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結び目

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燈治の微妙な心境など知る由もない少年は、燈治の耳に届くか届かぬかというくらいの小さな声音でそっとそう呟いた。それは半ば以上聞き取れず、燈治は問い返そうとしたのだが、燈治がその問いを口にする前にふと思い出したように顔を上げた彼が、重ねて燈治へ訊ね掛けた。

「そういや今日は……やきゅう、しに行くんじゃないの? こんなところで俺なんかに構っててもいいわけ?」

発せられた少年の言葉に、燈治の肩がびくりと跳ねる。
いま、彼は。
この少年は一体、なんと言ったのか。

「な、……、」

燈治は、少年のことを、何ひとつ知らない。
昨日まで全く、見たこともなかった。それなのに。
少年の方はそうではなかったのだろうか。何故、野球のことを知っているのだ。
もしや彼は、自分のことを知っているのだろうか。

「お、前、な、なんで、野球…………、お、俺のこと、知ってんのか?」

突然の言があまりに意外過ぎた所為ですっかり動転してしまい、うまく言葉が繋がらない。
しかし、燈治を動揺させた少年の方はといえば、やはり然したる感情も浮かべぬまま。華奢な肩を軽く竦めてみせた。

「知ってるよ。いつもいつも、放課後になると決まってやきゅうやきゅうって騒ぎながら廊下を走ってく……そうだろ? 俺が知ってるのは、ただそれだけ」

ほかにはなにもしらないけど

淡々と、そう付け加えられる。
言われた途端、燈治は、ひどい羞恥に襲われてしまった。不意に顔が熱くなる。
この少年が何処の組に属しているのか、訊ねていないので未だ知らぬことだが、どうやら自分は放課後いつも彼の教室の前を通っていたらしい、のだ。野球の場所取りの為に、大層急ぎながら。そして、その姿を目撃されていたのだろう。良い場所をいち早く使う為に急ぐのは燈治にとってとても重要なことだったし、至極当然のことである。だから、燈治は自身のその行動を恥ずかしいとは思わない。思うわけがない。
しかし、まさか、それをずっと見られていたとは思いもしなかったのである。
自分はそんなにも騒いでいただろうか。見知らぬ生徒にまで記憶されてしまうほど。眼についてしまうほど。
不意に知らされた事実が、何だか妙に恥ずかしい。
授業参観に親が訪れた時のような羞恥に燈治がひとり翻弄されていると、少年は静かにひとつ、嘆息を落とした。

「いつも…………よく飽きないな、って思ってた」

理解出来ない。そう言いたげに首を振る。
その所作を見た燈治は、反射的に彼の顔を上から覗き込んだ。

「や、野球は面白ェぞ!」
「ちょ、っと、うるさいな、静かにしろよ」

咎めるようにきつく睨まれたが、そんなもので怯む燈治ではない。

「お、お前が野球を馬鹿にするからっ、」
「だって、興味がないんだから仕方だろ? 馬鹿にしてるっていうより興味がないんだよ。ただ球を投げて打って捕る……そうすることがそんなにおもしろいだなんて、俺には到底思えない」

本当に、心底興味のなさそうに彼はそう言って。白い指で、己の前に置かれた厚い本の表紙を撫でた。ひどく愛おしそうに。その指を見れば誰にでも、たとえこの少年のことを何ひとつ知らぬ燈治にでも、彼が本に対してどういう感情を抱いているのかがようく判るだろう。

「外に出てそんなことをして過ごすより……俺は、本を読んでる方がいい。よっぽどいい。役に立つし、面白いからな。知らないことを知っていく、ってのはすごい楽しいよ」

彼の黒い色の眼に真摯な色が宿る。彼の口にする言葉は燈治にとってはやや難解である。
おかしなやつだ、と燈治はもう幾度目かになる感想を抱き、それから仕返しのように大きく首を振ってみせた。

「俺の方こそ判らねェよ、本なんか読んでて何処が面白いんだよ、頭が痛くなるぜ。本なんか授業だけで充分だっての」
「まったく、野球馬鹿らしい言葉だな」
「野球を馬鹿にすんな、って言っただろ!」
「だ、からっ、静かに喋れってこっちも言った!」

燈治につられてつい声を荒げてしまった彼は、己の音量にはっと気付き。慌てて己の口を噤んだ。
一番隅の座席であるとはいえ、大きな声を出せば、それはすぐに広く響き渡ってしまうのだ。燈治自身は慣れていない所為もあって半ば以上失念していたのだが、此処は図書室なのである。静かに本を読む為の部屋なのである。本来は、こんな風に雑談を交わすような場所ではないのだ。
彼にぎろりと睨まれて、さすがの燈治も身を小さくし。そうして小さな声でも会話が出来るよう、彼の傍らへ距離を詰めた。

「……図書室、来たことなくて知らないんだろうけど、ここでは静かにしなきゃならない、っていう決まりがあるんだよ」

傍らに立つ燈治へそう毒づいた彼の横顔には、今ひんやりとした怒気が籠っている。
そのことに気付き、燈治は彼の顔をじっと見詰めた。
其処に在るのは紛れもなく感情である。怒り、という名の。彼のおもてに浮かぶ空気は、いまは無色ではなく、たとえ低温であろうとも、怒りという名の色が其処にはついているのである。ただただ一定の温度を宿すだけの無機質めいた無味乾燥なものでは決してない。いま彼は明確な感情を発しているのだ。
何処か造りもののようで、それ故に幽霊のようにも見えた彼の輪郭が少しずつ少しずつ曖昧でなくなること。彼のおもてに、人間らしい熱が灯ること。
それらのことは何故か思いのほか、燈治のこころを軽くし、そうして喜ばせた。
黒い髪の合間から覗く彼の眼を見ても、いまは硝子玉のようだとは思わない。

「、わるかったよ……来たことはねェけどそれくらいは知ってた」

彼の変化に対し、うっかりとこぼれそうになった笑みを必死に押し込めながら燈治が詫びると、彼は素気ない表情のまま鼻を鳴らし、ふうん、と短く応えた。
彼の白い横顔を眺めながら燈治はふと、此処へ来る為にわざわざ図書室が何階の何処に在るのかを調べたのだと、そうまでしてももう一度話をしてみたかったのだと、彼にそう明かしてみようかと思い付き、一拍のあいだぐるりと逡巡したのだが。喉許にまでのぼったそれを結局、燈治は己の腹へ戻しておくことにした。
話をしたいと思った、その内容は、結局のところあの時に見た彼の不思議な現象についてのことである。彼があの時一体何を見ていたのか、燈治はそれを訊ねたかったのだ。燈治自身此処へ来てからようやく己の抱く疑問の核心がそれだったのだと自覚したのだが。しかし、対するこの少年はといえば、どうやらそれを隠しておきたいようなので。もう一度それに触れてしまうような話はよしておくべきだろう、と燈治はそう判断したのである。
勿論、燈治とて気にならないわけではなかったが、今ようやく彼が感情の片鱗を見せ始めているのだ。それを早々に壊してしまうというのは、あまりにも残念過ぎるはなしだろう。
そこまで考え、燈治は、自身が疑問の種を解決させぬままその状態に甘んじてその上で他の事柄を優先させたのだ、という事実に気付き、少し驚いた。
壇燈治というのは割合短絡的で、あまり耐えることのない子供である。脳に沸く衝動がそのまま行動に直結しているのだ。周囲からそう言われることが多かったし、自身でもその評価に対し別段異論はなかったのだが。それが。
なぜだろう。
作品名:結び目 作家名:あや