植物系男子
その14
耳元で友人の声がする。椅子に深く腰掛けながら続きを促した。
「それで?」
『一度うちに来なよ。その方がいいだろう?』
新羅はいつもの調子で、まるで食事の誘いのように声を上げた。この人間は実に興味深い。彼と彼女以外の世界はどうでもいいことであり、彼女を中心として本当に世界が回っているのだ。
俺は了承する旨を伝える。と、新羅が付け足した。
『静雄はどうする?』
一瞬携帯を持つ俺の指が固まる。手元のオセロの駒を弄びながら、連れて行くとだけ告げた。
返事を聞いた新羅は嬉しそうに、待っていると言って電話を切った。俺は耳にあてていた携帯を外し、通話を切る。
医者の血か、もしくは彼女と同じ未知のものを知れる喜びだろうか。興奮気味に新羅が口にしたのは、あの化け物の調査が終わったという内容だった。
ぱたりと携帯を閉じて椅子を回す。振り返った先には、ベッドで昏々と眠る池袋最強と呼ばれた男が居た。
シズちゃんはよく眠るようになった。元より部屋では食べるかシャワーか寝るくらいしかしてなかったから、その比率が大きく睡眠に傾いてきていると言っていい。これもあの植物の影響なのだろうか。
最初は怒りだけだったはずだ。それがいつの間にか喜怒哀楽、すべてのものがなくなっていった。
失念していた。あの平和島静雄を変えられるのは普通の人間では無理だと、俺が一番わかっていたのに。超常現象だろうが何だろうが本当に腹が立つ。
だが、感情がなくなったからといって生きていけなくなるものではないらしい。
現にシズちゃんは普通に仕事に行くし、挨拶も会話も出来る。記憶も何ら欠如していない。ただ“感情”というものを忘れてしまっているらしいが。
さっぱり暴れなくなったシズちゃんを狙う輩も当然居た。そいつらはたいていが相手にされていないが(それ以前に傷ひとつつけられていない)、命の危険に晒されると本能的に手が出るようだ。
新羅は弟に酷似していると評価した。確かに平和島幽は何されても顔色ひとつ変えない無感動の塊のような人間だが、あれでもちゃんと喜怒哀楽はあるらしい。元々シズちゃんも弟のように大人しい人間なのだ。もしかしたらこれは静雄が望んでいたことなんじゃないかな、なんて眼鏡の奥で目を細めながら新羅は口にした。
そんなことは俺の知ったことではない。元よりシズちゃんの願いなんて聞いてあげるつもりはなかった。
パチリとオセロの黒を盤に置く。恐らくは諸々の原因である植物を遠ざけてもシズちゃんは相変わらずで、寧ろ酷くなる一方だった。
俺は立ち上がってベッドへと歩み寄る。眠り続ける金色の髪に触れるだけの口付けをした。
いらっしゃいだか何だか言って新羅がドアを開ける。来客用のソファに座らせられ、俺には紅茶が、シズちゃんにはミルクコーヒーが差し出された。どんな状況だろうと人が来ればおもてなしをするのは、恐らくセルティにそう言われたからだろう。
カップを並べ終えた新羅は対面に腰掛け、横にセルティが座った。俺たちをはさんで、テーブルには黒い影がボールのように渦巻いている。
さて、と新羅がわざとらしい声を上げた。
「単刀直入に結論からいこう。これは、植物ではない」
そんなことはここにいる誰もが気付いていることだった。俺は黙って紅茶に口を付ける。
「生物でもない。一応細胞やらDNAやら、分子生物学的には十分生物と判断し得るし、基本的な生理・生態も他のサボテンと何ら変わりはない。ただ奇妙な点がふたつ」
そう言って新羅は目の前に指をふたつ立てた。
「ひとつは、成長速度がまばらであること。もうひとつは、どうやっても死なないこと」
ひとつひとつ指を折りながら説明する。前者の方は、俺も知っている内容だ。
「まぁ、先ずは見てもらおうか」
言うと、セルティが影を解除した。現れたそれは確かにあのサボテンだが、微妙に変化していた。
所々変色し、花も一部散っていた。極めつけは、茎の部分にあるおびただしい傷跡。
「いろいろ試したんだ。それこそ煮ても焼いていも、レンジでチンしても駄目だった。メスで細かく刻んでも次の日には元通り。ご丁寧に傷は残してくれるけどね」
それでも生きているんだと声高に言われるが、俺は“こいつが死なない”という事実さえ確認できればその過程にはてんで興味がなかった。
「それで、もうひとつの方は」
カップを置いて先を促す。
「成長速度だけど、確かに臨也の言うとおり日によってまちまちだ。水も何も与えてないのに、いくらサボテンでもこんな風に成長することはまずないだろう」
『つまり』
続きはセルティが引き継いだ。PDAの上で指先が忙しなく動く。
『これは何か他に養分を得ているんだ。具体的な方法はわからないが、たぶん、その』
「シズちゃんの感情だっての?」
本当に馬鹿らしい話だ。人間の感情を餌に生きる植物なんて、誰が考えつくものか。
『恐らく静雄の毎日の感情の起伏によって、成長速度が違うんだ』
「臨也。前に君は唐突に花が咲いたって言ったよね」
あぁうん、と肯定する。禍々しいほど大量に咲いたあの鉢を見た瞬間、俺は寒気がした。
「今まで栄養成長するだけだったものが生殖成長、つまり花をつけたってことはそれなりに大きな変化があったとしか思えない。臨也、その前に何か重大な出来事はなかったかい?静雄の感情が揺れるような」
その前、と記憶を思い返し、俺は無言を貫いた。
「その顔から察するに、あったんだね」
「…俺のせいだって?」
「まだ何も言ってないよ。まぁ自覚があるようなら結構。あ、内容は言わなくていいよ」
墓穴を掘った自分に舌打ちする。
だいたいあれは俺にとっても不測の出来事だった。キスなんかするつもりはなかった。ただべろべろに酔っ払うシズちゃんをからかってやろうと思っていただけなのに、急に笑ったりするから。
苛々する気分を紛らわそうと紅茶に手を伸ばす。シズちゃんは黙ったまま、さっきからずっとミルクコーヒーを飲んでいた。
「で、結局僕たちにはお手上げ。正体不明なままだ。ただ、セルティは何か感じているらしい」
言うと、彼女は首をほんの少し傾けた。どうやら頷いたつもりらしい。
『お前達にうまく伝わるのかわからないんだが…たまに大きな樹なんかに何か“居る”のがわかるときがある。たぶんこれはお前達が妖精や精霊と呼ぶものだろう。ゆ、幽霊とは違うと思う…いや思いたいのだが』
セルティは不自然に震える指を一度ぎゅっと握り締め、再び文字を打ち込む。
『このサボテンにもそれが“居る”。ただそれがあまりよくない類の臭いを発していて…なんというか…小物っぽいんだ。さっき言った精霊なんかはどっしり構えていて思わず拝みたくなる感じなんだが、こいつは何だろう…小動物というか、寧ろ寄生虫のような…』
寄生虫ね、と息をつく。確かに人間に依存して生きているらしいこいつはそんな感じだろう。
『そんなに強いやつじゃないんだと思う。静雄の感情が規格外だからここまで大きくなっただけで、本来はきっと人間界に紛れてささやかに生きているのだろう』
何にせよ傍迷惑な話だ。ライダースーツに身を包む妖精を目の間にして今更驚きも何も湧いてこない。