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紅梅色の多幸な現

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「帝人先輩って吸血鬼とか信じます?」
 噂の人物、竜ヶ峰帝人は資料室で押し付けられたらしい配布物の片づけをしていた。ブレザーを椅子にかけ、袖を捲くっているので細い腕が露になっている。白色人種とは異なる、ただ日に焼けていないだけの肌はやはり食欲をそそるものでは、ない。
「どうしたの、青葉君」
「昨日、観た映画が随分とリアルだったんで。恋人だった女に頭から食われていく男の話なんですけど」
 適当に話を作れば彼は曖昧に微笑んだ。
「いても不思議はないんじゃないかな。ほら、黒バイクとか実在するし」
実例である別の人外として無難であろう池袋では有名な都市伝説を上げる。自分を食う女を庇ってのことか、それとも彼女からは微塵も吸血鬼を連想出来ないのか、その笑顔からは判断しかねた。殊、捕食者に関してのみ彼は隠すのが巧い、というより、反応が明らかに乏しい。決定的なことなど何一つ吐露せずに曖昧な笑み。これでは埒が明かない、と手の内を明かしてみることにする。
「どちらかというと、首無しライダーより杏里先輩の方が近いんですけどね」
 曖昧な笑みを浮かべていた眼がその言葉に険を帯びたが、それを無視して捲くられた腕へと歯牙を立てれば、バサバサと資料が投げ出され、帝人は床に膝を着く。
「まあ、近いというよりまさにそれ、っていうのが先輩の目の前にいるんですが」
座っているのも辛くなったのか、ズルリと壁に凭れる帝人の目に映る青葉の虹彩は青く発光していた。
「吸血鬼としては初めまして、『青鮫』です」
名乗りを上げれば帝人は目を見開いて、どうして、と唇を振るわせる。
「池袋で先輩を知らない食人種なんていませんよ。どいつもこいつもお目にかかりたいと思ってるみたいです。俺は偶然にも見つけたから挨拶しておこうと思っただけですけど」
 答えつつ歯牙に着いた血を舐め取ってみれば少量での印象は悪くない。ついでだからもう少し食っておこうかと同じ場所に噛みついた。生温い血液が口内を満たす。やはり悪くない、味にしても質にしても。しかし
「そのはらさん」
噛みついたせいで麻痺したのだろう、舌足らずに帝人が普段から己を食う捕食者を呼ぶや否やドスリ、と咽喉に衝撃が走る。振り向こうと首を捻れば傷口が広がり、飲み込んで腹へと落ちる筈だった血液がドロリ、と制服を汚した。
「容赦ないですね、杏里先輩」
半ば首が切れているというのに事も無く口を利く青葉に、虹彩を真紅に染めた園原杏里は眉を寄せて刀を振り、完全に首を刎ねる。青葉が切り口からザラリ、と身体を崩して刀の間合の外で再構築する間に、杏里は帝人を守るように日本刀を構えていた。
「帝人君はおいしかったですか」
瞳の赤はまるで燃え上がる怒りを、守れなかったという悔恨からの血涙を閉じ込めたかのようで、その感情のままに杏里は青葉を睨みつける。ニコリ、と愛想笑いをしても構えが解かれることはなかった。
「放送で、職員室に呼ばれてませんでした?」
 予定が狂ったな、と内心で舌打ちする。杏里に知られる前に退散する予定だったのに、
「終わらせてきました」
来るのが早過ぎる。裏技――例えば『仔』を使ったか、または増やしたか――でも使ったなと判断し、まさか校内でそんなことをするとは思わなかったのでその点は評価を改める。
「帝人君を独りにすればこうなると思ったので」
「酷いですよ、後輩を疑うなんて」
「事実そうなりました」
日本刀という本性のまま、人間に似せた形容からは思いがけず攻撃的な性格をしているらしい。
「特に空腹でもないのによりにもよって帝人君に手を出したこと、絶対に赦しません」
霧や蝙蝠に化ける吸血鬼の特性上から回避率は高い青葉だが決して攻撃性は高くない。厄介な相手を敵に回したか、と逃げる算段をしていると
「そのはらさん」
焦点を結ばない眼で、しかし確かに杏里を捉えて帝人が笑った。
「ぼくはそのはらさんにならあたまからたべられてもかまわないからね」
 杏里の知る由もない会話で青葉が適当に作った話の内容だ。それは虚構の筈で、しかし帝人は現実で、一切の偽りも見られない笑顔で言ってのける。
 何だこの人間は、と青葉は瞠目した。
 杏里はそれまでの殺気を霧散させてただ幸せそうに帝人を抱き締め、青葉が噛みついた箇所より上、より心臓に近いところへ、傷を負わせるのに特化しているとは思えないその歯で無理矢理に傷を作り血気を啜り始める。最早、青葉のことなど眼中にないようだ。この隙に、と再び身体を崩し始めたところで杏里が一瞥くれてきた。
 その表情は、



 誰かに望まれたことはありますか吸血鬼としてではなく捕食者として許容されたことはありますか全てを許されたことはありますか私はあります今この瞬間にも私は許されています幸せですこの幸福を味わったことがありますか何よりも満たされるこの感覚を知っていますか知らないのでしょうね知っていたらその人以外をを襲うなんてしないでしょうに哀れですね哀れな吸血鬼ですね望まれているのは吸血鬼であって個人ではないのですね『青鮫』であって黒沼青葉ではないのですね哀れですね黒沼青葉幸福も知らないのですね黒沼青葉その不幸を以って血の海に沈め!



艶と彩度を増した眼で睨みつけながらも幸せに満たされた笑顔。
 ザラザラと身体を崩しながら、勝手に自分を不幸と決めつけるな、と毒吐いてしかし幸福だと言い切ることも出来ず。
「馬鹿じゃないのか、餌なんかに情を移して」
 資料室の外、やや離れた場所で身体を再構築させながら眉を寄せる。
 食い損ねたせいか空腹感を覚えたが血涙の塊の如き虹彩を思い出して、今は食事をする気になれなかった。
作品名:紅梅色の多幸な現 作家名:NiLi