こうやって過ぎていく街から
携帯がちかちかと点滅した。プライベートな携帯だ。無言で開くと、ディスプレイには今一番話をしたくない友人の名前が表示されている。
無視していると留守番電話に切り替わった。
【居留守ばればれだっつの。Beehiveっつークラブにあいついるから、迎え行けよ。他のやつに見つかる前にな。俺はなんも言ってねーから心配すんなよ。困ったことがあったら連絡しろ】
それだけで、切れる。
帝人は急いでコートを着込み、携帯と財布をポケットに突っ込んだ。Beehiveは池袋にあるクラブだ。池袋はまずい。
タクシーを拾って、クラブに向かう。
Beehive――蜂の巣、という名のクラブは、主にやんちゃな若者が集まる、半地下のクラブだ。帝人以上の年齢の人間ならそこで飲もうとは思わないだろうが、念には念を入れるに越したことはなかった。一刻も早く優人を捕まえてホテルに帰さなくてはまずいことになる。
タクシーの運転手に、すぐに戻るから待っているよう言って、クラブに駆け込む。駆け込む、といっても中は踊ったり立ち話したりする若者でにぎわっているので、思うようには進めなかった。
一人で飲むなら、テーブルではなくカウンターだろうという読みは当たり、間違えようのない優人の背中を見つけ出して、帝人はほっと吐息をついた。
「優人さん!」
「あれ?竜ヶ峰さん?」
優人が帝人を見て小首を傾げる。
「なんでここに?」
「そんなことはどうでもいいです。早く帰りますよ」
「えー?俺まだ飲み足りないんだよね。あ、すいません、彼女に飲みやすくてキッついカクテル作ってもらえます?」
「いりません」
帝人の顔を窺うバーテンに首を振って、優人を立たせようと腕を掴む。その熱さに驚いた帝人は「この人何を飲んだんですか?」思わずバーテンに尋ねた。
「ジンとウオッカを何杯かです」
「ウオッカ!?何杯も!?」
「酔ってないですよー」
「酔っ払いは総じてそう言うんです!タクシーを待たせてますから、ホテルに帰りましょう?春香さんも待ってるでしょう?」
帝人としては、そういえば優人が動くと思ったのだが、予想に反して優人は「春香?」と嘲笑を含んだ声で言った。
「春香、春香、春香。まったく嫌になるよね。なんで春香なんです?そんなに春香のことを気にしなくちゃいけない?」
「優人さん」
「俺は優人じゃない!!」
優人は、帝人の手首をぐっと掴んだ。熱い手のひらだ。酔っぱらっていて力加減ができないのか、骨が軋むような強さだった。
「俺は優人じゃない……知ってるんだろう!俺は優人じゃないんだ……家に帰りたい……」
「わかりました、もう帰りましょう?」
「ホテルは家じゃないし、宮城の家も俺の家じゃない!俺はもうずっと帰りたいのに、どこにも帰る場所はないんだ!どこに帰ればいいのかもわからないんだ!俺を帰してくれ!元に戻してくれよ、早く……っ!」
もう自力で立つこともできないのだろう。倒れかかってくる優人をなんとか支えて、帝人は落ち着けるように優人の背を叩く。
「俺のことを知らないなんて嘘だ。だって、だって俺は、絶対に、君を抱きしめたことがあるはずなんだ……君を……俺は……」
抱きしめられると酒臭かった。ぎゅうぎゅうと、力任せに抱きしめられると泣きそうだった。
「俺は君を、知っているはずなのに……どうして君は知らないふりをするんだ……帰りたい、帰りたいんだよ……」
「そうですね、そうですよね。ごめんなさい、僕が悪かったです。一緒に帰りましょう。あなたの酔いが冷めたら、全部話してあげますから」
帝人は目を閉じて、震える声で、言った。
「帰りましょう……臨也さん……」
作品名:こうやって過ぎていく街から 作家名:すがたみ