夜を駆けていく
地獄なんて言葉じゃ生温い
下町へ降りてきたペンギンは、さっそく酒場に入って情報収集を開始していた。
ローが話した特徴は以下のとおり。
燃えるような赤い髪の毛を逆立てている。がっしりとした体型。鋭い目つきをしていて顔がちょっと怖い。
この三つの情報だけでどれほどの成果が得られるか分からないが、まずは定石どおりに人の集まる酒場を一通り歩いてまわったところ。
「燃えるような赤い髪つったら、そりゃおめぇ、ユースタス・キッドだろ」
「赤い髪でがっしりした体型……。それならスラム街のキッドのことかな?」
「怖い顔した赤い髪の男? なんだ? キッドに何か用か? あいつは狂犬だぞ? 噛み付かれるぞ?」
「あれは相当な悪だ。ガキの頃からろくなことしてねぇんだから」
「どうもありがとう」
ペンギンは最後の酒場を出たところでため息をついた。あまりにも簡単に情報が入手できたことは拍子抜けだったが、気がかりなのは内容のほうである。
「見事に判で押したような答えだったな……」
どうやらこの辺りでは有名な男らしい。それもあまり評判がよくない方向で、だ。
──困ったな……。
人々の口からあがった人となりをそのまま鵜呑みにするつもりはないが、それにしても悪評ばかりが伝わってくる男である。
この男をローと引き合わせて平気なのか。ペンギンには判断がつかなかった。
けれど、会いたいと言ったローの願望を打ち砕くような真似だけはしたくない。とりあえず今日のところはもう夜も遅いから、ペンギンは停泊している屋敷へ戻ることにした。
手に入った情報をシャチに話し、どうするべきかを一緒に考えるのが吉だろう。
*
「キッドの頭。昨日の夜、下町の酒場で頭のことを聞いてまわっていた男がいたそうですよ」
「なんだと?」
遅い朝食を口にしていたキッドは、一瞬だけ食べる手を止めた。昨夜は島から出る方法を考えてみたのだがどれも八方塞で上手くいかず、イライラしながら眠りについたため就寝が遅くなってしまったのだ。
「……久しぶりに聞く、面白そうな話だな」
かじっていたパンを口に含むと、スラムでも安く手に入るブレンド茶を呷って一気に喉の奥へと流し込み、食事を終わりにする。
「どこのどいつだ?」
「それが、見たことのない奴だったそうです。全員がそう答えてましたから、余所から来た奴なのかもしれません」
「余所者がおれに何の用だ?」
スラム街のキッドといえば、下町にだってその名はとどろいている。さすがに丘の上の連中が知ることはないだろうけれど、そもそも彼らはこの世に貧民窟があることを知っているのかも怪しい浮世の生物なのだ。
上流階級の連中がキッドを嗅ぎまわるなどありえない。となると、残りはそれ以外の者ということになる。
「キッド。ひょっとしたら、昨日の貴族たちかもしれない」
キラーが横から口を挿んできた。
「おれもその可能性が高いと思います」
キッドに情報を運んでくるブレーンも同調する。
「何故だ?」
「頭は昨日、車の中にいた例の生き物を見たでしょう?」
「連中にしてみたら、それはアクシデントに違いないからな」
キラーはさらに続けてくる。
「そうまでする理由はわからんが、口止めの要請か、口封じか、そんなところじゃないか?」
二人の話に、キッドは檻の中にいた生き物のことを思い出していた。外見はほぼ人間と変わらないのに、獣に似た耳が余計にくっついていたあの姿。
あれは本物なのだろうか?
例えば、ただそれらしく付けただけの人間、という可能性はないだろうか。
それならば、貴族が口封じのためにキッドを探す理由にも繋がる気がした。
──そうか。
なるほど、とキッドは勝手にそう結論づけて納得しようとした。『興行』であるのなら、何も本物である必要はないのだ。
「もし口止めなら、金をせびれるか」
「おとなしく支払うとは思えないがな……」
「交渉に来るのが下っ端なら、殺したところで意味もねぇしな」
「口封じだとすると、頭の命が狙われますね」
「ハハッ、面白れぇ……。返り討ちにしてやろうじゃねぇか」
血の気を漲らせるキッドの性質は「恐ろしい」の一言だが、彼が自分たちのリーダーだと思えば頼もしい限りである。
スラムの子供たちがキッドを慕うのも、その庇護下に入れてもらいたいがためだ。そうやって膨らんでいった組織を守り抜くにはどうしても金が必要なのだ。
貴族が交渉に来てくれるのなら願ってもないことだった。気に食わない相手でも、価値があればとことん利用すればいい。
「上手くいけば、島を出て行くだけの金や物資も手に入るかもしれねぇよな」
「相手に交渉の意思があればいいが」
「こっちも上手く立ち回る必要がありますね」
まずは相手の出方を見てみようと、こちらはこちらで策を練っていくことになった。
*
「お前の仕事の時間だぞ、猫」
「……」
ブルーグレーの双眸はちらりと一瞥をくれただけだった。
「相変わらず生意気な面だな……」
短い鞭を両手でしならせながら近付いてくる貴族の姿を視界に入れたくなくて、ローはぷい、と顔を逸らした。
「この島には十日間滞在することにした」
鞭の先が、逸らしたローの顎の下に入ってくる。ぐいっと強制的に持ち上げられる感覚に、不快感を露にしながら手で払い除けた。
「あまり抵抗ばかりすると、今度は両手の自由も奪うぞ?」
「……!」
貴族の脅しに、ローは憎憎しげに眉根を寄せて睨んだ。
「ふふふ……、お前のそういう顔はそそるな。いいな、お客様の前では神妙にしているんだぞ? 本当は媚びてほしいんだがな!」
愉快そうに悦に入った笑いをもらしながら、貴族の男はゆっくりと部屋を出て行った。
ローは唇を噛みしめる。ここにはペンギンもシャチもいない。『仕事』の時間はどうしても一人きりになってしまうのだ。
黒い鉄の檻は高さがそれほどないため、立ち上がることはできない。ごろん、と横になった姿勢で時間の経過を待っていると、先ほど貴族が出て行った扉が開き、今度は『客』を伴って再びローの前に現れていた。
「おお!」という、客の歓声があがる。もう何度も目にしてきた光景にローは心の中でうんざりしつつも、客のために上半身を起こしてみせた。
ジロジロと無遠慮に眺めてくる視線は、檻があることで少しは妨げられているのだろう。これがガラス張りのショーケースだったりしたら、ローはとっくの昔に精神を病んでいたかもしれない。
基本的に触れることは厳禁だが、会話をすることは許されている。ローはあまり口を聞きたくなかったから、大抵の場合で客との会話は無視してきた。
後で貴族の鞭が振るわれようが、罵詈雑言を叩きつけられようが、表面上はいつも取り澄ました態度でやり過ごしていた。
夜になればペンギンとシャチに会える。それだけが島に上陸した際の心の拠り所となっていた。
念願の夜がやってきたが、今日はこれから二人そろって街へ出かけるのだと聞いてローは素直にガッカリした。けれどその理由を知ったあとは大いに慌てふためくこととなった。
「もう見つかったのか!?」
「ええ。おれたちもビックリですよー」