こうやって過ぎていく街から
携帯が鳴った。
その携帯の番号を知っているのは、今のところ一人だけだ。
キーボードを打つ手を止めて、帝人はディスプレイを確認することもなく、通話ボタンを押す。
「もしもし?」
【あ、宮城です。お世話になります】
「お世話になります。何かありましたか?」
【依頼の方はどうなっているかと……】
「いまのところ、真新しい情報はまだ掴めていません」
【そう、ですか……】
数秒の間をおいて【あの……】と優人が切り出す。
【よかったら、会えませんか?】
「それは大丈夫ですが……」
【あまり長い時間は一人になれないんですが、ランチでも一緒にどうかと思って。お話もしたいし】
何かしないではいられないのだろう。宮城優人にとって、もしかしたらこれが、自分の記憶を取り戻せる唯一の機会かもしれないのだ。
「わかりました。またホテルに向かえば?」
【ホテルのすぐ横に「prodigieuk」という店があるんですが】
「なるほど、【最高】の店というわけですね。素敵な名前です」
【まいったな。あなたには、わからないことはないんですか?】
「わからないことを知っているように振る舞うのがうまいんですよ、情報屋は」
【そこで、明日の12時にお会いできますか?】
「ええ、大丈夫です」
【よかった。じゃあ、明日】
「はい。お会いできるのを楽しみにしています」
電話を切って、一息ついたのも束の間。今度は個人的な携帯に着信がくる。
「正臣……?」
帝人は訝しげに顔をしかめた。
メールは来ても、電話が来ることは少ない相手だ。
「もしもし?」
【おっまえ、友達から電話がかかってきたってのにその不機嫌そうな声はないだろ!】
「別に、不機嫌ではないけど」
【嘘つけ!俺傷心、めっちゃ傷心!つーことで今日の昼はお前の奢りな!】
「えー……なんかもう、ご飯一緒に食べることになってるし……」
【だっからなんでそんな嫌そうなんだよ!?いいだろ、久しぶりに飯でも食おうぜ】
「沙樹さんは?ついにフラれた?」
【不吉なこと言うんじゃねえ!沙樹とはラブラブだっつの!昨日も深く愛を確かめ、】
「切るよ」
【待て!今からお前んち行くから、用意して待ってろよ。オシャレしろよ?間違ってもコートなんて着てきたら引っぺがすからな!】
「セクハラ発言は慎んでください」
【じゃ、そういうことで!】
ブツ、と電話が切られて、帝人はため息を吐き出す。正臣はいつでもこんな調子だが、それが自分のことを想ってのことだと思うと、帝人は邪険にはできないのだ。この四年間、周囲に迷惑と心配をかけ続けた自覚はある。
帝人はもう一度、息を吐いて、椅子から立ち上がった。
正臣が来る前に支度を終わらせなければ、チャイムを連打されかねない。
***
帝人が玄関の戸を開けると、正臣が「よっ!」と片手を上げた。彼は相変わらずの金髪で、満面の笑みを浮かべられると、まるで太陽かなにかのようにも感じられる。夜行性の帝人にはまぶしすぎる友人だった。
「さーて、なに食おっかなあ。帝人の奢りだから、高い所がいいなあ」
「女の子に奢らせる男って最低だと思う」
「何とでも言え!俺は自由に生きる!アイッムフリーダムマン!」
「いつか正臣が全裸で街を走り始めるんじゃないかと、僕はいつも心配してるよ」
「なにその的外れな心配!?」
正臣がぎゃあぎゃあ騒ぐのを横目に「お寿司食べたい」と呟くと、「相変わらず、渋いよなあ帝人は。たまにはパスタとか食べたいとか言えねーの?」
「正臣相手に取り繕ってもなあ」
文句を言われながらも、その日の昼食はロシア寿司と相成った。
