植物系男子
その6
今日は生憎の雨だった。生憎とは言ったものの、雨が降っていようが晴れていようが俺のやることは変わらない。
ただ雨は人を憂鬱にさせるらしい。天候で気分が変わる人の心は実に興味深い。
いつものようにパソコンを開いていると、がちゃがちゃと鍵を弄る音がした。俺はちらりと時計を見遣る。もう随分と夜の遅い時間だ。彼がこんな時間まで出歩くのは珍しく、からかってやろうかと俺はリビングの扉が開くのを待った。
だが、がちゃりと開かれたそこに居た彼は、思いも寄らない格好をしていた。
「なんだ…おきてたのか」
「いやちょっと、シズちゃん?」
視線や足元がふらふらとしていて覚束ない。いつもはサングラスで隠れている眼元は不自然に赤く、バーテン服もタイが宙ぶらりんで必要以上に着崩されている。そして何より、未だぽたぽたと床に染みを作る、ずぶ濡れの髪の毛。
彼は面倒臭そうにベストだけ脱ぐと床に放り、そのままふらふらとベッドに吸い寄せられていく。
予想外の行動に、思わず俺は引きとめていた。
「まさか寝るつもりじゃないだろ?」
「ァア?ベッドでねらずにどこでねんだよ」
いや俺が言いたかったのはそんなことではないのだ。彼の暴力でとばっちりを食わないように気をつけながら、とりあえず腕を引いた。
近付けば嫌でもわかる酒の臭いに、俺は天を仰ぎたくなった。バーテンなんてやってた割りにアルコールに弱い彼がここまで飲むのは珍しい。大方上司とでも飲んでいたのだろう。甘い酒しか飲めない上に存外甘い酒というのは度数が高く、どんなペースで杯を進めたのか簡単に予想できた。
「シャワーでも…いや、今は止めといた方がいいかな。とりあえず頭乾かさなきゃ。シャツもびしょ濡れだし」
「てめぇにはかんけいねぇだろ」
「あるよ。濡れたシーツで寝るなんて俺はごめんだね」
グチグチと口を開く彼をなんとか誘導して脱衣所まで連れてきた。頭にタオルを被せてシャツを脱ぐように言えば大人しく従った。シズちゃんの折り畳まれた服から適当に一枚引き抜くと、ちょうどべちょりと水を含んだシャツが床に叩きつけられるところだった。あれでは後で床も拭かなければならないだろう。溜息をついて、俺は真新しいシャツを手渡した。
「これ着て」
黙々と静雄が着替える間、俺は手を伸ばして彼の髪の毛を拭いてやった。傘も持たずに外出したのだろうか。それにしたって酷い有様だ。
静雄の頭がぼさぼさになったところで、ブチ、と何かが切れる音がした。
次いで床に響く、カンカンコロコロと何かが跳ねて回る音。俺は嫌な予感を持ちつつも視線を下にやった。
ひとつボタンがあったはずの場所から糸が飛び出ていた。どうやら力を誤った彼が、引き千切ったらしい。恐らく変形してしまっただろうボタンの行く末を想像しながら、仕方なくボタンも留めてやる。
「まぁいろいろと酷いけど、これで寝れると思うよ」
そう言ってベッドへと連れて行けば、どさりと沈み込む身体。さっきから妙に無口な彼に恐ろしい予感が頭を過ぎる。
「まさかここで吐くなんてことはないよね」
それだけは絶対に止めてよ、と釘を刺すと、両目を覆っていた彼の腕がすっと外された。
「…いざや」
「何?」
呼ばれたので返事を返す。だが彼は見つめてくるばかりで何も言わない。
仕方ないので膝を突いて、ベッドに横たわる彼と視線の高さをあわせてやった。
「何?」
淵に肘を預け、頬杖をつく。酔った所為か水を張ったように潤む瞳と、赤く染まる目元が綺麗で悪い気はしなかった。
ぱたりと、額の上にあった彼の手が俺の目の前でシーツに落ちる。
そして小さく口を開いた。
「さみぃ」
「…え?」
聞こえた言葉に、まさかと思うも、目の前に置かれた手のひらは小さく震えていた。
嘘でしょとばかりにその手を握ってみると、氷のように冷たい。
「何で顔赤いのに手がこんなに冷たいの」
普通アルコールを摂取すれば、血管が拡張して体温が上昇するはずだ。だが目の前に居るのは池袋最強の怪物。常識なんて宛てにならない。
それに彼の様子からして相当雨に打たれたのだろう。そのせいかも知れないにせよ、寒いと言われどうしたらいいものか。
「…あっためてあげようか?」
軽く言い放つと、彼は無言で俺を見てきた。
目は口ほどにものを言うなんて言葉があるが、今の静雄にはそれは当てはまらない。
是か否か、判断しかねるのだ。元より静雄から嫌悪以外の目で見られたことが皆無な俺にとって、その無感動な瞳はどう捉えていいのかわからない。
もしかしたら、ただ単に酔って呆けているだけなのかもしれない。適当にそう蹴りをつけてベッドに潜り込むと、脇に手を差し込んでそっと背中に腕を回した。
張り飛ばされるくらいは覚悟していたが、そんな様子もなく静雄はじっとしたままだった。
首筋に彼の熱い吐息がかかってこそばゆいものの、触れた手のひらやつま先はぞっとするほどに冷えている。
同じベッドで寝ることはあれど、こうして触れ合うのは初めてだった。いつもは少しでも触ろうとすれば蹴落とされていたし(その度に俺は危険を察知して避けていたが)、この男は寝ているときも防衛本能が働いているようだ。
まぁ高校生のときに寝込みを散々襲わせたのは俺なのだが。
しばらくすると、静かな寝息が聞こえてくる。シズちゃん?と呼びかけて顔を見れば、あの瞳は閉じられていた。
静雄は俺に抱かれたまま、糸の切れた人形のようにだらりと身体を投げ出している。寒いのなら、彼も俺に腕を回せばいいのに。その手を、絡めてくればいいのに。
自分の欲望に眉を顰めて、俺は静かに彼の胸元に顔を寄せた。人肌の温もりに、彼も一応人間なのだと今更ながら思い知る。
怪物と呼ばれた平和島静雄が、どんどん俺の知らない人間になっていくようで怖かった。自分から彼の手のひらを握り締め、その冷たさを補おうとした。
彼が目覚めるまでなら許されるだろう。明日は彼よりも早く目を覚まさなければならない。
でなければ、起きた彼に何を言われるのかわからない。
そうして言われたその言葉に俺が耐えられるかすら、わからなかった。