紅梅色の多幸な現
黄土色
友人を思うならばこんな場所へ誘わない方が良かったに違いない、しかしそれでも呼んだのは偏に楽をしたかったからである。その結果として彼は寄生蟲である彼女を受け入れ、更なる結果として彼は池袋中の捕食者に目をつけられてしまった。今はまだ良い、彼がそうであると気づいている輩が少ないからだ。しかしいつかそう遠くない将来に知れ渡ることは想像に難くない。そうなったら責任は自分だけにあるのではないとしても、原因は間違いなく自分にある。
ならば始末くらいはつけさせて貰う。
紀田正臣はギロリ、とその眼を光らせた。
帝人は最近、よく眠るようになった。恐らくはそうでもしないとただでさえ少ない体力を保てないのだろう。元から食が細くその上で食費を削るなら後はもう眠るしかない、光熱費も浮いて一石二鳥だ、と輝かんばかりの笑顔で馬鹿なことを言った彼の頭を、その前にパソコン中毒を治せと小突いたのは、さてどれ程に前のだったか。記憶が正しければ彼が彼女の宿主となる以前だったことは間違いなく、未だに食生活を改めていないのならば今度は頭を小突く程度で済ませるつもりは微塵もない。最悪、自分で呼んでおいて何だが実家へ送り帰すくらいの気概はある。そうすれば少なくとも池袋よりは安全も保障され彼の食事情も改善される、一石二鳥だ。
――こんなふうにしたくて呼んだんじゃない
椅子に座り壁に凭れて眠っている帝人を見て思う。
元々が痩身で色のある肌ではなかったが、最近になって更に痩せて血色も悪くなった。ここまで弱った状態で寄生蟲の宿主と知れれば池袋中に捕食され良くて緩やかに衰弱死、悪ければ路傍で殺されてしまう。考えれば考える程に生物室の人体模型や骨格標本を直視出来なくなりそうだ。気分の悪くなる想像を打ち消すように頭を振って息を吐く。そうして彼のいる教室に足を踏み入れただけで室内の空気が緊張したものとなった。
「よっ」
笑顔で片手を挙げての挨拶に杏里は読んでいた本を閉じ、表情を消して出迎えた。構わない、正臣だって笑顔は表面だけだ。帝人の方を見ればよく眠っていて起きる気配はない。幸いなのか、そうでないのかは結果に因るのでこの際は放っておく。
「何だよ、親友が訪ねてきたってのに薄情な奴だな、帝人は。そんな奴は置いといて杏里、今日って暇? デートしようぜ」
「……遺書を書いて行った方が良いですか?」
「んな怖いこと言うなって」
「否定はしないんですね」
正臣と杏里は友人だった、仲だって悪くなかった。今だって友人だ、しかし以前のような親和を保つのは酷く難しくなってきている。正臣も表情を消した。
「仕方ないだろ、杏里が約束破ったんだから」
その瞳が黄へと染まる。
「帝人は食うなって言っただろ」
正臣は狼男の一種『黄賊』だ、当然ながら捕食者である。しかし食餌を人間に限定しない狼男は今や売られている精肉を主食としている。わざわざ人を襲って食おうなどと非合理的なことをすれば正当防衛の大義名分の下に兵器を以って駆逐されかねない。下手に敵対するより社会に紛れて安全に食糧を得る方が双方にとって無害且つ有益であるということで、狼男は凡そ人間に対して好意的だ。正臣も例に漏れず周囲の人間と友好的に接することで社会に溶け込んでいる。中でも帝人は貴重だ、オオカミを引き合いに出すなら同じ群の仲間に相等する。たとえ人間であったとしても仲間とした以上、弱っていくのを黙って見ている程に情の薄い彼等ではない。
「食わないって、食いたくないって言ったのは誰だよ」
「それについての言い訳はありません。過程がどうあれ、私は彼に寄生していますから。でも」
対峙する杏里の瞳も染まり始める。その真紅は燃える情熱か、それとも冷えた血液か。
「もう手放せません」
どちらでも構わない、杏里の思惑が善であれ悪であれ正臣のやることに変わりはない。
「そのせいで帝人に凄ぇ負担がかかってるんだ」
「分かってるつもりです」
「それでも、か」
「はい」
「じゃあ仕方ねえな」
自ら退いてくれれば、とも思ったのだが、寄生蟲は捕食者の中でも特に食糧難に苦しむ部類に入る。ようやく手に入れた、しかも思い入れのある宿主を自ら手放すなど有り得ることでもなかった。
「死んでくれ」
技術室から無断拝借して隠し持っていた釘抜きを振り下ろせば玉鋼色の刀身で防がれる。ガァン、と金属がぶつかる音が室内に反響した。
「幸せなので死ねません」
ヒュ、と空気を切る音と共に鈍色が迫る。ギィン、と再び不快な音がしてしかし、交差しているのは刃ではなく峰。殺すと宣言した相手を殺す意思がない、嬉しいことに向こうもまだ友人と思ってくれているらしいが正臣としてはやり難い。せめて杏里に殺意があれば躊躇することもないのだが。