植物系男子
その11
あれほど忌み嫌っていた暴力が落ち着いてから、気付いたことがひとつだけある。
それは、過去は消せないということ。どこで何をしようが、どんな人間になろうが、平和島静雄は平和島静雄のままなのだ。
道を歩けば人が避けていき、うっかり間違うと余計な物を壊してしまう。トムさんは仕事がはかどるから昔のままで良いと言ってくれたが、俺は小さい頃からこんな自分を夢みていた。
23にもなって、夢は所詮夢なのだと思い知る。俺は普通の生活がしたいのに、暴力を振るわなくなってももう普通には戻れないのだ。
池袋最強の名は死ぬまで纏わり付くだろう。別にそれが嫌だとか、今更言うつもりはない。
それだけのことはしてきたし、どんな生き方をしても結局俺はこうなっていただろう。
ただ、幼いころの夢がひとつ、くだけた。憧れていたヒーローが風化して、滑稽なものに見えるように、酷く物悲しい気持ちになる。
煙草を灰皿に押し付けて、池袋の街を練り歩く。酒でも飲んで帰ろうかと、ふと思い立った。
鍵穴に鍵は差せた。大丈夫だ、そこまで酔っていない。
実は店の途中から記憶が曖昧だったのだが、歩いて帰るうちに少し醒めてきたらしい。
前にもこんなことがあった気がする、とドアを開いて、いつもの靴がないことに気が付いた。
(あいついねぇのか…)
情報屋なんて最初は何をやっているのかと思っていたが、引き篭もったと思った次の日には数日姿を眩ましたり、日によってまちまちだった。少なくとも俺にはあいつの気紛れで動いているとしか思えない。
酩酊する頭でなんとかそう考えると、適当にベストを脱いだ。風呂をどうするか考えて、めんどくせぇと眉を顰める。このまま寝てしまおうか。足先をリビングに向けたところで、皺になるよと言った奴の言葉が脳裏を過ぎった。
(あー、着替えりゃいんだろ)
誰に言うでもなくそう言い訳して、畳まれていた服を適当にひとつ引っ張る。だが力が強すぎて、横に積み上げていたバーテン服がドサドサと音を立てて崩れ落ちた。
一瞬何が起こったのかわからなかった俺は、足元に散らばった服の中で立ち尽くす。
まだ袋に入れられたままの真新しいそれは幽がくれたもので、大事なものだ。入りきらなかったから積み上げていたはずのそれを、仕方なく拾い集めることにした。
だが屈んだ瞬間、チェストの下に見慣れないものがあることに気付いた。
不思議に思いそっちに手を伸ばす。摘み上げれば、斜めに歪んでいたものの何かのボタンだった。
なんでボタンがこんなとこに?と首を傾げる。ボタン、ボタンと繰り返して、そういえばひとつだけボタンが取れたシャツがあったことを思い出す。取れた記憶がなかったので、おかしいと思っていたのだ。
俺は歪なそれをまじまじと見つめる。なんでこんなに曲がっているのだろうか。もしかしなくても俺のせいか。
元に戻そうと、曲がってる方向とは逆に押してみる。途端に、パキリと、真っ二つに割れた。
割れた破片は飛んでいき、カンと音を立ててフローリングを跳ねた。残された残りの半分を見て、俺はずるずるとその場に座り込む。
どうしてこうなのだろうか。こつりと壁に背を預けて項垂れる。
普通に生きたいなんて建前だ。ボタンひとつですら破壊する奴が、普通になんかなれるわけがねぇ。
俺は臆病なのだ。誰かを愛して、愛されるのが怖い。触れて壊してしまうのが怖い。それなのに、欲しくてたまらない。
幼い頃から夢みていたそれは、この力が収まれば、手に入ると思っていたのに。
無理なのだと、わかってしまった。俺が平和島静雄である限り無理なのだと。
だからこんなにも、感傷的になっている。
何も考えられなくて、ぼうっと宙を見ていた。
「うわ、なにこれ」
声がして振り向けば、いつの間に帰ってきたのか臨也が立っていた。
「何ひとりで暴れてんの」
「…あばれてねぇよ」
臨也は床に散らばるバーテン服を器用に避けて目の前まで来る。酒くさい、と呟く声が聞こえた。
「酔って暴れるとか、シズちゃんだと洒落になんないからやめてよね」
「…あばれてねぇよ」
はいはい、と俺の再三の訂正を無視して腕を引き上げられる。
その手のひらに、俺はふと妙な感覚を覚えた。
こいつは俺が怖くないのだろうか。いやあれだけ殺し合いをしておいて何だが、今はその温もりが素直に温かかった。
「相変わらず冷たいね。酔うと末端が冷えるのは体質かな。どういう身体のつくりしてんだか!」
腕を引かれべらべらと喋り倒す臨也の後頭部を眺める。甘い匂いがした。こいつがつけている香水だろうか。いつもは臭いだけのそれが五感が鈍くなった今は調度良かった。
どうして俺はこいつと殺し合いなんかしていたのだろう。最近そんなことばかり考えている。
理由が、思い出せない。
ベッドに投げ出され、上から奴が見下ろしてくる。
服を着替えておらず、皺になると言えば、いいよそんなの、とどうでもよさそうに告げられた。
臨也の指先が前髪に伸びてきた。瞼に触れた瞬間、反射的に目を瞑る。
見上げた奴の顔は、まるで愛しいものでも見ているようだった。は、と息が漏れ、笑ってやった。
なんつー顔してんだ。
そう言ってやろうと思ったのに、言えなかった。甘い匂いがする。
キスをされているのだと気付いたのは、だいぶ後だった。