夜を駆けていく
「おおっ!」
「……やっぱり、金属に反応するっぽいな。いいぞ、当たりの実だろう」
「そうか?」
能力者になったキッド本人は、まだピンとこない能力に首をかしげるしかない。金属を吸い寄せることで、何か有効になるだろうか。
「大有りだよ。銃も剣も大抵は金属だ。衛兵たちから、海軍からも奪ってしまえるし、それをおれたちが使うこともできるようになる」
「!」
ペンギンの説明に、キッドもシャチもやっと腑に落ちたように顔を輝かせた。
「労せず武器が手に入るのか。そりゃあ、確かにいいな」
「でも、銃弾や砲弾なんかも吸い寄せちまうんじゃねぇか?」
慎重なシャチの意見に、今度はペンギンがハッとする番だった。
「……その力は吸い寄せるだけか?」
「……と言うと?」
「金属を弾き返すとか。それができれば砲弾は無効になる」
噂でしか聞いたことのないキッドは『悪魔の実』について何も知らないのと同然だった。文鎮が吸い寄せられただけでも驚きなのに、その逆のこともできるかと問われて、ただ感心するばかりだった。
奴隷とはいえ、彼らは伊達に十年もあちらこちらを旅していたわけではないのだ。これから初めての航海に出るキッドたちにすれば、とても心強い味方だと言えた。
「念じればいいのか……?」
「わからない。やってみてくれ、なんでも」
『悪魔の実』の能力を早く把握して、自分のものにもしなくてはならない。キッドはペンギンの求めに応じてあらゆることを試してみた。
*
キッドがあれこれ試してみてから数分後。扉の前にいたシャチが外の物音に気がついた。
「見張りが倒れているのを見つけたっぽいな。ザワザワしてる」
「ちょうどいい。この力を試してみよう」
新たに手にした魅力的な能力を馴染ませる意味もある。相手としても手頃な感じだった。
扉のすぐ前で足音が止まる。不審者を探しにきた衛兵の一人が部屋の惨状に一瞬、目を瞠っていた。その隙を見逃さずにキッドは能力を振るった。
金属に分類されるものすべてがキッドの手の中に吸い寄せられる。まだコントロールが上手くできないが、逆に言えば加減する面倒が省けてよかった。
哀れな実験台は金属の塊に吹き飛ばされていた。その物音にまた足音が近付いてくる。
「……静かに切り抜けるのは無理そうだな」
「どうせ今日でお別れなんだろ。せいぜい置き土産をしてってやろうぜ」
「それもそうだ。当面の資金として、金目のものを貰っていこう」
「うわー……、ついにおれも犯罪者かぁ」
奴隷になる前は善良な一般市民の子供だったシャチは、深々と息を吐いた後で、どこかすっきりしたように顔をあげた。
屋敷の内部に、大きな花火が上がったのだ。
キッドが暴れる隙をついてペンギンたちは持てるだけの金品を奪っていく。衛兵たちがなぎ倒されていく最中でも、キッドの頭の中には一つだけ引っかかっている事案があった。
「おい、貴族の野郎がどこにいるか、わかるか?」
「何をする気だ」
聡いペンギンに笑い、案内しろとさらに迫る。
「どんな奴か、顔を見ておきてぇんだよ」
「……寄り道している暇はないぞ?」
「顔を見るだけだ」
口をヘの字にひん曲げて、ペンギンは低く唸っている。それだけでは済まないだろうと予測しているからこそ、決断がしにくいのだ。
「……わかった。本当に一瞬だぞ」
「ああ」
素直に頷いてみせたものの、キッド自身にも自分の行動が読めていなかった。
ただ、ずっとモヤモヤとしたものが胸の中に留まり続けているのだ。キッドは貴族に対してなんの因縁もない。このまま無視して屋敷を出たほうがいいと、自分でも分かっていた。
けれど、ローのことを思い出すたびに、どうしても堪えられない苛立ちが募るのだ。
──姿を見たら、ぶん殴るかもしれねぇな。
ペンギンたちと共に廊下を移動しながら、キッドは自分の考えをいまだ定められずにいた。
「……ここだ」
「いるかな? この騒ぎだから起きているかも」
キッドは目の前にある扉に手をかけて押した。呆気なく開かれる扉の向こうには、寝巻き姿の中年の男がベッドへ腰掛けるそばに、召使いらしき男が一人付き添っているのが見えた。
「なっ!? なんだ、お前ら……、まさか!」
「衛兵!」と叫ぶところだったと思われる行為を強引に終わらせて、キッドはベッドの前まで近付いていく。
顔を見るだけ、という目的はとうに過ぎ去っている。ペンギンは「はぁ」と小さなため息をついていた。
「な、なな、なんだ! 何だと言うのだ! お前たち、猫付きの奴隷じゃないか! なんの真似だ、いったい」
中年の男は慌てた風ではあったが、取り乱すことなくキッドたちの前に立っている。
腐っても権力者。矜持だけは一人前に持ち合わせているようだった。
ペンギンは腕を組んだふてぶてしい態度で貴族に言った。
「すいません、アンタの下ではもう働けないので、出て行くことにしました」
「……なっ!?」
次に、シャチも続く。
「おれも同じく。ついに縁が切れて清々しますね」
中年の男こと貴族は、ペンギンたちの三行半に口をパクパク開けて唖然としていた。
キッドは『貴族』を、上から下までじっと眺めてみた。
個人的に恨むようなことはないから、その姿を見ても特になんとも思わない。憎いといった感情もなかった。
「おれは別に、てめぇにかける言葉なんかねぇけど」
そこで初めて、貴族の視線がキッドに向いた。誰だ、という不躾で蔑むような眼差しに、キッドはニヤリと笑った。何故だか、笑えたのだ。
「……でもよ、てめぇのこと殴りたくても殴れねぇ奴がいるから、代わりにおれが殴ることにした」
貴族の表情がギョッとしたものに変わる。
「男なら歯ぁ、食いしばれよ!」
「……! ま、ギャァ……!」
あがった悲鳴は途中で強制的に遮られていた。吹き飛ばされた身体は壁に当たり、反動で下にあるベッドの上に落ちる。
スプリングにぼよんぼよんと揺れる身体が起き上がってくることはなかった。
キッドが殴ったところで、ローの負った傷が癒えるわけでもないけれど、せめてそれくらいのことはしてやりたいと思ったのだ。
「ありがとう」
「……あ?」
「おれらにはできないことだから。代わりに礼を言わせてくれ」
ありがとう、と。ペンギンとシャチの二人に頭を下げられたキッドは、戸惑いつつもそれを素直に受け取っておいた。
「さて。あとは最後の大仕事が残っているな」
「ローさんも屋敷の騒ぎには気付いているだろうね」
シャチもペンギンも笑顔だった。内緒の企みには違いないから、早くローを喜ばせたくてたまらないのだろう。
そんな二人を見てキッドも笑い、窓から少しだけ見える庭に目をやった。
「行くか」
「おー!」
一刻も早くローを連れ出して、スラム街へと戻り、そこからいよいよ憧れの大海原へと旅立って行くのだ。
逸る心を抑えきれないかのように足が早く動いている。全力疾走も苦にならないくらい身体が軽かった。
まだ残っている衛兵たちを一人残らず気絶させてから、キッドたちは中庭にいるローのもとへと急いだ。