「オー!ミカドとキダ!よくきたネ!寿司食べる、チョウハッピー!お腹いっぱい、食べてクといいヨー!」
身の丈2メートルはあろうかという、板前服を着た黒人――サイモンの熱烈な歓迎を受け、帝人と正臣は座敷の席へと座った。
「今日のお勧めはロシアスペシャルよ!美味しすぎてホッペタ落っこちないように、押さえながら食べるといいヨー!」
「じゃあそれふたつで」
「マイドアリー!」
「いつきても、サイモンさんは元気だねえ」
「元気じゃねえサイモンとか気持ち悪いだろ」
熱いお茶を飲みながら、寿司が運ばれるのも待つ。会話は特にない。沈黙が気づまりでない関係というのは貴重だ。
「お待たせ!ミカド、いっぱい食べておっきくなるヨー」
「僕はもう、大きくなれないですよ」
「そんなことないヨ!寿司は万能、寿司は全知全能ヨ!帝人大きくなれ〜大きくなれ〜って願いながら握られた寿司ヨ!」
「握ったの、サイモンじゃないじゃん」
「だから電波飛ばしてたヨ〜。帝人大きくなれ〜ビビビ〜ビビビ〜」
「こえーわ」
寿司を食べて成長するかどうかはさて置いて。
ロシアスペシャルに舌鼓を打っていると、正臣が「今度闇鍋しね?」と目をキラキラさせて言った。
帝人はうんざりとした目で正臣を見た。
「この暑いのに、鍋?しかも闇?」
「暑いからいいんだろ!窓を閉め切りカーテンを閉じた暗い部屋の中で何を食べるかわからないというスリリングな鍋……考えただけでめちゃくちゃ楽しそうじゃねえか」
「普通に、辛いと思うそれ。ていうかなんのサバト?」
「しようぜ、杏里とか誘ってさあ!最近馬鹿なことしてなくて、つまんねーんだよな。童心に帰ろうぜ童心に!」
「馬鹿なのは正臣だけで十分だよ」
「からっ!ばっさりだな!?」
「そう教育されたもので」
下らないことを話しながら、ロシアスペシャルを食べ終える。
「今日は、何も言わないんだね正臣」
渋めのお茶をすすりながら、帝人が呟くと「ん?」と正臣はとぼけたような声を出した。
「めっちゃトークしてたじゃん!マシンガントークだったじゃん」
「そういうこと言ってるんじゃないって、わかってるでしょ」
正臣が、湯呑みを置く。
「俺に、何か言って欲しいのか?」
「別に」
「お前のオカンじゃねえんだから、口うるさいこといわねーよ」
「僕、そろそろ情報屋やめるかも」
「…………は?」
「やめるかも」
「え、待った待った待った。その心は?」
「疲れた、なんか」
ぼんやりと湯呑みを見つめる帝人に、正臣は焦ったように、座り直す。
「なんか、あったのか?」
「なにもないよ。いつも通り」
「今まで、やめろって言ってもやめなかったじゃねーかよ」
「そうだけどさ。なんかもう、全部どうでも良くなった」
「待て待て待て待て、待て!ウエイト!それでお前、情報屋やめてどーすんの?どうするつもりなの?」
「どうしよっかな。ロシア寿司で雇ってくれないかな」
「帝人なら大歓迎ヨー。看板娘、店繁盛!将来安泰!ガッチリボロモウケ!」
器を下げにきたサイモンが、オーバーなリアクションで腕を広げた。
「ちょ、サイモン!焚き付けるなよ!」
「キダ、何をそんなに焦ってるカ。何をするのもやめるのも帝人の自由ヨー。口出しはNGヨー。細かい男は女の敵ヨー」
「そりゃそうだけど!ちょっと今から深い話するから!」
「カリカリする、お腹空いてるから!ロシアスペシャルだけじゃ若者の胃袋は満たせなかったネ!すまなかったよー。今からとっておきのネタ握ってくるよー」
「腹は十分満たされてるから!」
「僕ももう食べられません」
作品名:こうやって過ぎていく街から 作家名:すがたみ