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こうやって過ぎていく街から

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 祈るような気持ちで、メールの送信ボタンを押した。
 返事が戻ってくることはないだろう。今までに送信した数十件のメールと同じように。それでもメールをしないではおられないのだ。ほんの少しの希望に縋ってしまう。
 ぎゅう、と握りしめていた携帯が振動して、春香は慌ててメールを開いた。
「ああ……!」
 その名前を見た瞬間に、ぶわりと涙がこぼれる。

 優人、優人、優人!

「優人……!!」
 喜びでかたかたと震える指で、メールを開く。

【話さなければいけないことがある。できれば孝三さんも一緒に】

 すぅ、と震えが引いた。
 ただ滂沱たる涙を流しながら、春香は表情の抜け落ちた顔で、返信を打つ。

【わかったわ。パパには話をしておく。明日の夜はどう?】

【できれば昼間がいい】

【パパは仕事だわ。知ってるでしょう?】

【知ってるよ。昼間に時間がとれることもね】

【頼んでみるわ。場所はうちでいい?】

【ああ】

【じゃあ、明日の昼】

【ありがとう春香】

 メールが、途切れた。
「あ、うっ、ああ……っ」
 春香は床にへたり込んで体を折り曲げた。
「あああああああああっ!」
 優人は戻らない。もう戻ってこない。今も、今だって、春香はこんなにさびしいのに、悲しいのに、辛いのに、優人はあの情報屋と一緒にいるのだ。あの情報屋が、春香の代わりに彼を慰め、癒し、愛しているのだ。
 助けたのは私なのに、私が助けたのに、ずっとずっと傍にいたのに、手当てして、あんなに慈しんだのに。
 優人はいま、あの情報屋と一緒にいる。
「……るさない、ゆるさない、ゆるさない、ゆるさないわこんなの。酷いじゃない……こんなのってないわ……」
 邪魔をすればただじゃおかない?殺す?
「そんなの、私だって同じなのよ……!」
 春香は、優人が所有していたパソコンの前に座った。
 パソコンはあまり、得意ではない。だが操作がわからないわけでも、利用方法がわからないわけでもないのだ。
 情報屋は、春香が怖いものをなにも知らないと言ったけど、けしてそんなことはない。
 こんな日がいつかくると、春香は優人と過ごしている間中、思っていたのだ。こんな日がやって来たとき、どうするか、も。
 電源を付け、カタカタと不慣れな様子で文字を入力していく。
「殺してやる…………」
 手の甲に、ぼたり、と涙が落ちた。

***

「メールですか?」
「ん?うん」
 リビングのソファに座っていた臨也はにこりと笑って携帯を閉じた。「新羅だよ」
「本当に、みんなをここに呼んで良かったんですか?僕の家でもいいんですよ」
「俺のために集まってくれるんだから、場所ぐらい提供するのが当然でしょう?」
「終わったころにはどんな惨状になっているか、瞼に浮かぶようです」
「明日の昼、ちょっと出かけてくるね。夕方までには帰るから」
「え……?」
 帝人が不意をつかれたように臨也を見て、不安そうに眉を寄せた。
 いとしい、と思った。
 この気持ちが【自分】のものであるのか【折原臨也】のものであるのか。それとも根底の同じ二人が同時に抱いた感情であるのか。泥のような何かが、胸をせり上がり喉を詰まらせる。口から吐き出すのだけはなんとか防いだ。
 帝人に悟られないよう、臨也は笑みを浮かべる。
「ちゃんと帰ってくるよ」
 ソファから立ち上がって、表情を曇らせる帝人の頭を抱き、唇を押し付ける。
「だからそんな顔しないで」
「……僕、どんな顔をしていますか?」
「心配そうな顔」
「僕も一緒に行ったら駄目ですか……?」
「駄目」
「そう、ですか……」
 臨也は顔を顰める。
 不快だったわけではない。
 いとしくて、いとしくて、あまりにいとしくて。
 これは自分の、自分だけの感情であるはずなのに、頭の隅を自分と同じ顔をした男の笑みが過ぎったのだけが、どうしても許せなかった。
「明日、鍋をすることになりましたよ。しかも闇」
 帝人にとりなすように言われて、「なんで夏に鍋?しかも闇」と臨也は底知れず渦巻くもやを飲み込んだ。
「どうしても鍋がしたいしかも闇、って言ってきかない人がいるんですよ。若干一名」
「わかった、紀田君だろう?」
「どうしてわかるんですか?」
「君の話を聞いていれば、だいたいわかるさ」
「さすが臨也さんですね」
 ぐる、と腹の底で何かが呻く。
「じゃあ今から買い出しに行かない?鍋の材料と、飲み物と、みんな成人してるんだからアルコールもあった方がいいよね」
「そうですね。各自、鍋を闇たらしめるアイテムを持ってきてくれるそうですよ。最低条件は【火が通らないと食べられないもの、チョコとかスープが台無しになるものは投入しない】です」
「…………結構範囲広くて怖いな」
「僕たちも、内緒で持ち寄るんですよ」
 帝人の笑顔を見て、ぐる、ぐるる、と呻く何かを、臨也は殺した。