こうやって過ぎていく街から
それからやって来たのは、身長2メートルほどの黒人(ロシア人だそうだ)、眼鏡を掛けた大人しそうな女、帽子を被った真面目そうな男とカップルなのかなんなのかわからない男女二人組、「ちょ!折原さん記憶喪失とかまじ神展開っす!」「さっすがイザイザ!私たちの期待を裏切らないわ!」「しかも恋人と奇跡と感動の再開って!」「それなんてラノベーーー!」
新羅とセルティはワインを手土産に持ってきた。
帝人と臨也を合わせてこれで十四人。あと一人やってくるというが、仕事があるので少し遅れるとのことだった。
先に鍋を始めるかという提案は、「全員そろって闇鍋やるんだ!」ということで却下された。
乾杯もそれから、ということで、アルコール類は下げられている。
女性陣が三つの鍋に出汁やら具材やらを投入し、鍋の準備を進めていく。
四つ目の鍋は闇用だ。出汁だけが入れられた。
各々わいわい喋っていると、ぴんぽ〜ん、とチャイムが鳴った。
一同黙り込む。臨也だけが、なんでみんな黙るの?とばかりにきょろきょろと見回し、立ち上がろうとした。
「待ってください臨也さん」
帝人がごくりと生唾を嚥下する。
「僕が出ますから、あなたは座っていてください。いいですか、彼を絶対に、刺激しないでくださいね?」
「静雄さん?」
「…………駄目だ……どうしても悪い想像しかできない。あなたはあの人を名前で呼んでも駄目です。お茶を濁しながらしゃべりなさい。サイモンさん、もしもの時は」
「任せるヨー」
「お願いしました。あの人を止められるのはあなただけです。では」
帝人はまるで死地にでも赴くような顔をして玄関に向かった。迎えに行ったにしては戻るのが遅い。
「どうしたんだろう?」
「念には念を入れてるんだよ」
舞流がけらっと笑った。
しばらくして、帝人は一人の男を連れてきた。
金髪の、背の高い男だ。なぜかバーテン服を着ている。バイクやら自動販売機を投げ飛ばすというから、どんな筋骨隆々な大男かと思っていたが、長身痩躯のその男がバイクを持ち上げる姿なんてどうしても臨也には想像がつかない。
男――平和島静雄は、青いサングラスの向こうで臨也を見た。
臨也は慌てて立ち上がる。なるべく話しかけるなと言われても、挨拶をしない方が失礼だ。
「今日は来てくれてあ、」
臨也は笑ったまま、表情を固めた。
人間のこめかみに青筋が浮かぶ瞬間というものを、初めて見たからだ。
「竜ヶ峰が頭下げるから来てやったけどよぉ、手前、俺に近寄んじゃねえぞ」
どろどろと低い声で言って、静雄は臨也から一番離れた席に座る。臨也も無言で座った。
(あんなのと会うたびに殺し合ってただって……?記憶失くす前なに考えてたんだ俺は……)
「き、気を取り直して!まずは乾杯しませんかみなさん!なんでもありますよ!何飲みます!?」
ビール、お茶、ジュース!酒。各々の注文を聞き終えてキッチンに向かった帝人を、臨也や年少組が追いかける。一人では到底運べないからだ。
「何も言わないでください臨也さん」
「うん……」
「酒飲ませて、さっさと潰そう」
「駄目だよ。酔うとリミッターが外れるかもしれない……そうなったらもうだれにも止められない……」
正臣の提案に帝人はふるふると頭を振った。
「とにかく、後は天に任せよう……」
お茶とジュースのペットボトル、酒の瓶などをテーブルに並べ終えると、正臣がビール缶を手にして立ち上がった。
「さて皆様!本日はお集まりいただきありがとうございます!不肖紀田正臣、乾杯の音頭を取らせていただきます!お手元のグラスはよろしいでしょうか?」
