踊りませんか次の駅まで
待ち合わせ場所のファミリーレストランでは先に着いていた水谷が窓際の席でのん気にメニューを眺めていた。よっぽど何を食べるのか慎重に考えているのだろう、栄口が軽く手を振っても全くこちらを向かない。
「おい」
向かいの席に座り声をかけると、ようやくメニューから顔を上げた。
「ど、どーも……」
どもらないで欲しかった。栄口の勝手な期待をまたも裏切り、水谷が不自然に目を逸らす。栄口もまたメニューを見るが、はびこる沈黙がやけに居心地悪く感じられ食べるものを選ぶどころじゃない。
「き、昨日さぁ」
微妙な空気に溜まりかねたのか、テーブルへぱたりとメニューを倒した水谷がおもむろに口を開く。
「最後まではしてない……よな?」
「オレだってそのへんよく覚えてない」
「どっか身体おかしい所とかない?」
「ねーよ、あってたまるもんか」
やっぱり昨日のアレは事実で、自分も水谷も覚えていたことに栄口は今すぐここから逃げ出したくなった。しかし、
「……えっ、ちょっと何でオレが入れられたことになってるわけ」
「だってオレなんともないもん」
「オレもなんともないよ」
「ご注文お伺いしてもよろしいですかぁ」
近づく店員の気配すら感知できなかった。メニューなんてまともに見ていなかったし、どうでもよかったから水谷と同じものを注文した。店員はハンバーグセットが二つ来ることを確認したら、すぐにいなくなった。
「なんでそんなに怒ってんだよ」
「別に怒ってないし」
「昨日はあんなにイチャイチャしてたのにさぁ」
「いっ……」
「ごめん、自分で言っておいてなんだけど言葉の暴力だよな」
思わず言葉を失った栄口へ水谷は素直に謝った。でも多分、昨日のアレを説明するならイチャイチャが一番正しいような気がした。本当にありえない類のスキンシップをやってのけた。
ふて腐れた水谷は、窓の向こうで行き交う車を退屈そうに眺めている。
「オレは」
「ん?」
「夢だったらいいなって今日一日中思ってた」
栄口の放った言葉を自分の中でゆっくり噛み砕いたのだろう、少しの間をおいたのち、水谷は頬杖をついたまま口を開く。
「夢に見るまでしたかったの?」
「そういう冗談言ってる場合じゃないだろ……」
「わかってるんだけどさぁ、どうしたらわかんなくて、つい」
二十九歳同士の二人がお互いをどう扱っていいか悩んでいるのが情けない。友情というものは壊れやすいと知っていたが、こんな事態は予想だにしなかった。どう考えても解決策の見つからない最悪のパターンじゃないだろうか。
起こってしまったことを事実として認識しているなら、栄口は水谷にどんな反応をして欲しかったのか考えてみる。もしオレが水谷の立場だったら、オレがそう望むように『なかったこと』には、やはりできなかったと思う。嘘を突き通せるだけの度胸も経験値もない。毎年歳だけは増えるのに大人になれている実感が全く沸かない。大人はこういうときでもキビキビ冷静に対処できるはずなのだが、そんな能力を持ち合わせないまま、水谷いわく『おっさん』へとなろうとしている。
妙に喉が渇いていて、既に運ばれていたお冷に口をつける。氷水はすとんと胃まで落ち、だいぶ空腹であることを栄口に知らせた。ふと横を見るとピカピカに磨かれた窓ガラスへ自分と水谷の姿が薄く映し出されている。
「もう一回してみようか」
水谷は時々真剣な目をしながら冗談にしか聞こえないことを言ってのける。
「……それ本気で言ってんの?」
「前は酔ってたからさ、今度はシラフでやれば……」
「シラフでやれば?」
「どうすればいいかわかるんじゃないかな」
とにもかくにも早く引導を渡して欲しかったから、栄口は何も語らないことで曖昧に肯定を表した。
作品名:踊りませんか次の駅まで 作家名:さはら