踊りませんか次の駅まで
水谷の休みはそのときも不定期だった。大抵平日で、前の日の夜に電話がかかってきてどこかへ行こうと誘われる。栄口はどこにも出たい気分じゃなかったが、水谷がしつこく「えー、栄口と一緒じゃなきゃつまんないー」と駄々をこねるので仕方なく毎回付き合ってやった。
言葉の少ない栄口を気にすることもなく水谷は常にマイペースだった。それでどこへ行くかというと、シーズンオフで全く人のいない観光地か、ブームだったのが遠い昔と瞬時に判断できるような全く人のいない観光地のどちらかだった。なぜわざわざ休みを使ってまでそんな所に行きたがるのか栄口にはわからなかったし、自分のことで手一杯だったから特別知ろうとも思わなかった。一度だけ話の流れで聞いたことがあったが、「オレ地図読めないから、隣に栄口がいると安心できるんだよね」と的外れな答えが返ってきたのを覚えている。
そんな妙な旅ですることといったら、これは誰も買わないだろうというようなみやげ物を物色し、『名物に旨いものなし』を身をもって証明することだった。水谷はいつでも一番きわどいメニューを選び、顔をしかめながらそれらを食べる。栄口はその度に水谷のことを懲りない奴だなと思った。
旅といっても常に日帰りで、紐をくくり付けられたカブトムシみたいに柱の周りをぐるぐる回っていただけだった。
その日は「明日雨降るっぽいから海行こうぜ」という、どう考えてもイコールで結びつかない提案に乗り、海へ来たのはいいものの、午後にはすっかりシケも治まっていた。波打ち際でサーファーたちが暇そうに遊んでいる。二匹も犬を連れた人が小走りで近づいてくる。あまりきれいではない浜に小さな流木がぼつぼつ見え、濡れた砂は自分たちの靴を地中へ沈める。水平線の少し上のあたりはまだ雲の色が濃く、冷たい潮風がペタペタと水谷の前髪を後ろに流した。
「すげー塩くね?」
水谷が向かい風に変なことを喋ったから栄口は思わず吹き出し、そのついでに大きく息を吸い込んだ。湿っぽい磯の香りがやけに瑞々しくて驚いた。唇をなめると僅かだが塩っぽい味がする。潮風にだいぶあたっていたせいか、腕が少しべたつく。ざんざんと打ち返す波もまだ穏やかとはいえず、時々びっくりするような音を奏でる。雲と雲の隙間からまっすぐに海へと光が落ちるのをぼんやりと眺めていたから、水谷がこちらを見ているのに気づけなかった。「何だよ」と栄口が言うと水谷は、はは、と軽く笑い、何も言わずまた自分の少し前を歩き出した。
五感がまともに戻ったのはこの日からだった。美しいものを思い込みなく素直に美しいと感じられるようになったのは水谷のおかげだった。
作品名:踊りませんか次の駅まで 作家名:さはら