24時間の恋
やぁ帝人くん久しぶり元気そうだねちょっと話があるんだけどいいかな、結構困ってるから取り急ぎ用件を言うけど、どうやら俺は君の事が好きになってしまったらしい。…で、どうすればいいと思う?
最初は何を言っているのか全く理解出来ず、ああ冗談か、漸く頭に浮かんだ言葉も見透かされ、全く冗談じゃないよね冗談だったら良かったのに、肩をすくめ溜め息混じりで即座に否定された。
更に彼は息つく暇も無く饒舌に話を続け、聞けば聞く程に僕は話についていけなくなり、まず早急に大通りから、最終的には現実から逃避した。今日は偶々園原さんや紀田くんと校門でバラバラに別れたのでその時一緒に居なくて本当に良かった、どうか誰にも聞かれていませんように。神様どうか御慈悲を、クリスチャンでも無いのに以下略、アーメン。
概要はこうだ。
彼が今朝起きると僕が好きになっていた。前日までは確かに他の人間と同等の存在だった筈だが、何故か目が覚めた瞬間に特別だと確信した。自分でも何かがおかしいと思い、まずは当事者である僕の元へ向かう事にした。午前中には池袋に着いたが途中シズちゃん、いや平和島さんに遭遇してしまい撒くのに時間がかかって辿り着いたのが丁度下校の時刻だった。
割愛したが、新宿から池袋への移動中も常に脳内は僕で一杯で電車を乗り過ごしてしまっただの、僕の写真にキスをしかけたがギリギリで我に返り思わず破いてしまっただの、シズちゃん死ね!と言うつもりが間違えて帝人くん死ね!と言ってしまっただの、余計なエピソードが話の合間合間に挟んであった。
最後のは想い人に対する仕打ちとは到底思えないが、まぁ混乱していたという事だろう。
何で僕の写真持ってたんだろう、疑問に思ったがダラーズの事もあるしこれ以上事態をややこしくしたくは無かったので、敢えて聞かなかった事にした。
頭が痛い。フラフラと西口公園の椅子に腰をかければ体が勝手に考える人のポーズをとる。
成程考える時人は自然とこうなる、ロダン様でも神様でも誰でもいいから助けて下さい。
その時スッとジュースを差し出してくれたのは神でもロダンでも無く僕を悩ませている張本人だったが、ありがとうございます、お礼を言って受け取り彼の顔を見て、驚いた。
笑い終えたせいかその表情はどこか柔らかく、見た事も無い優しい表情で僕を見つめた後、頭を軽く撫でた。
やめて欲しい、気障な愛の言葉もその表情も、異常事態であるが故と頭では理解しているのに。
経験値の少ない僕は相手がたとえ同性とはいえ心臓の制御が上手く出来なくて、結果活発に働く血管が頬を染め上げ、また彼に笑われた。何だかこれ以上振り回されるのは危険な気がする。
解決を急ぐ為にも本題に話題を戻した。
「…誰かに惚れ薬でも盛られたんじゃないですか?」
「その線が一番濃いよね、惚れ薬なんていうものがあればの話だけど。」
確かに普通に考えれば惚れ薬なんて詐欺以外用途の無い眉唾な代物だが、身近にデュラハンを知っているせいか有る所には在るのかもしれないと思えてしまうし、何しろこの人のこの変わり様と、この見た目だ。
誰かが彼の好意を得ようと盛ったものが何かしらの手違いで僕へと作用してしまったのではないかと考えるのが、一番妥当な気がする。本人もそう思ったんだろう、昨日自分は何を飲食したか、誰が、いやそれが何かさえわかれば対処のしようがあるとかなんとか、缶珈琲の蓋を開けながら呟いている。
「…あ、一応言っておきますけど、誓って僕は何もしてませんよ。」
「だろうね、何となくわかるよ。」
好きになると知らず知らず見てしまうせいかその人の感情の機微がよく読み取れるもんだね、知らなかったよ。
その気障な台詞に、まだからかうつもりかと、いい加減にしてくれと抗議しようと隣に腰を下ろした彼を見れば、
「…、」
「…何?」
「…あ、いえ、…、」
その表情は、悪戯でも喜色でも無くて、凄く自然な。
「何でも無いって顔じゃないけど。」
「…なんか、楽しそう、ですよね…?」
考えてみれば、一番の被害者は彼の筈だ。
自分で言うのも何だが、可愛い女の子ならまだしも同姓で美少年ですら無い至って平凡な、更には友人どころか知人としても実際に会ったのは数回、少し特殊なチャット仲間程度の関係の男子高校生で理不尽に自分の頭が占められるなんて、普通に考えれば最悪の気分では無いだろうか。そう告げると彼は苦笑して、
「滅多に無い経験だからね。」
恋をすると世界はこんなに色鮮やかなんだね、知らなかった。
「…」
「…何か訊きたい事があるって顔してるよ。」
「…いえ、あ、訊きたい、ですけど、…、」
今の俺なら君には何でも正直に答えてしまうかもしれない、言って鮮やかに笑う彼の横顔に何故か酷く胸が締め付けられた。彼の人生とか恋愛遍歴とか、気にならない訳では無かったけれど、今訊くのは何か違う気がする。何だか何も言えなくなってしまって、俯いて首を横に振れば、またそっと彼の手が僕の頭を撫でる。
やっぱりやめて欲しいと思うが、滅多に無い経験だと思えば確かにこれも良い思い出になるのもかもしれない。
それから結局夕刻までここで他愛ない会話と、彼は何人かに電話をしたり、僕はその間に教科書を開いたりしながら過ごした。ある電話を終え、なんだ波江さんかと呟いた後彼は、目星がついたから行くよ、と告げた。
波江さんってあの矢霧波江さんだろうか、矢霧くんのお姉さんの。えっと、彼女が惚れ薬なるものを仕込んだのだとしたら彼女は折原さんを、でも彼女は確か矢霧くんを。些か混乱しかけたがこれ以上ややこしい事になるのは本当に御免なので聞かなかった事にした。大人にはきっと色々あるんだろう。
「じゃあ、とりあえずここで。また連絡するよ。」
「はい。…大してお役に立てなくて。」
「…本当にお人好しだね。」
今の俺でも少し呆れるよ、苦笑しながら最後にもう一度、殊更優しく彼の手が僕の頭を撫でた。
多分今の彼と話すのはこれで最後になるのだろうな、思いこの感触は忘れたくないと心中で願った。
送ろうかと言われたが丁重に断って別れを告げる。そう、とだけ頷いて背を向けた彼もきっとよくわかっている。
この時間は少しでも早く終わった方がいい、僕の為にも彼の為にも。
最初はあんなに嫌だったのになと帰り道一人笑ってしまったが、滅多に無い経験だと思えばやはり良い思い出になる気がした。その後はいつも通り、家に帰り着き淡々と食事や身支度や学生の本分をこなして就寝する、そこまでは本当にいつも通りだったのだが。
ダンダンダンダン!
丁度日付が変わる半刻程前、けたたましくドアを叩く音に半分まどろみかけていた意識が無理矢理起こされた。
時刻は深夜、普通の民家だって住宅街で同じ事をすれば苦情が来るだろう、ましてやこんな音の通るオンボロアパートでは騒音以外の何物でも無い。慌ててドアを開ければそこには、
「…折原さん?!」
「…あークソ、やっぱり可愛い。」
もう二度と会う事は無いであろうと踏んでいた今日の彼、が息を切らせて立って居た。