【無二の接点】
「その男は8日に遺体が上がっている」
「8日?」
「知らなかったのか? 折原臨也ならそれくらい調べていそうなもんだが…直接聞いたわけじゃないのか」
「…ああ」
「そう言えば最近見ねえなあ、あいつ」
刑事の何気ないぼやきに臨也の声がリフレインする。
『8日には帰るよ。一週間なんてすぐさ』
何故直接関係ないはずの男の死に臨也が重なったのか。静雄は空になった紙コップの底を見詰めながら、自分自身に疑問符を浮かべた。
刑事は竜ヶ峰が掴んでいないことも把握していた。事件に無関係ではないからと、人情味のある刑事の人柄にも訴え、半ば強引に聞き出すことに成功した。
園原杏里の旦那は奈倉という名で元々東京出身、仕事の関係で独り北陸にやって来たところに園原と知り合い、懇ろになった。正確には内縁関係で婚姻届は出されていない。何の仕事をしているかは誰にも明かさず、忙しなく東京と行ったり来たりを繰り返してあまり家にいない男だったが、園原は不満も漏らさずよく尽くしたという。奈倉も彼女を大事にしており、並んで歩く園原は幸せそうだったと隣近所にも知られていた。
「そんな女が殺人を犯すなんて思えないだろ」
自信を持って言い切った刑事に、最後、ついでに臨也がこちらでどんなことをしていたのかと聞くと、苦く笑って言った。「本人は正義の情報屋とか自称してたな。人のこと『ドタチン』とかあだ名で呼びやがって、探偵気取りでよく現場も引っ掻き回された」それを聞いて竜ヶ峰が警察関係者と面識があるのにようやく頷くことが出来た。
園原杏里のアパートに辿り着いた静雄は、その外観が記憶の中にあることに瞠目する。それも見たのは東京、もう一枚の写真だった。
殺人未遂の現場だけあってまだ数人の関係者が残っていたが、話を聞いた警官の名前───門田京平───を出して適当に嘯いて中に潜り込む。二人暮らしには狭い1LDKだが、確かに二人分の食器や生活用品が揃えられていた。リビングダイニングを抜けた部屋の隅、白い布を被せられた台の上には位牌と線香。
そこに見つけてしまった。
ぽつりと置かれている指輪。
静雄はポケットから臨也が去り際に預かった指輪を取り出し、警官の目を盗み手にしたそれと見比べる。左右対称のデザインだった。特注品で世界にこの一対しかないと自慢げに話していた臨也の顔が浮かべば、疑惑は確信へと変わる。無意識に入る指の力が指輪を文字通り潰してしまいそうだった。
臨也は、奈倉としてここで暮らしていた。
そして奈倉は2月7日に投身自殺、翌8日に内縁の妻の園原杏里に死を確認された。
静雄は遺書が残されていたという断崖に立った。
「…っざけんなよ…!」
ここから落ちたと考えられているが、臨也の正確な死に場所は何処かわからない。
落ちる途中、崖にぶつかって死んだのかもしれない。
水面に叩きつけられて死んだのかもしれない。
運よく海まで落ちてから波に飲まれて死んだのかもしれない。
ただ、この広すぎる海原が墓場にしか思えなかった。広く広く闇色に包まれる海辺の墓。人一人など容易く飲み込んでしまう暗闇に、打ち寄せては砕ける波の音に、帰ってくると約束した臨也の声が混ざっているような気さえした。
黒い海に向かい、静雄はただ、慟哭した。
○2月20日
園原は奈倉───臨也が自殺した原因を探ろうとして、東京の友人だと名乗った新羅と会っていた。新羅を乗せたタクシーの運転手から裏が取れた。話の大半が自分の恋人についてだったが、どうせ無関係な人間だからとぺらぺら喋っていたのが逆に印象に残ったとは運転手の談だった。そして理由は不明だが、二人の間に諍いがあり新羅は刺された。これは新羅の意識が戻れば裏付けが取れるだろうと警察は見込んでいる。また捕まるのを怖れて自分のことを調べている竜ヶ峰の口封じをしようとした。それが警察の見解だった。
調べていくうちに園原杏里も数年前に東京の抗争の中心にいた一人だとわかったと静雄は聞かされた。竜ヶ峰が話していた銃刀法違反もその当時のことだと門田は付け足した。
園原杏里のアパートから押収した遺書があるというので、これもまた無理を言って見られるよう取り計らってもらう。ポリ袋に入れられた遺書は園原杏里宛てのもので、その筆跡は東京の自宅に届いたものと残酷なほど酷似していた。
詳しい理由は述べられないが、自殺をする。人に言うことが出来ない煩悶を抱いて生きて行くことに疲れた。これまでありがとう。最後に偽名で筆は擱(お)かれていた。
遺書を長テーブルに置くと、その隣で静雄は拳を握りしめた。
「俺は奴が自殺をするとは思えない! どうして俺には遺書がないんだ!?」
沸き上がる感情のままに叩きつけた拳にテーブルの天板が割れる。
「どうして俺にそんな仕打ちをするんだ!」
異常なその音に周囲の視線が注がれる。
「どうして! どうしてだ!? 許せねえ!」
そのままテーブルを投げ飛ばしそうになる静雄を止めたのは視界に入った竜ヶ峰の制止の手だった。額に青筋を露わにしながらも、ぴたりと静雄の全身が止まる。正面に立った竜ヶ峰は自分より長身な静雄の背に腕を回し、上下にゆっくりと摩った。
「あなたはもう十分がんばった。後は警察に任せて池袋に帰った方がいい」
穏やかな声音に、静雄から止め処なく溢れ出るのは言葉にならない嗚咽と、涙だった。
「お別れですね」
列車の手配は竜ヶ峰がした。力無く肩を落とした静雄の表情をそっと見上げるが、返事はない。
「さようなら」
静雄に差し出されたのは竜ヶ峰の右手だった。怪我まで負わせて散々世話になったはずの竜ヶ峰に言うべき言葉が見つからず、握手だけして、静雄は北陸の地を後にした。
○2月21日
東京。
新宿のマンションに帰った静雄は、臨也の残した写真を再び手にしていた。
「やっぱり見間違いじゃなかったか…」
一枚は紀田正臣の邸宅。もう一枚は園原杏里のアパート。
「どうして何も話してくれなかった」
二枚を辞書の間に戻そうと適当にページを捲る。
「…何だ?」
静雄が見つけたのは三枚目の写真だった。他の二枚と比べて昔のもので、少し色褪せて写っているのは制服姿の三人。その全てが出会ったことのある人物であることに、静雄は目を疑った。紀田正臣と園原杏里ともう一人。
「竜ヶ峰…帝人」
三人が一緒に、まだ学生時代の幼さを残す笑顔と共に写っている。何故これを臨也が持っているのか。この四人を繋ぐものは何かと考えたとき、静雄は家を飛び出していた。
「来ると思っていたよ」
静雄は新羅の元を訪れていた。意識を取り戻していた新羅がベッドから痛みに顔を歪めながら半身を起こす。セルティも静雄が何を聞きに来たか、既にわかっているようで無理をする新羅を諌めようとはしなかった。
「教えてくれ」
四人を繋ぐもの。
静雄には一つしか思い当たらなかった。数年前に東京で起こったという抗争。静雄に座るよう促してから、新羅は重々しく口を開いた。
「抗争は三つの組織によるものだった」
『竜ヶ峰帝人が創始者のダラーズ。紀田正臣を将軍とする黄巾賊。園原杏里が核となっていた罪歌。そしてその抗争を引き起こしたのは、折原臨也』