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最愛の人

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 思わず、表情が強張った。
 向こうも同じだ。
 けれども、歩く足は止めない。
 距離はどんどん縮まる。
 あと一歩ですれ違うところで深野は足を止めた。
 しかし、桂は足を止めない。
 深野の口が開かれるまえに、その横を、ぎこちなく頭を下げて足早に通りすぎた。
 あと少しで自宅の帰りつく。
 それだけを思って、深野が歩きだしたかどうかは考えないようにする。
 ようやく自宅の門から敷地内に入ると、足が止まった。
 桂はほっとひと息つく。
 だが、脳裏にさっきの深野の姿が浮かんだ。
 すれ違うまえに、強い視線を向けてきた。
 せつない眼差し。
 それが、今、桂の心に重くのしかかっている。
 自分は、ちゃんと、応えられないと返事した。
 そう思う。
 けれど、応えられないと断られたからといって、そこですっぱりと断ち切れるものではなかったのだろう。
 でも、自分は男だ。
 応えられない。
 真剣な、強い想いも、ただただ重く感じられるだけ。
 それを深野に言うわけにはいかないが。
 いや、深野は気づいているのかも知れないが。
 迷惑なのは知っている。
 そう深野はあのとき言った。
 たしかに迷惑だ。
 そんなこと言えるはずがない。
 どうすればいい。
 悩む。
 ふと、銀時のことを思いだした。
 今日、塾から帰るまえに喧嘩をしてしまったが、もし、あんなふうなことにならなかったら、相談したかったと思った。
 しかし、いや、と打ち消す。
 いや、話して良いことではないだろう。
 それに、今日の喧嘩の内容から考えても、銀時がまじめに取り合ってくれたかどうかわからない。冷やかされるのは嫌だ。
 だれにも相談せずに、やりすごし、時間が経つのを待つしかない。
 桂はそう結論づけ、玄関のほうへと歩きだした。

      




作品名:最愛の人 作家名:hujio