夜を駆けていく
すると、ありがたいことに部屋にいるもう一人が、同じことを貴族に尋ねてくれたのだ。
「……あと数年で興行はおやめになるので?」
「ああいうのは女と一緒だ。若いほうがいい。十年前は性別の区別もつかずに簡単に誤魔化せたが、そろそろ限界だろう」
「なるほど。確かにそうですね」
「……」
この興行を貴族は数年でやめるつもりだと知って、ペンギンたちは少しうろたえた。未来に関して嫌な予想しか立てられない。
労働力となれるペンギンとシャチはまだいいけれど、動けないローを貴族が奴隷として生かし続けるメリットはないのだ。
背筋がゾワッ、と冷える。
──まさか……。
あと数年のうちに『行動』を起こさなければ、取り返しのつかない事態になるかもしれない。みぞおちが冷たくなる感覚に、拳を握り締めて耐えた。
「では、悪魔の実は返しますか?」
「何故、返さなければならんのだ?」
「は? え……、猫はお渡しにならないのでは……」
「すでに献上されたものだろう? 貴族たる私に市民が貢ぐのは当然のことではないのかね」
「は、はい! 誠に、その通りでございます!」
「数年後だったら、その願いを聞いてやれないこともなかったがなぁ」
気味の悪い笑い声が響いた後で、意味のわからない会話が切り上げられていた。部屋の明かりが消される。辺りはまた真っ暗になった。
キッドたち三人は、それぞれの理由でしばらく立ち上がれなかった。
「ペンギン……、急がねぇとやばくねぇか?」
「ああ」
シャチとペンギンは、数年のうちに必ずローを貴族の手から救いださなければいけない必要に迫られた。
以前、キッドが海賊だったらと言った理由もこれに関連するのだが、ペンギンたちは政府や海軍に追われても構わないと言い切れるほど反骨心の高い無法者をずっと探しているのだ。
できることならこの島でそういった連中を見つけてしまいたい。数年という単位は決して長くはないからだ。
「おい。トラファルガーはどうなる?」
キッドの問いに、ペンギンは話すべきかを少し悩んだけれど、結局は打ち明けることにした。
今は、どんな小さな力でも借りたかった。
「……恐らく殺される、と思う」
キッドの眉間に深い皺が刻まれる。
「よくて、どこかの島に置き去り、じゃないかな。ローさんは動けないから、どっちにしてもそれは死を意味する行為だ」
「……」
ローは足に怪我をして行動する自由を奪われた。貴族に脅され見世物となることを余儀なくされた。十年前からそんな生活を強いられてきたのだ。
貴族の懐を潤すためだけに。自らは鉄の檻の中に囲われた状態で、何もかもを犠牲にしてきたというのに。
──いらなくなったら、捨てるだと?
しかも殺される確率のほうが高いだろうという、ペンギンの話だった。
はらわたが煮えくり返りそうなほど沸騰している。
貴族という生き物のことを、キッドはまったくわかっていなかったのだ。
ギリ、と奥歯を噛みしめる。小さな慰めだけではもう満足できなくなっていた。
ローを貴族の手から救いだし、檻の中からも解放する。それぐらいのことができてやっと、キッドも一人前の『男』になれるような気がした。
ちっぽけなスラム街の悪ガキは卒業だ。大海原に轟く大海賊となる日がきたのではないだろうか。
たとえ形は違っても、抱き続けた夢は夢だ。政府や海軍に追われ続けることへの覚悟が定まってしまえば、さんざん悩み続けた島を出る方法にも一つの目星がついた。
──使えるものは、なんでも使えばいい。
もともとそうやって、キッドは生き抜いてきたのだ。
黙りこんで考えているようにも見えるキッドを、ペンギンたちは邪魔しないでおいた。
迷惑をかけるつもりなんてなかったけれど、ローの命が掛かっている以上、キッドの力を借りることは悪手ではないのだ。
ローはキッドに惚れている。彼の言葉はどんな甘言よりも耳に優しく届く。それは行動を起こす上でのロスが少なくなるということだった。
考えがまとまったのか、キッドが顔を上げてこちらを振り返ってきた。
「お前ら、あいつのために命を賭けられる覚悟はあるよな?」
突然の確認にペンギンもシャチも面食らったけれど、問われた内容についての答えなら十年前からすでに確定済みだった。
「ああ」
「当たり前だ!」
鼻息も荒く答える二人に、キッドはニヤリとした笑いを浮かべた。
「おれに一つ考えがある。協力してくれ」
ペンギンとシャチは顔を見合わせた。
「いいけど……どんな案だ? 勝算はどれだけある?」
冷静だと評価されているペンギンの問いに、キッドはむしろ頼もしさを感じたくらいだった。
「簡単だ。アイツをさらって逃げる」
「おいおい! 逃げるってどこへ? 船はあんの!?」
シャチは呆れたような声をあげた。任せて大丈夫かなと、途端に心配になったほどだ。
「船はこれから交渉に行く。……それに少しアイツの力を借りてぇんだがいいか? もちろん、変なことに利用なんかしねぇよ」
要するに、貴族が客にしていることと似たような手を使いたいという話だった。
ペンギンは少し躊躇ったが、キッドも同席することを条件で許可を出した。それなら、ローも気分よく接することができるだろう。
「決行は?」
「明日でどうだ? 夜中なら動きやすいだろ」
「わかった」
スルスルと決められていく重大な作戦に、シャチは大きく身震いをした。
明日の今頃の自分の運命がどうなっているか。神様とやらがいるのなら、ただ上手くいくことを願うばかりだった。
キッドは屋敷を離れる前に、もう一度だけローの顔を見ておいた。珍しいと言っていた寝顔は泣きはらしたせいで少し腫れぼったい。
「明日、お前に本物の夜明けを見せてやるよ」
聞こえているはずはないけれど、必ずそうするというそれは誓いでもあった。