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愛してくれないあなたなんか興味ないの

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 静雄と会うと、なんだかいけないことをしているみたいだった。こうやってただ外で一緒に食事をしてるだけで、まるで浮気相手と落ち合ってるみたいな気分になる。それは多分、自分の過去の身勝手な振る舞いに罪悪感を覚えているからだと思うんだけど、すごく変な感じだ。
「静雄さんの部屋に行きたい」
 今夜の食事はイタリアンだ。前菜のシーザーサラダをしゃくしゃくと食べながら、静雄に問い掛けるように言う。
「別に、いいけどよ」
「マジで? やったあ」
 こんな風に遠く離れていた距離を縮めていくことにも、違和感を覚える。まるで昔苦くて痛い思いをしたことが嘘だったみたいで、ふわふわと足が地に付いていないような感覚だ。どうして俺は静雄から離れなきゃいけなかったのかなんて、あの頃の自分が決め付けたことを、今更のように考え直したりする。
 俺はカルボナーラを、静雄はスープパスタを食べて、割かし早くに店を出た。


 地下鉄の要町寄りに静雄のマンションはあった。ごく普通の小奇麗な賃貸物件という感じで、ありふれた外観のものだったが、オートロックは付いている。なんとなく静雄が住むようなところには思えなくて、違和感があった。俺のなかでは、静雄が住んでいるのは今もってあの年季の入った安普請のアパートだ。
 リビングは八畳ほどで、家具は少ないが、新聞やら雑誌やらはそこらに散らかっていた。雑多な感じは変わっていない。でも、おそらく備え付けのものだろう部屋の電気や壁の白い色はどことなく現代的で、やっぱりここはあのアパートとは違うんだと思い知る。
「なんか、寂しいなあ」
「なにがだよ」
「そりゃ、部屋が変わっちゃったことですよー」
 それから静雄はなぜか押し黙ってしまった。適当な相槌でも打てばいいのに、静雄の淹れているコーヒーの音だけが静かな部屋に響いている。
「……静雄さん?」
「一緒に住んでた部屋にひとりで取り残されるなんて、惨めに決まってんだろ」
 怒っているのか笑っているのかわからないような声だった。マグカップのぶつかる音が、カチンと響いた。
「……すいません」
「こんなこと言わせんなよ、ったく」
 コーヒーの入ったカップがふたつ、リビングのテーブルに置かれた。
「お前は昔っから、そうやって俺を掻き乱すのが得意だな」
「……掻き乱す? 無神経ってことですか」
「まあ、そうだな」
 静雄は笑った。俺が静雄を、掻き乱す。そんなことは初めて聞いた。俺はそこまでこの人を振り回していたんだろうか。申し訳ないような嬉しいような、微妙な心持ちになった。
「なんでこんなガキに翻弄されなきゃいけねえんだって、いちいち自分に腹が立ってたな。あの頃は。俺も若かったしな」
「後悔してますか」
「なにをだよ」
「俺とまた会っちゃったこと」
「……してねえよ」
「それなら、よかった……」
 静雄は相変わらず、コーヒーに沢山砂糖とミルクを入れて飲んだ。互いのコーヒーがカップからなくなる頃には、俺たちはベッドにいた。もうあの頃の薄っぺらい布団じゃない、ふかふかの白いベッドだ。ふたり分の重さでスプリングは音を立てて、俺はマットに身を沈めた。


 俺と静雄は定期的に会うようになっていった。大抵は外で会ってホテルに行くか、静雄のマンションに寄ったりして、セックスばかりしていた。たまに昔の話もしたが、静雄は当時俺がまるで計り知れなかったような気持ちをぽつりと漏らしてくれることがあって、それが嬉しいというか、楽しかった。でも懐古するばっかりで、これからのことについてなんかは、互いに一切触れなかった。



 静雄と出会う前の俺は、なんの疑いもなく、三ヶ島沙樹という女の子とずっと一緒にいるんだと信じきっていた。それがある日池袋という因縁の街で静雄と知り合いになったことから、全てが変わってしまったのだ。沙樹は俺の一番大事な存在だったし、そうであるべきだと思っていた。静雄は、いとも簡単にそれを覆してしまった人間だった。
 黄巾賊の一連の騒ぎが落ち着いてから、俺と沙樹は池袋から姿を眩ました。地価や物価が安い地方でしばらく一緒に住み生計を立てていたが、俺が仕事で東京へ泊り込みで働かなくてはいけなくなったことがあった。まあ古い言葉で言えば出稼ぎのようなものだったが、運命のいたずらというか、今思えばそれが全ての元凶だった。その仕事がなにごともなく行われれば、なんの問題もなかったんだが、それがまあやくざな会社で(高校中退のガキを雇うようなところだったから仕方ないのかもしれないが)、とある事情で俺の仕事が全てキャンセルされてしまったのだ。しかもその連絡を受けたのが、東京に着いてからだ。さてどうする、駄目になっちゃいましたと、往復の交通費だけ使って沙樹のもとへしょんぼり帰るなんて、あまりに情けないじゃないか。せめて交通費ぐらいはなんとかならないものかと、色々画策していたところ、平和島静雄という人間に出会った。最近自分の生活圏内でフラフラしてる金髪のガキがいると、気になっていたそうだ。職探しをしながらネットカフェで寝泊りしているという俺の状態に静雄は酷く驚いて、とりあえずうちに来いと言ってくれた。どうしてそこまで情けを掛けてくれたのか、当時は驚愕と疑念が渦巻いたもんだったけど、それから全ては始まった。
 結婚して単身赴任中に夫が浮気するなんてのは、まことによくあるワイドショーのネタだとは思うが、つまりそんなことが実際に起こってしまった訳だ。最初静雄との深い関係は、沙樹には隠し通せるんじゃないかなんて甘く考えていた。でも沙樹は、俺の機微を見抜くのを得意としていて、笑っちまうほどすぐにバレた。「最近いい人でもできたの?」なんて、まず恋人には言わないような科白を、電話口で聞いてきた沙樹のいつもと同じ声色が今も忘れられない。俺は結局、沙樹のもとへ帰らなかった。

 それから月日が経って、今では友人と呼べるぐらいには穏やかな関係になった。たまに連絡を取って、外で食事したり、近況を話したりしている。俺も沙樹も、本当に丸くなったと思う。まだ成人して少ししか経ってないことを差し引いても、あの十代の頃の刺々しさとか余裕のなさとかは、全部なくなってしまった。
「ねえ、なにかあったの? 正臣、なんかいつもと違うね」
 沙樹が鋭いことを聞いてくるので、俺は飲んでいたアメリカンを危うく噴きこぼしそうになった。淡路町の静かなカフェには、俺たちのほかには書類とにらめっこしているサラリーマンと品のいい年配の夫婦しかいない。
「こんなタイミングで連絡寄越す沙樹が悪いんだよ」
「なあに、こんなタイミングって」
 沙樹は興味深そうに、身体をこちらに乗り出してきた。俺は本当に、今も昔も、この子には嘘がつけないんだ。

「ふーん、静雄さんかあ」
 俺と自分の仲を引き裂くことになった男の名前を、そうとは思えない調子で沙樹は暢気に呟いた。
「ホント、まだいるんだもんな。池袋なんかうろうろしないでとっとと帰りゃよかったよ」
「そうは聞こえないけど?」
 沙樹は気のせいか少し楽しそうだった。余裕のない俺を見て楽しんでいるんだろうか。
「正臣にとっての静雄さんて、昔の私にとっての正臣みたいなものなのかな」
「……どーいうこと、それ」