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また数日がたったある日のことだった。
放課後に公園に寄るというのは、もはや日課のようになっていた。
今日は何を話そうか、と考えながら臨也がいつもの場所へ行けば、当たり前のように彼女がいた。
ただ、その日は少し様子が違った。
彼女は座って読書をしていなかった。それどころか座ってもいなかった。ベンチの上に寝そべり、静かに目を閉じていた。
その姿はまるでよくできた人形のようだった。生きているかどうかも疑わしくなるほどだ。しかし、規則的に上下する彼女の胸や聞こえてくる呼吸音が、確かに彼女が生きているということを示していた。
彼はただそれを見ていた。見入っていたと言ってもいいかもしれない。彼は彼女を起こそうとは思わなかった。
そこでまた、彼は異変に気づいた。
つうっと、透明な雫が彼女の瞼の下から流れ出たのだ。
ひとつ、ふたつ、みっつ。
彼はどきりとした。そして息をのんだ。彼女の顔から目を逸らすことができなかった。
どくり、どくり、どくり。
体全体で心臓の鼓動を感じた。息が少ししづらかった。頭はただ、今見た光景でいっぱいだった。
美しい、と思った。純粋にただ、美しい、と。
触れてみたいと思った。
触れてはいけないとも思った。
しかし欲には勝てなかった。それどころか、その時の彼が正気だったのかも定かではない。
そっと、壊れ物を扱うように、静かに、手を出した。その綺麗な涙を拭ってみる。透明なそれは彼の指の上にあった。舌でなめてみれば、僅かにしょっぱい。
まだ、彼女は起きなかった。周りには誰もいなかった。いや、気づかなかっただけかもしれない。何せその時彼に見えていたのは彼女だけで、聞こえているのは自分の心音だけだったからだ。
そっと、彼は顔を近づけた。
どくどくどく。
鼓動は更に大きく、早くなっていた。
どくどくどく。
彼女の唇と彼の唇が触れ合った。
数秒だったはずだ。
顔が離れても彼女は未だに目を開けなかった。
彼は耳の奥で何かがさーっと流れていくのを聞いた。彼はしばらくの間手で口を覆って少しも動けなかった。
彼は不思議だった。こんなにも、気持ちが高揚していることが。キスは初めてではなかった。初めての時もこんなふうにはならなかった。こんなものか、と、それだけだったのに。
原因は知っているような気がした。すぐ目の前にあるような気がした。
彼は目を閉じた。分からない。知りたい。知りたくない。
恐怖していたのではないか。今はそんな気もする。
彼はその時、ただ、彼女にはやく目を覚ましてほしかったし、そのまま寝ていてほしかった。

「ねぇ、起きて。なあ」
その時彼は初めて彼女の名前を知らないことに気づいた。
「ん・・・」
彼女の瞼が震える。
早く目が覚めてくれと、彼は強く思った。
「あ・・・」
「起きた?おはよ。こんなところで寝るなんて危ないよ」
ゆっくりと開かれた彼女の瞼の下の、その真っ黒な瞳を見て彼は安堵した。動悸は相変わらずだったが、少し落ち着いた。
「・・・何か悪い夢でも見た?うなされてたよ」
「べつに、何も・・・」
「そっか」
彼ははたと彼女の頬の涙の跡に気づいた。そして目許がまだ濡れていることにも。これはいけないと、指先で水気を拭ってやる。
「!・・・え?」
「泣いてた」
「・・・私、泣いてた?」
「うん。・・・あのさ、何か、あった?」
「何か、って?」
彼女が身を堅くしたのに気づいた彼は、安心させるように優しく語りかける。
「ごめん。よく知りもしない奴に言われても困るよね。ただ、さ・・・気になって」
「気に、なる?」
ゆっくり彼女の隣に腰掛けながら彼は周りを見渡した。公園内は数人だがちらほらと人が見えた。初夏にさしかかる時期特有の爽やかな風が2人を包んで吹いていた。
「うん。ただ気になったんだ。何もないならいいんだ。良かった」
「良かった・・・?」
彼女は心底不思議そうに彼を見つめた。これはこれで問題だと彼は目を合わせられず、明後日の方向にある木の枝が風で揺れているのを見つめた。
「学校に嫌いな奴がいるんだ」
何かを話さなければならない。そんな焦りが彼を駆り立てて、学校のこと、家族のこと、思いつくままにべらべらとしゃべっていた。
「それで、妹がやんちゃでさ。祖父母がいるからいいけど、やっぱり世話役は俺に回ってくるんだよね。困るよ、ほんと」
「妹かあ。妹もいいなあ、可愛いじゃない。私は年の離れた弟がいてね。かわいくて仕方ないわ」
「あれ、結構ブラコン?」
「よく言われる。自分でもそう思うわ」
そう苦笑した彼女はいつもと違って見えた。いや、その日の彼女はやはり何かが違ったのだ。まるで今にも風に溶けて消えてしまいそうな、手を伸ばしたら触れることもできずに指をすり抜けていきそうな。彼女は儚かった。危うささえ感じられた。彼はその異変に気づいていた。
「私、帰らなきゃ」
「もう・・・?あ、いや、そっか」
「うん。じゃあね」
「また、明日」
彼女は微笑みで返して去ろうとした。しかし、彼はそれでは納得できなかった。今彼女を帰してしまうのに抵抗があった。どうにかしなければと。
「っ、待って」
気づけば彼の手には彼女の細腕があった。
「?」
「あ、のさ・・・えっと、・・・」
「えぇ」
「・・・えっとだから」
どうしたら彼女をここに留まらせることができるのか。ぐるぐると頭の中でそればかりが回っていた。その時の彼にはなぜか、いつものような思考も冷静さもなかった。
「これから、どこかに行かない?」
「・・・どこかって?」
「ゲーセンとかファミレスとか」
「あまりお金を持ってないわ」
「奢るよ」
「悪いわ。・・・それに、うち、両親が共働きで家のことは私がやってるの」
「そっか・・・でも」
「弟の面倒もみないといけないの」
「空いてる日ってない?携帯持ってる?」
「予定はよく分からないわ。携帯は持ってない」
「あ・・・家の電話番号おしえてくれない?」
「ごめんなさい」
ぴしゃりとそこで切られてしまう。
「あ・・・」
「私、帰らなきゃ。ご飯の支度をしないと」
もう彼には彼女を引き止める術がなかった。理由もない。
指が離れた。
「じゃあね。さようなら」
「うん、じゃあ」
彼は彼女の後ろ姿を見えなくなるまで見つめていた。それから力が抜けたようにくたっとベンチに座る。
本があった。彼女が置いていったものだ。パラパラめくっては閉じる。めくっては閉じる。
「あー」
彼が上を仰ぎ見ると、青々とした木の葉が目にいっぱいに入る。
桜はもうとっくに散っていた。

作品名:あともう少し 作家名:亜沙覇