こうやって過ぎていく街から
喧騒、ネオン、香水、酒、煙草の匂い。耳の奥をつんざく音楽。この人いきれでは冷房はなんの役にも立たない。
正臣は酒の入ったグラスを握りしめて、じっとその縁を睨みつけていた。
夕暮れ前。
それでもクラブに、若者は集う。
カウンターの隅に座って、正臣はぐるぐると思考を巡らせる。ほとんどが、意味をなさないようなよしなしごとだ。
グラスの中では氷がほとんど溶けてしまっていて飲めたものじゃない。
注文したはいいが、ほとんど口を付けていなかった。
話しかけてくれるな――そんなオーラをまとった正臣に、バーテンすら視線を向けないのだが、そんな正臣の隣の椅子に座った猛者がいた。
「紀田、正臣君」
正臣は、びくんと身体を揺らして隣を見た。グラスの中身がこぼれたのを見て、「あーあ」と笑う。
「初めまして。宮城優人です。ああそれとも、初めましてじゃないのかなひょっとして?」
優人は、にこりと笑って「ジンのロック」を注文する。
「……なんで俺の名前を知ってる?」
「最近ってさ、ほんと便利だよね。パソコンか携帯さえあれば大概の情報は手に入れることができる。ちょっと怖いくらいだ」
すっと出されたグラスを傾け、優人は息をつく。
「俺に何の用だよ」
「昼間会った時、ちょっと引っかかってね。君、俺のこと知ってるんじゃないかなって。竜ヶ峰さんは否定したけど、なんか釈然としなくて」
「……あんたとは会ったことねーよ」
「俺、とはね。じゃあ【宮城優人】でない俺はどう?」
「何が言いてぇんだよ」
ぎ、と正臣は優人を睨む。
「そんなに睨まないでよ。俺、記憶喪失者なんだ。例えば俺と君が知り合いで、君が俺に敵意を持っていたとしても、それは俺であって俺ではないんだから怒られても困るんだよ」
すらすらと淀みなく話す優人に、正臣はちっと低く舌打ちする。
「知らねーって言ってんだろ。情報屋雇ってんなら、大人しく待ってろよ」
「竜ヶ峰さんのことは信用してるよ。でも、彼女は何か隠してると思うんだ」
「それこそ知ったこっちゃねー」
「本当に?」
「嘘言ってどうすんだよ」
「竜ヶ峰さんを守ってる、とか?」
グラスの中の氷をからころいわせながら、優人の口元は笑っていても目は注意深く正臣を見ている。
「さっさと帰れば。若者に交じってこんなとこにいる年じゃねえだろ」
「俺は自分の年すらわからないからね。こう見えて、まだ21歳とかかもしれないよ?」
「はっ」
正臣はようやくグラスに口を付けて、まずそうに顔をしかめた。もうほとんど水のような飲み物だろう。
「奢るから付き合ってくれないかな?今日はなんか帰りたくなくてね。でも一人で飲むのも寂しいし」
「可愛い女の子に誘われたら朝まで付き合っても良かったけどな。知らねぇ男と酒飲むとかマジ勘弁。家でかわいい彼女が待ってるからもう帰る」
「なんだ、彼女いるんだ」
「なんで残念そうなんだよ」
「いや別に、深い意味はないけど」
「ほんっと、やなやつ」
正臣はふんと鼻を鳴らして、カウンターに自分の分の金を置いてさっさとクラブを後にした。
「可愛い彼女、ねえ……」
そんなものがいたら、優人もすぐ家に帰っただろうけど、あいにく彼にかわいい彼女はいない。かわいい命の恩人はいても。
グラスの中身を飲み干して、「すいません、なんかきっついのくれる?」注文して出てきたのはウオッカだった。
「容赦ないなあ」
作品名:こうやって過ぎていく街から 作家名:すがたみ