【無二の接点】
「ああ、思ったより早く片付いた」
新羅は趣味を疑いたくなる白衣姿だった。一昨日の晩に見掛けた気がしたのは、やはり気の所為だったのだろうかと静雄は首を捻った。新羅が敢えて嘘をつく理由も思い当たらないし、園原の目が紅く見えたりと、臨也が見つからないことで動転しているのかもしれない。心に余裕を失くしつつある静雄に新羅は安穏と尋ねてくる。
「あの後どう? 何か手掛かりは見つかった?」
「まだ何も」
力無く左右に揺れた金髪を目に新羅は、そっか、と少しだけ調子を落とした。
「なあ、臨也の奴。チーム同士の抗争に絡んでたことがあったのか?」
セルティは水に流すような様子だったが、抗争の中心にいたという相手を得意先にしていたことがどうにも胸の中で引っかかっていた静雄は直球に疑問を口にした。新羅は少しだけ目を見開いて、ああ、と一人納得した。
「セルティから聞いたんだね。確かに首を突っ込んではいたみたいだけど…それがどうかしたの?」
「いや…そんなこと知らなかったからな。ちょっと気になったんだ」
「あいつはすぐに帰ってくるよ」
気を揉む静雄に、新羅は何処までもあっけらかんとしていた。
夜。静雄と別れた新羅は人目を気にしながら、ホテルのフロントで声を掛けた。
「空き部屋を一室貸して欲しい。人と待ち合わせたいんだ」
その数時間後、夜も深い時刻。顔を大きなサングラスで隠した赤いコートの人物が足早に部屋の一室から去っていくのが防犯カメラに映されていた。
○2月16日
「刃物で一刺し」
翌朝の早い時間、電話で呼ばれて静雄が向かった先に待っていたのは厳しい顔つきの刑事と事情聴取だった。事情もわからないまま一人で行っては何かしでかしてしまうかもしれないと静雄は竜ヶ峰に付き添いを頼んでいた。
「新羅さんの容体はどうなんですか?」
「致命傷は避けているが、まだ意識が戻らない」
一先ず新羅の命には別状がないと聞き、静雄は安堵の溜め息を漏らした。
「彼は13日の夜にこちらに着いていたらしい」
「? 俺には昨日の朝着いたって」
「そうなると彼は嘘をついていたことになるな。お前に会うまでの一日、何をしていたのか…」
刑事の言葉に夜の街へと消えた二人の姿が静雄の脳裏を過ぎった。
(やっぱりあの夜見たのは新羅だったのか?)
自分の見たものが間違いでなかったとすると、園原との接触もあったのかもしれないと静雄は考えた。ただ、新羅が隠したそれをあまり得意としない警察の人間に言う気にはなれず、口を噤む。誰も口を開かず黙り込んでしまった中、バイブにしていた静雄の携帯電話が震えた。重苦しい空気から逃れるようにポケットから取り出すとセルティからのメールだった。
『みかどからきいた新羅がさされて意識不明なんて私をだまそうとしているんだよな?!?』
セルティは旧知の仲であった竜ヶ峰から聞いた事情を確認するために静雄へとメールをしていた。文面からは彼女らしからぬ動揺が伝わり、どう返すべきか迷いつつ事実だと静雄が肯定すると、即座に返ってきたメールには犯人への酷い怒りが篭められていた。直ぐにでもここまで飛んで来て犯人を見つけ出して殺しかねない感があったので、それを竜ヶ峰に伝えると、容態は安定しているから東京に輸送できるよう手配してあるとセルティに伝えておくと早速メールを打ち出した。またもや青年の手腕に驚かされ、静雄はしばらくぽかんと口を開いていた。
もう少し詳しく事情が聞きたいので待っていて欲しいと、静雄は待合スペースに腰を下ろしていた。しばらく竜ヶ峰も一緒だったが、どうしても外せない仕事があるからと申し訳なさそうに頭を下げて、一足先に警察署を後にしていた。仕方なく静雄は手持ち無沙汰に煙草の箱を弄っている。火を点ける直前に禁煙の貼紙に気付いて慌てて煙草から口を離したのは数十分も前のことで、次第に苛々が募る。そんな静雄の視界に沙樹の姿が飛び込んだ。
何処で聞きつけたのか、と不思議に思う静雄の姿を認めて近づいて来る。
「襲われたのは臨也さんではないんですよね?」
「ああ。刺されたのは新羅っていう俺と臨也の腐れ縁の奴だ」
沙樹はわずかに息を呑んだが、すぐに感情の読めない顔つきに戻して会話を繋ぐ。
「一体誰が?」
「部屋から飛び出していった奴が新羅を刺したっつーのが警察の見解だ。赤いコートを着てたらしい」
「赤いコート…女性、でしょうか?」
「わからねえ。もしかしたら…」
「もしかしたら?」
「新羅は臨也に会おうとしていたのかもしれねえ。あいつだったら臨也の行方を知っていても不思議じゃないからな」
「でも臨也さんが新羅さんを刺すとしたら理由はなんでしょうか?」
「さあな。確かに普通に考えたら何でそんな真似する必要があるかわかんねえな。俺は臨也のことはこれっぽっちも知らねえからよ」
憶測を出ない会話をしながら、静雄はひとつの仮説を立てていた。
「流石に臨也が新羅を刺すとは思わねえがよ………臨也はもう誰かに殺されてるんじゃなねえかと思うんだ。そして新羅はその誰かに刺された」
「静雄さん。まだ結論を出すには早過ぎます」
どちらにしろ、どれだけ当て推量で話をしても何も解決しない事はどちらもがわかっている。確証のない推理はそこで締められた。署内の日常会話や雑音が二人の間の沈黙を埋める。
「今死なれたら困るんだ」
ともすればそれに紛れてしまいそうな静雄の声は微かに震えていた。
「頭の中ではどんなに押し込めようとしても、繰り返し最悪の結果が現れる。思わず目を逸らした…打ち上げられた死体の姿がこびりついて離れない。最後に会った臨也の顔がそれに重なって、息ができなくなりそうなんだ」
静雄は自分の腕を回し、暴れ出してしまいそうな自分自身を抱きしめる。
「俺は臨也のことを何も知らないとよくよく思い知った。でも今回の一件を自分で無事見届けられれば、より臨也を深く知ることが出来るんじゃないかとそう思うんだ」
更に力を込めれば、みしりと骨は軋んでそのまま砕けてしまいそうになる。
「…一方で誰の口からでもいい。早く知りたい。生きているのか死んでいるのか。もし本当に新羅を刺したというなら何のためにそんなことをしたのか」
ようやく解放した自分の額を膝の上で組んだ指に押し付けた。独白する今の自分はとても情けない顔をして、とても惨めだろう。そう思いながらも静雄は口にした。
「俺は自分がわからない」
どうしたいのか、何を望んでいるのかわからない自分に怖れを感じていた。
沙樹はただ黙って静雄の言葉を聞いていた。こんなことを聞かされてもどうしようもないとはわかっているので、答えなどを静雄を求めたわけではなかった。
「ひとつだけいいですか」
一歩静雄に近づき、正面から肩に回されたのは女の細腕、沙樹のものだった。ふわりと纏う空気感によく合う春の花の香りが静雄の鼻を擽った。
「本当に思っているなら諦めては駄目です」
泣き出しそうな子供を宥めるような優しい声に、静雄はただ小さく頷いた。
夜。