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こうやって過ぎていく街から

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 聞かれた、聞かれてしまった。もう駄目だ。終わりだ。帝人は絶対に許してくれない。記憶を取り戻すためにいろいろと手を尽くしてくれたのに。
 暗闇を走りながら、臨也は喉の奥を引き攣らせる。苦しいのは走っていることだけが原因ではない。真っ暗なのは夜道だけではない。頭の中も、なにもかも、暗い。黒で塗りつぶされている。何も思い出せない、思い出したくない、怖い。
 すぐ横を、風が通り過ぎた。
 それが影のようなバイクであることに気付き、よろよろと立ち止まる。
 バイクはエンジン音すらさせず、ただタイヤをアスファルトに溶かして行く手を立ちふさぐように止まった。
 PDAの灯りが灯る。
【落ち着け。話をしよう】
「話……これ以上、なんの話を……?」
【私に記憶がないことはもう言ったな?私はお前と話がしたい】
 ぐるる、ぐるるる、腹の中で呻くのだ。誰かが、何かが。呻いて、呻いて、呻いて、吐き出してしまいそうなのだ。
【ここで話はできないな。公園にでも行こう。私は店には入れないから。新羅がいなくては、私たちの家に行くこともできないし】
「こう……えん……」
【ああ。行こう。後ろに乗れ】
 臨也はふらふらとセルティに歩み寄り、言われるままに後ろに座った。
【掴まっていろよ】
 バイクはやはり無音のまま、滑る様に走った。
 公園のベンチに二人並んで座る。
【私は、頭を失う前の記憶がない。二十数年前から今日までの記憶しかない。どうして頭がないのかは、ここ数年内に知ったが、やはり思い出せない。頭を取り戻したらきっと全部思い出すんだろう。私は、今私の頭を誰が所有しているかも知っているが、取り戻そうとは思わない】
「どうして?」
【怖いからだ】
「怖い……?」
【頭を取り戻せば、代わりに記憶を取り戻すことができるだろう。だが、新羅と一緒に過ごした時間は全て忘れるかもしれない。私はデュラハンという妖精の本能に支配され、新羅を忘れ去り本来の妖精として生きるようになるかもしれない。どうなるかは、頭を取り戻さなければわからないことだ。頭は欲しいよ。私は買い物にも行けないし、新羅と行楽地に観光に行くこともできない。新羅に料理を作ってやりたいが、味見ができないから失敗することの方が多いしな】
 セルティは己の指以外にも影を操って高速で文字を打つ。
【それに、こういう時はやはり会話をしたい。文字ではどうしてもタイムラグが生まれるし、間合いも図りにくいから】
「君は、迷わなかったのか?頭を取り戻すことを」
【迷わなかった】
「どうして?」
【愛していたから】
 照れているのか、セルティはすぐに文字を消した。
【お前の気持ちはよくわかるよ。昔の自分を見ているようで少し辛い】
「君は俺のことが嫌いなんじゃなかったっけ?」
【嫌いだ。でも、お前は臨也ではないだろう?】
「……優しいな」
【記憶を取り戻すか、取り戻さないか。それはお前が決めればいい。誰のことも気にしなくていい。自分のことだけを考えて、選べばいい。でもな臨也、帝人君の傍から離れることだけはするなよ。それだけは絶対に、するな】
「……あの子が俺から離れるかもしれないよ……」
【ありえない。あの子はお前が好きなんだから】
「帝人君が好きなのは【折原臨也】だよ……」
【お前は臨也だ。折原臨也。記憶があったってなくたって変わらない。私がデュラハンのセルティ・ストゥルルソンだということと同じぐらい確実に、お前は折原臨也なんだ。お前は消えなくていい。消えなくてもいいんだよ】
 ぽん、とセルティに肩を叩かれた瞬間、涙がこぼれた。
 くっと喉の奥が詰まって息ができない。

 消えたくない、消えたくない、消えたくない。

 頭の中で繰り返し叫ぶ言葉は自分のものなのか、それとも【折原臨也】のものなのか。

 消えたくない。
 消えたくない。
 消えたくない。

 みんな、誰だって、消えたくなんてないのだ。本当は、誰だって。

【帰ろう臨也。帝人が待ってる】
「会わせる顔がないよ……」
【なんだと?仕方がないな。私が影でヘルメットを作ってやるからそれを被れ】
「……いやセルティ、そういう意味じゃない」
【…………日本語って難しいな!】
「漢字までマスターしておいて何言ってんだか」
【まあ、どっちみちノーヘルは危ないからな。ヘルメットを、】
 ヘルメットを被れ、と打とうとして、セルティは指を止めた。表情のない無機質なヘルメットが自分の背後を見ていることに気付いて、臨也も背後を振り返る。
 公園の入り口から一直線に、帝人が走ってくる。その後ろには白衣をはためかせた新羅が、はるか後方には静雄がのそのそと歩いてくる。大方、新羅が用心棒がてら彼を起こして連れてきたのだろう。
「思い出さなくていいから!」
 臨也から数歩分離れたところで立ち止った帝人が、息を乱しながら叫んだ。
「思い出したくなかったら、思い出さなくていいです。あなたの知り合いに会いたくないなら会わなくてもいいし、あなたの部屋にあるものを見るのが嫌なら全部捨ててもいい!この街に住んでいたくないなら引っ越しましょう、だから、だから……どこにも行かないで、一人にしないで……っ」
 一人にしないで、一人にしないで、と繰り返して泣きじゃくる帝人に、臨也は小さく言った。
「俺は折原臨也じゃないんだよ帝人君……君の好きな人じゃない……」
「その名前が好きなわけじゃない!僕はあなたが……、あなただから好きなんです!名前が嫌なら改名しましょう……!お願いどこにも行かないで、僕は、僕はもう、あんな……思いをするのは……」
 顔を覆って肩を震わせる帝人に、それでも臨也は近づけない。
 記憶を思い出さなくてもいい、なんて、嘘だ。
 帝人は臨也を、折原臨也を、愛している。生死が分からない折原臨也を、四年間も、血眼で探すほど愛している。
 最低最悪なクソヤロウを、愛して、いるのだから。
「君を愛してるよ帝人君……」
 臨也の震える声に、帝人が無き濡れた顔を上げる。
「でも俺には、この気持ちが俺のものなのか、それとも折原臨也のものなのか、わからないんだ……」
「構いません!」
「うそつき……」
「嘘じゃない。あなたの記憶があってもなくても、あなたが誰でも構わない!僕は折原臨也の記憶が好きなんじゃない!あなたが好きなんです。あなただけを愛してるんです」
 帝人はそっと臨也に近づいて、冷たい手のひらで、臨也の頬に触れた。
 臨也は苦しそうに目を閉じて、頬に触れる手を握る。
 小さな手。この手はきっと、昔もこうやって頬に触れたのだ。
「思い出したくない」
「それでいいです」
「折原臨也って名前も嫌いだ」
「それでいいです」
「消えたくない」
「それでいいです」
 ほろりと涙が落ちる。
「君を、愛したい……」
「愛してください、僕を」
 ほろり、涙が落ちる。
 ほろり。ほろり。落ちて消えていく。
 落ちて消えて、全て消えて、なくなってしまえば、きっと楽になれるだろうに。
 消えたくない、と誰かが叫ぶものだから。
 誰かがそう、叫ぶものだから。
 ぐるぐると、まるで洗脳するように繰り返すものだから。
「君を愛してる……」
「あなたを愛しています……」