「まだ」
「早い」
「大人しくしてろよ紀田」
「うるっせえわ、さっさとしやがれ!準備はできたか野郎ども!」
「女の子もいまーす!」
「失礼レディたち。準備はいいかな?」
全員がグラスを持ったのを見て、正臣は缶を高く上げる。
「今夜のメインディッシュ闇鍋に、かんぱ〜い!」
「闇鍋メインなの!?」
という臨也の声は「かんぱ〜い!」という声に掻き消される。
「よっしゃー!じゃあさっそく闇鍋始めるぞ!ルール通り、火が通らないと食べられないもの、スープが台無しになるものは持ってきてねーな?まずは各々食料を見えないように手元に置いとけ、カーテン閉めて電気消すからな。もちろんクーラーも!」
ブーイングはねじ伏せられる。
全員の準備が整った頃を見計らって、正臣が電気を消す。「クーラーはつけておいてはどうか」という提案は「駄目」闇鍋将軍によって却下された。
とたん室内は闇に包まれるが、ガスコンロの青い炎のおかげで鍋を見失うことはない。人の熱気と鍋の熱気が、室内の温度をとめどなく上げていく。
十五人の手が、一斉に鍋に食物を投入する。
「スープがしみこむ前に食え!」「早く!」「選ぶなよ!」「あっつい!」「……なんだこれ……ぶよっとしてて生臭い……」「これもしかして、スルメかなぁ……」「あ、つみれだ」「生のピーマン入れたやつ誰だこらあああ!」「…………俺はいったい何食べてんだ……怖い……」「これは食物への冒涜ヨー」
ぎゃあぎゃあと阿鼻叫喚の地獄絵図――とはいっても音声だけで姿は見えないのだが――が繰り広げられる中、臨也も鍋に端を突っ込む。ぐにゃっとした触感が伝わり(あ……これ外れくさい……)と思ったのだが、そのまま持ち上げて口に運ぶ。
「ん?餅?餅……にしては甘いような……これ中に餡子入ってるやつじゃないのか!?」
「どこかの地方では、お雑煮に餡子の入った餅を使うといいますしそこまでナシではないんじゃないですか?」
「いや……俺これ無理……。甘いくせに出汁が滲みててなんともいえない微妙な風味……」
「おい電気つけろ!」「ていうかクーラー!熱くて死にそう!」「闇鍋とか馬鹿じゃねえのか!」「うるせえお前らもちょっと楽しんでただろうが!」
電気とクーラーがつく。
当たりを引いたものはそのままもぐもぐと咀嚼し、外れを引いたものは飲み物で流し込んで胸を押さえた。
「大丈夫ですか臨也さん?」
「……気持ち悪い……」
「飲んでください」
ビール缶を渡されて一気に煽る。
「鍋でこんなに気持ち悪い思いしたの、鍋に入ってるミカン食べて以来だよ……」
「はあ?なんで鍋にミカンなんていれてんだよ。臨也さんアホじゃねえの」
「違う。あれは俺じゃなくて……」
臨也はふと唇に手を当てた。
俺じゃなくて、あれは誰がいれたんだった?そもそも、鍋にミカンが入っていたことなんて本当にあったのだろうか。
呆然として顔を上げると、帝人の顔が真正面にあった。
ほろり、と頬を滑った涙を見て狼狽える。
「僕です……」
「え?」
「鍋にミカンを入れたのは、僕です」
「お前んち鍋にミカンいれるの!?斬新だな!?」
正臣が素っ頓狂な声を上げる。
「違くて、前、臨也さんと二人で闇鍋をしたんです」
「二人で闇鍋!?え……寂しすぎるなにそれ……ていうかなんで帝人君、あえてのミカンをチョイスしたの?」
「家にいっぱいあったから……ちょうどいいかなって……。思い出したんですか……?」
泣きながら臨也の手を握る帝人を見ていられない。臨也はたまらず、視線を逸らした。
作品名:こうやって過ぎていく街から 作家名:すがたみ