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溢れたジュース

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「ホントはね。シェイクスピア役者になりたったんだよね」
「シェイクスピア役者、ですか?」
「そう。舞台俳優として勉強してたんだよ」


首を傾げる俺に、至極あっさりとそう告げる。その軽々しい態度にますます頭に疑問符が湧く。
彼の弁論を参考資料として見たことがあるが、確かにそれは舞台劇のような見世物だった、と回想する。
朗々と響く声、堂々とした佇まい。些細な綻びから真実を見つけ出すその姿は、まるで子供が夢見るヒーローそのものだ。
しかし、役者を目指していたのなら、なぜ役者になることを諦めたのだろうか。
どんな状況でも諦めない、が売りの成歩堂龍一と一致しない。

「はは。そんなに意外かな?」
「いえ、そういう訳ではっ!ないです!」

疑問が表情に出ていたのだろう。慌てて否定する。そんな俺を見て男は苦笑した。
揶揄いを含んだ視線に頬が熱くなるのが分かった。改めて思うが、この人の前で自分を取り繕うのは難しい。

「ま、確かに僕も今でも信じられないしね。まさか自分が弁護士になるなんて思っても無かったから。運が良かったのもあるんだろうね。」
「…そんな。運だけで出来ることじゃないですよ…!」
「そういって貰えるのは嬉しいなあ」
「だって!俺も、その…!尊敬する人の様な弁護士になりたくて!凄く頑張ってこの業界に入りましたから!」

そうだ。真実を追求し、無実の人々を救う。
絶望の中でも諦めず、最後には希望を見い出す物語の主人公に憧れて、目の前の男の様になれればいいと努力してきたのだ。
憧憬と野心は紙一重だと言うが、結果を残す為には実行するしかない。
掲げた理想に近付く為に。

「俺は、知りたいです。成歩堂さんのこ」

結局俺は、理想をこの男に押し付けているだけなのだろう。他力本願な勝手な理屈。
それでも少しでもこの男の事を知りたい、この男に近づこうと、決めたのだ。あの、数日前の法廷に立つ彼を間近で見て。

「…あ、いえあの、差し支えなければ、でいいですけど!!」
「…君を見てると、昔の誰かを思い出しちゃうなあ。」
「え?なんか言いました?」
「ううん。何でもないないよ。ただちょっと、真っ直ぐ過ぎて怖いなあって。…こっちの話。」

片手に持った瓶を男はゆらゆらと振り、透明なガラス越しの水を弄ぶ。
目をふせてその赤い液体を見つめる彼の横顔を観察するが、特に感情の綻びは見られない。
出会った時からずっと飄飄とした男の考えは相変わらず読めなくて、自分の能力なんてこの男の前では何の意味もないのだろうと思った。

「知ったところで、大したことないよ。切っ掛けなんて単純なものだから」
「切っ掛け…ですか?」
「うん。ある人がね。とても苦しんでたんだ。その人は昔の僕を助けてくれた人で、僕はその人を尊敬していた」
「その人を助けるため・・・弁護士になったんですか?」
「ううん。もっと簡単な理由だよ」




その人に会うために、弁護士になろうと思ったんだ。


時折見せてくれる屈託のない笑顔。
普段はシニカルなそれが、幼い印象を植え付けて途端に眩しく、魅力的な表情になる瞬間。
いつも、その瞬間のギャップに驚き、また内心こそばゆくも感じていたのだけれど。
優しく響く声が今日は何故だか酷く残酷に聞こえた。


(その人の為だけに・・・か)



たった一人のためにそれまでの夢や人生を投げ出すなんて。





それではまるで---------------------

「まるで、恋のようですね」

思わず呟いたそれに男は少し目を見開き、くすり、と微笑んだ。

「そうだね」







その一言に腹の奥で何かが蠢いた気がした。


一体誰だ。この男は。こんな表情はあの可愛らしい少女の前でも見せなかった。
目の前で幸せそうに笑う男に、頭の中が真っ白になる。

(違う。違うんだ。)
(俺の知りたかったのは)
(これは)
(俺が思っていたのは)
(こんなはずじゃなかったのに)



「幻滅しちゃった?」

呆然とした俺にどうでもいいことのように尋ねてくる。
事実、どうでもいいのだろう。俺の思惑や人々の困惑なんてこの男にとっては何の意味もない。
すべては結果しか無かったのなら、男の思想なんて。

(理想なんて俺達がただ作り上げただけでしか無かったのか?)

たった一人の為にすべてを捨てるような男だから、数年前も今も、彼は全てを捨てて尚立ち向かっていけたのか?そこには正義心なんて欠片もなく?



「ぼくはね。皆が思ってるような人間じゃない」

人に、幻想と憧れを抱かせれる程の存在ではないんだよ、と笑った彼の目は酷く乾いていた。



作品名:溢れたジュース 作家名:tep222