、呪いはかかってないようね」
「だから、そんなことしないったら。ちょっと貸して」
僕はリリーの指先につままれたままだった哀れなリボンを両手で受け取った。またなにか始めるのだろうと少しだけ逃げ腰になったリリーの前で、僕はそのリボンを自分の髪に結んだ。
「プレゼントは僕でがふぅ」
最後まで言い終わらないうちに、リリーが僕の鼻を拳で殴った。
「そんなことだろうと思った。へんな呪いの方がまだまし」
「だから眼鏡の上から殴ったら痛いんだってばー」
涙をぼろぼろと流しながら訴えると、彼女は、自業自得、と一蹴した。苛立たしげに頭を振って髪を払う。苛立ちは僕へと言うよりも、うかうかと無駄な時間を過ごしてしまった自分へ向けられているように思えた。ふうっと大きく息を吐いて、リリーは自分の腕をぎゅっと抱いた。
「さいあく。史上最低のクリスマス。これ以上私の前にいたら血を見るわよ。とっとと失せなさい。あのバカに入れ知恵したのも、もしかしたらあんたなんじゃないの?」
まくし立てるような悪口雑言。しかしその中に、身に覚えのない事柄が混じっていた。僕は眼鏡を外して鼻梁をさすりながら、彼女の言葉を反芻した。
あのバカ。
入れ知恵。
「…シリウス?あいつ、君になにかしたの?」
彼女は、ふん、と鼻で笑った。しらばっくれてると思われているらしい。
作品名:もみのき そのみを かざりなさい 作家名:雀居