植物系男子
その8
久しぶりの公園。天気は快晴。ところにより煙、なんて考えて俺は煙草に火をつけた。
砂場で遊ぶ子供にかからないよう、風下を陣取ってふわりと霧のような煙を吐き出す。
ここ最近、池袋は随分と平和だった。カラーギャングだの何だのの抗争もなく、取引先で揉め事を起こすこともない。すべて順調だ。
それもこれもきっと、折原臨也が手を出していない所為なのだろう。証拠に、最近はあのくせぇ臭いがしなくなった。
何故か俺はあいつとしばらく暮らす羽目になっていたのだが、ある日急に奴は出て行った。理由はよくわからない。取りあえずあの日折角出前を取った露西亜寿司が駄目になったことだけは明らかだ。
あいつはどうするつもりなのだろうか。昔から御託ばっかり並べて何を考えているのかわからない奴だったが(たいがいがロクでもないことだろうが)、とにかく邪魔でしょうがないあいつの荷物をどうにかしたいのだ。
臨也の持ち物はパソコンにしろ何にしろ、やたら高そうで捨てるに捨てれない。トムさんに訊いたら、パソコンに埃は大敵だと言うので取りあえず布だけかけてある。
と、不意に馬の嘶きのような爆音が耳に届いた。陽も高い時分に飛ばすとは珍しく、寄りかかっていた車止めのポールから腰を離す。
一台のバイクが目の前で音もなく止まる。全身を真っ黒なライダースーツに包んだ彼女が、ちらりとこちらを見た。
「よぅ、久しぶりだな」
挨拶すると、彼女はバイクに跨ったままカタカタとPDAに文字を打ち込んだ。
『元気にしているか?』
「あぁ、最近は調子がいいな」
言うと、彼女は指を顎に当て、何か悩むような仕草をした。
『新羅が呼んでいる』
目の前に映し出された文字を見つめ、そのまま首を傾ける。
「なんであいつが?」
『今から来れるか?』
彼女らしからぬ強引な話の進め方に、何やら嫌な予感を覚える。
答える代わりに、短くなった煙草を携帯灰皿に押し付けた。
久しぶりに顔を見た新羅は相変わらずで、恐らく深刻な話があるだろうに呑気にコーヒーミルクを淹れてきた。マーブル模様がくるくる回るそれを見ているとこちらまで目が回りそうだ。
「で、何の用だ?」
「いちごミルクプリン食べる?」
「食う」
あっさりと話を流され、目の前にはピンクと白のプリンカップが並べられる。
仕方ないので手に取り、スプーンでそれをつついた。
「静雄ってさ、最近治療に来ないよね?」
「喧嘩してないんだから当たり前だろ」
「本当にそうなんだ!じゃあ、あの規格外な力がなくなったって言うのも本当なのかな?」
言うや否や、一体どこに忍ばせておいたのかメスを取り出すので、取りあえずその手首をぎゅうぎゅうに締めてやった。
「いたたた、いた、いたい!ちょ、折れる!折れる!」
セルティに制されたので、ぎゃあぎゃあ喚く新羅を離す。あいつは赤くなった手首を労わるように擦っていた。
「で、何の用なんだよ」
食べ終わったプリンカップにカランとスプーンを投げ入れる。
新羅は溜息のような息をついて、眼鏡を掛け直した。
「その様子だと、最近の池袋は平和のようだね」
「まぁな」
「セルティも言っていたよ。最近静雄が大人しいって。まぁあの奇想天外な力が健在なのはわかったけど、それは良い事だってね」
ふぅん、と軽く答える。隣でやり取りを見ていたセルティが、PDAを打ち始めた。
『だが、妙じゃないか?』
「妙?」
引っかかる言葉を返すと、新羅がふふふと笑みを作った。
「君も感づいているだろう?池袋がこれだけ静かなのは、今まで裏で糸を引いていた人間が手を止めているからだ」
なるほど、と俺はゆるく目を伏せる。考えることは皆同じなのだ。
『臨也を全く見かけなくなった』
「それもある日を境にぱったりと」
セルティの文に続けるようにして新羅が口を開く。
ある日?と問い返せば、彼はその質問を待っていたとばかりに目を輝かせた。
「信じられるかい?あの臨也が顔面蒼白で、息も絶え絶えに僕のところに駆け込んで来たんだ!」
つまり、と新羅は目の前で人差し指を立てる。
「私の知る限り臨也をあんな風に追い詰められるのは静雄しか居ない。君が何かしたんだろう?」
さぁ白状しろ、とばかりに詰め寄られ、盛大に顔を顰めた。あの日、というのはもしかしなくても臨也が出て行った日だろうか。どこに行ったのかと思ったらこんなところに来ていたらしい。
「悪いが、俺は何もしてねーよ」
少し冷めてしまったコーヒーミルクを一口啜る。ふぅと息を吐いて、更に続けた。
「あいつが勝手に出てったんだ」
「出てった?」
『どういうことだ?』
ふたりに矢継ぎ早に問い質され、説明というのが苦手な俺は押し黙る。
どこから話せばいいのかわからず、考えて、考えて、やがて面倒臭くなった。
取りあえず臨也が俺の部屋を訪れたこと、そのまま住み着いたこと、この間勝手に出て行ったことだけを淡々と話した。
興味深そうに聞いていたふたりは、俺の話が終わると顔を見合わせる。いや、セルティに顔はないのだが。
「やっぱり今日、静雄をここに呼んで正解みたいだ」
「なんでだよ」
どうしてその流れなるのか理解できず、新羅を睨む。だが彼はそれに怯むことなく、にっこりと微笑んだ。
「静雄、“嵐の前の静けさ”って言葉、知ってるかい?」
「あぁ、まぁ」
詳しくは知らないが、言葉の通りの意味だろう。頷くと、新羅は急に真顔になった。
「今の池袋はまさにそれだよ」
「アァ?どういうことだ?」
どこがどうなって池袋の話になっていたのか。訊き返すと、新羅はスタスタと歩いて窓際まで寄った。快晴の池袋の空を見ながら口を開く。
「私は折原臨也という人間を良く知っている。それは君も同じだろう?もしかしたら君は俺以上に知っているのかも知れないけど」
悔しいが、頷く。何かと突っかかってくる奴の所為で、あいつが起こす事件のきな臭さまでわかるようになった。
「あれだけの男が、プライドずたずたにされて、黙ってるわけがない。今にここは地獄になるだろうね」
「ちょっと待て、なんだってそんな」
「ひょっとしたら、誰か死ぬかも」
俺の言葉を遮って告げられた新羅の目は、本気だった。確かにあいつは人の生死を気にしない。あいつが興味を持つのはあくまで人間の“生態”であり、そのひとつとして“死”があるのだ。結果はどうあれ、その過程にしか興味がない。
ぞくりと背筋が凍る。まさか本当に、そんなことを考えているのか。
「…俺が何をしたってんだ」
「そこだよ、静雄」
新羅が悪戯を思いついた子供のように微笑んでいた。
「君が“何もしない”からさ」
「は?」
「君が“何もしてくれない”から、臨也は怒っている。もっと簡単明瞭に言えば、拗ねてるんだ」
「拗ねるって…」
思わず絶句した。
じゃあなんだ。あいつは拗ねて俺の部屋を出て行き、こんなことをしているのか。
頭が痛くなる。なんてうぜぇんだあいつは。
『静雄、私からも言わせてくれ』
目の前のPDAがそう告げた。
『最近落ち着いてきたんだろう?これを機に、一度臨也と話し合ったらどうだ?』
お前達にはもっと時間が必要だと言われ、俺は頭を悩ませる。