植物系男子
その10
くあ、とひとつ欠伸を零した。今日は朝早くから仕事だったため、昼には帰っていいと言われた。
水飛沫がキラキラと宝石のように反射する公園ではしゃぐ子供や、目の前の道路を横切り植え込みの茂みに隠れる三毛猫。そんな日常が、この池袋にも戻ってきた。
再び溢れ出た欠伸を押し殺しながら俺は部屋の前まで辿り着いた。
ベッドで寝てしまおうか。たまには昼寝もいいかも知れない。
鍵を回してドアを開ける。真っ黒な靴が玄関に鎮座していて、それを無言で見下ろした。
後ろ手でドアを閉め、リビングへと続くドアを開ける。当然のように我が物顔で寛いでいた臨也が、くるりと椅子を回して俺を見上げた。
「おかえり」
「……おう」
俺はサングラスを外してテーブルに置く。返した俺の言葉に、何とも言えない笑顔を作る臨也と、なんとなく顔を合わせにくい。
戻って来いと言ったら、臨也はあっさり戻ってきた。こちらが拍子抜けするくらいには。
ついでに池袋での悪戯も手を引いたらしい。まぁ面白そうなことには相変わらず首を突っ込んでいるらしいが、今のところ大事は起こしていない。
再び奇妙な生活が始まったことで、俺はアドバイスを求めにセルティの元を訪れた。
彼女は驚きつつも受け止め、良い事だと言ってくれた。そしてコミュニケーションのひとつとして、先ずは挨拶からだと力説された。そういえば俺は臨也からのそういったものは尽く無視していた気がする。どうでもよかったのだ。
また池袋で面倒を起こされてはたまらないので、一応反省し、挨拶を返すようにした。だが、幽やトムさん相手にはすんなり零れ出るそれが、こいつ相手だとどうしていいか戸惑ってしまう。
頭の隅でまだ違和感が拭えないのだろう。長年殺し合ってきたような人間と挨拶を交わすなど。
しかし短いながらも一言返せば、臨也は心底嬉しそうに笑った。見慣れないそれに俺も調子が崩される。変わった変わったと奴は言うが、それは臨也の方なのではないかと俺は思う。
タイを引き抜き、ベストのボタンも外す。そのままベッドにうつ伏せに倒れると、ばふんと埃が舞った。皺になるよ、と苦言が飛んでくるがそれは無視した。
「ご飯食べないの?」
かけられた言葉に顔だけ向ける。にやにや、とまではいかずとも、穏やかに笑う臨也が面白そうに俺を見ていた。
しばらく視線を合わせて一言、食う、とだけ告げた。昼飯も食わずに帰って来たのを何故知っているのかと訊くのは、情報屋のこいつには野暮だろうか。
「言うと思った」
そう言って彼はキッチンに立つ。言葉からして何かしら用意していたらしい。人の手料理ばかり食べたがる奴にしては珍しいことだと、部屋をぼんやりと眺めながらそんなことを考える。
本当に、妙な関係だ。少し前まで標識だのナイフだの投げあっていたような人間が、こうして一つ屋根の下で暮らすなどと。
あの頃の俺はどうして奴を憎んでいたのだろうか。そもそも何に怒っていたのだろうか。今では思い出せないそれに、思わず己の手のひらを眺める。
リミッターの外れた力は相変わらずだった。だが俺は小さい頃の己が望んだ通り、むやみやたらに暴力を振るうことはなくなった。
力を制御できるようになったのだろうか。何か違うなと、自分でも思った。
視線をテレビの上へと移す。
半分削れ、側面が酷いことになっていたサボテンが相変わらずそこにあった。
あの日臨也に踏み潰されたそれは傷付いたものの、なんとか生きていた。ちなみに鉢は割れてしまったので、ついでだからと大きめのそれに植え替えてある。
最近は折れたトゲも生えてきて、あのトゲは生えてくるもんなんだなと感心したものだ。
(いいにおいがする…)
ジュウジュウと何か温める音が子守唄のようで自然と瞼が重くなる。
懐かしい感覚だ。家族と住んでいた頃は、毎日がこんな感じだった。
眠ろうとする意志に抵抗することなく思考を手放した。
落ちる寸前に名前を呼ばれた気がしたが、瞼は開けなかった。