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結び目

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しかし少なくとも否定はされていないのだから、燈治はそれでいいのだと思うことにした。名が一番大事なわけではない。必要があればこれから追々訊ねていけばいいだけのこと。
彼の顔を覗き込みながら燈治が重ねて問うと、困惑の上に呆れと僅かな諦めのようなものを乗せて、少年は溜息を吐き落とした。

「………………………………ほんとに本気なのか……」
「本気だって。何回も言ってるだろ」

燈治には相変わらず、彼がここまで念を押す理由について全く理解出来ないのだが。
もしかしたら自分の誘い方に問題があるのだろうか。
燈治がそう考え始めた時、少年はゆっくりと顔を上げて。燈治の底に存在するものを全て残らず見据えようとするようなそんな眼差を閃かせたあと、本当に、ほんの僅かにだけ唇を緩めてみせた。

「……………………本当、思ってた以上におかしなやつだな、お前」

先刻とはまるで温度の違う、ひどく柔らかな声音。
形容されたその言葉は同じでも、そこに滲むものは今までとは全く違っていた。
それに。彼の口許に仄かに浮かんだのは笑み、なのだろうか。

こんな顔をしてわらうこともあるのか

一瞬の間、燈治の眼は彼の仄かな笑みに縫い付けられてしまい、咄嗟に言葉を返すことが出来なかった。

「…………まあ、折角なんだけどこれからすぐ、っていうのは無理。この本、今日返さないといけないやつだから。他にも予約が入ってるらしいし、いま読まないと今度いつ借りられるか判んないから」

己の浮かべた仄かな笑みに気付いているのかいないのか。彼はほんのりとだけやさしい顔をして、手許に在る重厚な本の表紙をそっと撫でた。

「だから……………………、あした、なら。それでもお前が構わないなら、だけど」

彼の視線が再び燈治の許へ戻ってくる。
そこでようやく脳の活動を再開させた燈治は、意味もなく慌てながら何度も頷いてみせた。

「、わ、かった、あァ、うん、明日だなっ」

けれど幸いにも彼の方は燈治の挙動不審さを特に気にする風でもなく。

「…………お前が良くても、お前の他のともだちが俺のことをどう言うかは判らないけど」
「、はァ? んな細かいことをいちいち言うような奴らじゃねェって……ていうか、もしなんかつまんねェこと言うようなら俺がガツンと言い返してやるから安心しろ、お前は何にも気にすることねェんだよ」
「そりゃあ……、たのもしいな」

そう言って薄く淡く笑う。
本当にそうなった時、果たしてお前はそれでもその言葉の通りに俺の為に仲間を糾弾するのだろうか、と。
少年の浮かべるその笑みの奥には、解けずに凍るそうした強い疑念が在ったのだが、燈治の眼にそれを見通すことは終ぞ出来なかった。あたらしいともだちの存在にひどく浮かれていた所為で。
彼はどんな球を投げるのだろう、どんな投げ方をするのだろうか、自分の投げる速球を打つことが出来るだろうか。いま居る仲間たちは皆なかなか燈治についてこれないので、もしこの少年が自分に匹敵するような、否、それこそ自分を打ち負かしてしまうようなプレーをしてくれると大層面白いのだが。
燈治の頭の中はもうすでに、彼とする野球のことですでに埋め尽くされてしまっていた。

とにかく明日の放課後、靴箱の前で待ち合わせをしよう。
そう約束を交わし、燈治と少年は別れた。
別れ際に彼が、お前にも読めるような簡単で面白い本を見繕っておいてやるから絶対に読めよ、と言って少し意地悪く笑ったのだが、燈治の為に彼がどんな本を用意してくれるのかと思うと、今までに読書といえば夏休みの宿題でしかほとんど読んだことのない燈治でさえ、何となく楽しみなような気がした。

彼は、本当に不思議な少年だった。
燈治は今までにあんな子供には出会ったことがなかった。どちらかといえば燈治とは対極に居るような質をしているのに、それでいて何処かがひどく近いような。そして根拠らしい根拠は何もなかったが、彼とはもっともっと親しくなれるような、そんな予感が燈治の中に沸き始めていたのだ。
もし、万が一彼ともっと親しい友人になることが出来たら。あのとき見ていたものについて、彼は話してくれるだろうか。いつか、そんな日が来るのだろうか。
こころの底から染み出して指の先にまで伝わっていくような、緊張にも少し似た不思議な高揚感。

本当に、おかしなやつだ

彼が口にしたように、燈治も今度はやわらかくそう繰り返し。
快い高揚感に己の身を浸しながら、燈治は明日を心待ちにした。



作品名:結び目 作家名:あや