二月の恋人
「イタリア、俺からだ」
ドイツが軽く咳払いをして、手に持ったリースを入れたカラーボックスをぶっきらぼうにイタリアの両手に持たせた。
二人は玄関ホール、ドアの直ぐ近くに立っており、家主のイタリアは招き入れた瞬間に渡されたものだから、驚いてドイツとカラーボックスへ交互に目を遣り「うヴェー」と困ったように唸った。
二月十四日、ヴォンサン・ヴァレンティーノ当日だった。
「あ、ありがとうドイツ。吃驚したよ〜、いきなり渡すんだもん。早く部屋に行こう、俺からのもあるからね!」
ボックスを開けるのはソファに落ち着いてから。イタリアはやんわりと笑み、わかったと返答したドイツの前を、ボックスを大切そうに抱えてダイニングへ向かう。ぴかぴかに磨き上げられた靴の軽やかな音ときっちりしたリズムで淡々と踏みしめられる重い音が重なりハーモニーを奏でた。
イタリアとドイツにとってダイニングのソファは特別な場所で、クッションが寄せてある右側にイタリアが、その左隣にドイツ、と位置も定着している。座り心地の良い革のソファは、イタリアが腰掛けると丁度良い具合に沈み込む。一人のときでもこのソファはイタリアの生活の基盤であり、そこにドイツも加わるというのはイタリアにとってささやかな喜びであった。きっとドイツと過ごした三分の二はここなんだろうな、とイタリアは思う。
「ドイツは座って待っててねー」
「あ、あぁ」
ドイツがソファの左側へ腰掛けると、イタリアはキッチンへと急いだ。調理台には大皿にラズベリーチョコクッキーが見た目良く盛り付けられており、イタリアはそれを両手にしっかり持つと、鼓動の音に自ら驚きくすりと笑った。毎年、彼に渡すこのときの緊張は変わらない。イタリアはそれが嬉しくて堪らなかった。
キッチンを出るとドイツはローテーブルに置いた、カラーボックスをじっと見詰めていた。
まだ開けていないその中には一体何が入っているのだろう、とイタリアは思惟する。
「ドイツー! はい、俺からのおくりもの!」
「おお、クッキーか。いい香りがする」
「そうでしょう、頑張ったんだよ。早く食べて!」
イタリアは大皿をローテーブルに置くと、尻尾を振るみたいにドイツに擦り寄った。
ベージュがかったサンド色のレースプレートに可愛らしく盛り付けられたイタリア作のラズベリーチョコクッキーは、普通のそれよりやや厚く、「チョコクッキー」と伝えられたドイツは丸みを帯びたそれにイタリアの独創性を見つけた気がした(実際には中にジャムが入っているからなのだが)。柔らかい天使画を思わせるチョコレート色のクッキーは粉砂糖が振り掛けられており、視覚的美味さを感じる。
ドイツがきっちりと焼きあがったそれを一つ手に取ると、イタリアもドイツからのカラーボックスを手に取って膝の上に乗せた。
「せーので開けよう、フライングはダメだよ」
悪戯っぽく微笑んで、イタリアが言う。それに返答すると、イタリアはカラーボックスのリボンに手をかけた。
「せーの!」
イタリアの元気良い掛け声で、二人は同時に手を動かした。ドイツはクッキーをほおばり、イタリアはカラーボックスを開ける。遠足の前の日のような感覚だった。
「・・・うまい、な」
「すっげー!」
二人して声を上げた。
クッキーの甘い香りがドイツの鼻腔をくすぐり、口内にフワリと広がったと思うと、普通のクッキーにはない冷たい、甘酸っぱいラズベリージャムがチョコレート生地の中から出てきてドイツの舌を甘美した。形の原因はこれか、とドイツは苦笑する。
一方で、イタリアはカラーボックスの中でまるで光って見えるリースに目を奪われた。生花とそれを恭しく守るようにまかれた銀色のワイヤーリボンは完璧な円形に出来ており、そのあまりの造形美に手を取るのを躊躇わせる。生花だからこその、生命を感じさせる輝きにイタリアは目を瞬いた。
「これは・・・イタリア、・・・」
ドイツはしばし言葉を失った。毎年、イタリアはこの日に菓子をくれるが今年は何か違うような気がしたのだ。
「おいしい?」
「ああ、とても、美味い。ありがとうな、イタリア」
「本当!? 良かったー! 頑張ったんだよ、生地を丸めるのが大変だったんだから〜」
イタリアはさも嬉しそうに太陽の様な表情を湛え、ドイツと目を合わせる。本当に嬉しそうだ。そんな彼の笑顔を眼に収めて、ドイツはふと頭の中にほう、と浮かんだものを知る。
(いっぱいお菓子作って待ってるからね ――――― )
突如脳を掠めたその台詞に、ドイツは疑問符を浮かべた。これは、一体・・・。目の前のイタリアと誰か知りえない者とが重なったような気がした。
「ドイツ?」
しかしそれは一瞬に過ぎない。ドイツはすぐに意味のわからないそれを振り払った。
「何でもない。もう一つ頂こう」
「うん、好きなだけ食べてね、全部ドイツのなんだから」
考えてはいけない、そんな気がしたのだ、ドイツは。甘い香りを放つクッキーをまた一つほおばると、ドイツの表情は自然と柔らかくなってきていた。美味しそうに味わって食べてくれるドイツを横目に、イタリアはそう、とリースをボックスから慎重に取り出した。手に心地好い生花とワイヤーリボンがイタリアの心を高める。
「あ・・・」
ヘリオトロープ、だ。イタリアは紫色の小さな花に目をとめた。小さいながらにこのリースの主役を飾っている。イタリアは、ヘリオトロープの花に感化された。神話を思い出したのだ。
愛し合っていた二人の仲は壊れていき、クリュティエは草花に変化してしまった ――――・・・。
イタリアはゴクリと唾を飲み込んだ。
(俺はもう、哀しみに暮れるヘリオトロープでは、ない)
掌のリースから酸素でも吹き出してくるかのように、イタリアの青色の心がゆったりを洗われ、改めて頷くことが出来た。
「とっても綺麗だよ、これ。ありがとう」
リースから、ヘリオトロープのバニラのような甘い香りが漂い、イタリアの鼻を擽る。哀愁の香り、といえた。
クリュティエはまたきっと、水の精になれる。
イタリアはうっとりと微笑んだ。
「イタリア。豊かなる海の都・・・」
「え?」
一人後散るようなドイツの言葉に、イタリアは驚いてリースから視線をドイツに移した、刹那。触れ合った、唇が。
音もなくふ、と重なり、落とされた口付けにイタリアは目を見開くがすぐに閉じた。頬が赤く、熱を帯びる。ドイツはイタリアの顎を片手でくい、と支えると薄目を開けてイタリアの細かな睫が色を添える白い肌を確かめた。眉尻が下がっている。白い肌に朱色が乗せられている。イタリアが可愛くて愛しくて仕方がなかった。
「んン・・・・・・」