最愛の人
ただ、口を閉ざして、立ちつくす。
眼を伏せた。
「……まァ、しょーがねーよな」
しばらくして、銀時が言った。
さらに、踵を返した。
つられるように顔をあげると、背中が見えた。
去ってゆく。
銀時は戸の近くまで進むと、手に持っていた番傘を納屋の壁に立てかけた。置いていくつもりなのだろう。桂が使うようにと。
おそらく何気なくしたことなのだろうが、その光景は桂の胸になぜか迫ってきて、眼を少し見張る。
銀時は戸に手をかける。
土砂降りの雨の中に出てゆくつもりなのだろう。
「銀時」
名を呼んだ。
いつのまにか口を開いていて、その名を口にしていた。
呼び止めるために。
銀時は手を止め、ふり返った。
少し首を傾げて、こちらのほうを見る。
「なんだ」
問われて、一瞬、言葉に詰まった。
呼び止めたのは、なにも考えずにしたことだ。
けれど、呼び止めた以上は、その理由を答えるべきだろう。
考える。
銀時はなにも言わずに戸の近くに立っている。返事を待っている。
やがて、逡巡しつつも、桂は口を開く。
「違うんだ」
どう答えるのが最善なのかはわからなくて、ただ、自分の気持ちに一番近い言葉を口に出した。
銀時は黙っている。
だから、迷いはあったが、続ける。
「……これまで、俺は、深野さんだけじゃなくて、その、男から、ということがあった」
どうしても歯切れが悪くなる。自分と同じ男から言い寄られたことが何度もあったことを口にするのは抵抗があった。自分の容姿が女のようであることを、認めたくないのに、認めなければならなくなるような気がして。
「もちろん、全部、断った。そして、全員、去っていた。そのとき、俺は呼び止めなかった。むしろ、去っていくのを見て、ほっとした」