鉄の棺 石の骸10
2.
Z-oneが、初めて不動遊星を目にしたのは、ほんの小さな子どもだったころ。自分が自分であると、胸を張って言えた時代のことだった。
あのころはまだ、世界はまだ滅亡の気配を見せず、もちろん、機皇帝など一片たりとも存在していなかった。
いつも通りの日常の、液晶モニターの向こう側に、彼の雄姿はあった。テレビで決闘者ドキュメンタリーを放送していて、たまたまその日が、不動遊星特集だったのだ。
司会者が不動遊星の簡単な経歴を説明してから、場面は「デュエル・オブ・フォーチュンカップ」の記録映像に移った。
不動遊星は、Z-oneの時代では数々の伝説を残した英雄だが、彼のデビューはそんなに華々しいものではなかった。「フォーチュンカップ」で決闘者としてデビューした彼を迎えたのは、観客からの酷いブーイングだった。
当時、ネオドミノシティは、天変地異(のちに人災と判明)でシティとサテライト地区に分断されていた。分断後、シティは世界有数の近未来都市として劇的な進歩を遂げた。それに引き換え、孤島と化したサテライトは、天変地異後の救援もろくに行われなかった。どころか、シティには置いておけないような工場を押しつけられ、犯罪者の流刑地に指定までされた。深刻な環境汚染と、犯罪率の高さで、当時のサテライト地区の環境は劣悪以外の何物でもなかった。
サテライト住民は、シティ住民から、それはもう酷い差別を受けていた。一応人間として見てくれるのはまだいい方だ。最悪の部類になると、モルモットだとか虫けらだとか、ゴミくず扱いされていた。当時の差別の苛烈さは、本物のゴミくずの方がまだいい待遇だったのでは、とも言われている。
不動遊星は、サテライトからやって来た人間だ。それも不法侵入だったらしく、「フォーチュンカップ」の時には前科者の証のマーカーが、左頬に惨たらしく引かれていた。
マーカー付きの遊星を見て、観客たちは、こんな人間は「フォーチュンカップ」に相応しくないとブーイングを飛ばした。この大会の優勝者は、当時デュエルキングだったジャック・アトラスへの挑戦権を得る。そんな名誉な場に、サテライトの前科者などいらないのだと。
実際にあった過去の出来事だとはいえ、観客の態度にZ-oneは怒りに我を忘れそうになった。後の歴史を知っているだけに、その場所を自分と代わってくれ、その場所はお前たちには相応しくない、と思ったのだ。
だからこそ、その場面で観客たちを取り成してくれた出場者の人に、Z-oneは心から感謝したものだった。
この大会で、不動遊星は、歴戦の決闘者はおろか、キングさえもその手で倒した。残念なのは、キングとの決闘が、機材の故障か何かで最後の場面以外まぶしくて見えなかったことだ。
こうして、不動遊星は、サテライト初のデュエルキングになったという訳なのだが。結局その後疑惑のキングと言われ、彼へのブーイングはしばらくの間止むことはなかった。
その直後、シティ住民の大量失踪事件や謎の巨大生物の出現でシティ中は混乱に陥った。混乱が一段落した後も、今度はシティとサテライトの融和政策が実現し、十数年間で築き上げられた価値観が数日で全て引っくり返された。
そのせいなのか、不動遊星の汚名が晴らされるのは、次の大会での出来事になる。
Z-oneにとって、遊星は不思議な人物だった。
遊星の伝説の最初の一歩、「フォーチュンカップ」。あの時の酷いブーイングにも、遊星は怒りもせず泣きもせず、その場から逃げ出そうともしなかった。ブーイングが飛び交う中、彼は何事も文句を言わず、堂々とその場に立ち続けていた。
普通の人間なら平常心を保つなんて無理な場面だ。なのにどうして彼は、完全にアウェーの地で偉業を達成できたのか。彼の無限の可能性、その原動力は何なのか。叶うならば、彼の原動力について訊いてみたかった。
Z-oneのいた時代でも不動遊星はまだ生きていたが、Z-oneが思春期に入りかけた頃にこの世から去っていった。彼の悲報には世界中の決闘者が涙し、Z-oneの嘆きようは言葉に表せるものではなかった。
Z-oneのしてみたかった質問は、永久に訊けずじまいになるところだった。普通ならば。
未来世界の人類は、十数年で目覚ましい進歩を遂げた。反面、どこか退廃的な雰囲気も漂い出し、ついには世界中のネットワークが暴走し、機皇帝の襲撃が始まった。
長じて科学者になったZ-oneは、モーメントと人類の行きすぎた進化が結びついて、世界の滅亡の要因になっていることに気がついた。モーメントの遊星粒子が人の欲望に左右され、間違った方向に流れているのだと。
人々は、Z-oneの警告を信じなかった。Z-oneの話を聞こうとはしなかった。立ち止まっている間にも、機皇帝は人間を狩りに来る。世界の命運よりも、我が身の安全が最優先だった。
Z-oneも、自説を翻して自分だけ逃げることができた。だが、Z-oneはそうしなかった。滅んでいく世界をこのまま黙って見ていられなかったのだ。
自らの警告を世界中の人々に伝え、人々の心を正しい方向に導く。それを成し遂げるには、一体どうすればいいのか。
困り果てたZ-oneは、方法を探すべく、ありとあらゆるデータを無差別に漁った。そうしてたどり着いたのが、不動遊星の記録映像だった。
昔と変わらぬままの遊星の活躍場面を眺めながら、Z-oneは歓喜した。
見つけた。世界が必要としている無限の可能性は、実はこんなところに隠れていたのだ、と。
Z-oneは自身を改造し、「不動遊星」の人格データをその身にコピーした。
Z-oneの期待通り、「遊星」は人々を正しい方向に導いてくれた。後の話になるが、アンチノミーがクリアマインドを獲得した時には、これでやっと自分の行いが報われると喜んだものだった。
「遊星」の器としての生活は、それまでに比べると窮屈なものだった。肉体の操作権は全て「遊星」を最優先した。「遊星」が極度に疲労したり、何かの拍子で意識が入れ替わったりでもしなければ、「Z-one」は表に出られなかった。
傍から見るとそれは魂の牢獄以外の何物でもなかったが、Z-oneはとても幸せだった。これで世界は救われるのだと固く信じていたからだ。それに、外部の人間とは連絡が取れなくとも、「遊星」だけには話ができる。そのことにZ-oneはとても満足していた。
しかし、前々からしてみたかった遊星の原動力についての質問は、「遊星」になかなか切り出せなかった。面と向かってそういう質問をするのは、何となく気恥ずかしかったのだ。やっとのことでした質問も、返って来たのは『お前たちだ』という至極簡単な答えだった。
Z-oneは考えた。何としてでも遊星の可能性の源を知りたいと。
Z-oneは、ことあるごとに「遊星」に話しかけるようになった。周囲の人に怪しまれないよう、一人きりになった時を見計らって。