さよなら誕生日
「本当はさ。誕生日の次の日に押しかけようと思ってたんだ。俺のことばっかり考えてただろ、とかって言ってからかってやろうと思ってた」
まあ、それは予想の範囲内だ。
「からかって、そっけない態度をとる帝人くんに正直じゃないなあとかって言いながら身体は正直だよねとか何とか言って雪崩れ込もうと思ってた」
「……」
「抱かれて意識が朦朧としてる所で、臨也さんが好きです、って沢山言わせてやろうと思ってた」
「……、」
「寂しかった、って。俺に会いたかった、って。言わせたかった」
「…いざや、さ」
「馬鹿だね。馬鹿だ。君の言うとおり、馬鹿だよ」
「ちが、」
ははっ、と力のない乾いた笑いが聞こえて、見まいとしていた彼を振り返った。
「っ臨也さん、それ…!」
飛び込んできた光景に、思わず悲鳴みたいな声が出た。
「ああこれ?ちょっとね」
ちょっとじゃないでしょう、と言いたいのに喉が震えて何も言えない。
何度近くで見ても慣れない程の、思い出すだけでも溜息が出るくらいの作り物めいた美しい造形をした彼の顔。
今、その半分を白い包帯が覆っていた。
額の部分からは赤い染みが滲んでいる。
はっとして、身体に回されている腕を見やれば案の定、手の甲には包帯。
「なん、何して、こんな怪我で!!」
しがみついていた指から慌てて力を抜く。
ブー、ブー、
「チッ」
突然、マナーモードにしていた携帯が震えだした。
忌々しそうに舌打ちした臨也さんにつられてテーブルの上の携帯に視線をやる。
が。
「今は俺のこと見て俺のこと考えててよ」
包帯が巻かれていない方の腕で無理矢理に顔を彼の方へ向かされ、まともに見ることは出来なかった。
けれど、ちらと見えたディスプレイには『新羅さん』と表示されていた気がする。
「臨也さん、まさか…、っ」
相変わらず抱きとめる力は強かったけれど、片腕になった分、多少は力が緩んでいて、身を捩って彼に正面から向かい合う。
そうして彼の全身を見て、言いかけた言葉が凍りついた。
顔、首、腕、露出の高い訳ではないのに、それでも見える範囲に幾重にも巻かれた白い包帯、それから香る消毒液の独特の匂いに混じる、微かな鉄臭さ。
臨也さんは硬直した僕に苦笑いをした。
「大丈夫だよ、死ぬような怪我じゃない」
嘘つき。
だったら何で僕の所に新羅さんから連絡がくるんだ。
もう分かってる。
分かってるんだ。
さっき彼は言った。「もっと早く来るつもりだった」って。
それが叶わない程の怪我をしたんだって、そんなのこの状況を見れば誰に言われなくたって分かる。
「ごめん」
「もう、そんなことはもう、いいですからっ…!新羅さんの所に、!」
「やだ」
駄々をこねるような言い方をして、ぐりぐりと首筋に顔を埋めてくる彼を引き離そうとしたら、再び両腕が腰に絡みついてきてそれは叶わなかった。
「言い訳を、させて欲しい」
「そんなの後でいくらだって聞きますから、だから臨也さん」
「嫌だよ」
「っいざやさ、」
「だって俺が来るのずっと待ってたんだろ」
いい加減に痺れを切らして声を荒げた僕とは対照的に、静かに彼が放った言葉に思わず体が揺れた。
「カレンダー、ずっと捲れないままでいるくらい、俺のこと待っててくれたんだろ」
「…、そ、れは」
「本当は、誕生日の次の日に、零時まわった時に会いにくるつもりだったんだ」
勝手に話し始めた臨也さんに、僕は行き場のない手を彼の背中に回した。
「だけど、あの日。君の誕生日、昼間に依頼があって。どうしても断れない依頼先で。すぐに終わらせるつもりだったし、実際夜には終わらせた。だけどタイミングっていうか取引先に渡した情報に絡んでた相手がちょっと面倒で、………」
突然沈黙した臨也さんに、まさか怪我の所為で苦しいのだろうかと声を掛けようとしたら、物凄く不機嫌そうな不愉快そうな声が肩口から聞こえてきた。
「……シズちゃんの借金取り取りの場面に出くわしてさ」
「………」
ご愁傷様です、と、口には出さなかったけれど咄嗟に思った。
臨也さんというよりは、何となく静雄さんに。
「シズちゃんに追い掛け回されるわ依頼先のターゲットだった組織からもこれ幸いにって反撃くらうわで」
何となく予想がつく。
どこにいようと臨也さんを高確率で見つけ出す静雄さん、そして一度殺し合いを始めれば、どこで殺り合っているのかが一目瞭然な程の派手なやりとり。
「何とかやり過ごしたんだけど、まあちょっと見ての通りしくっちゃってさあ。ちょっと新羅の所で世話になってたんだよねえ」
顔を上げて覗き込んできた彼の、包帯に覆われていない半分の顔が歪んだ。
痛みの所為なんだろうと思ったら、急にもどかしいような気持ちが競り上がってきた。
「だったら!」
思わず飛び出した大声に、ぱちん、と瞬きをする臨也さんが目に入る。
その、何も分かっていない態度に怒りとは違うけれど、それに似た感情が膨れ上がる。
「だったら、っメールで良かったじゃないですか…!電話でだってよかった…!何でこんな、こんな軽くないなんて僕にだって分かる身体で、」
「寂しいって言わせたかった」
「 、」
真剣な瞳を前に、それはさっきも聞きましたなんて言えなかった。
「会いたいって、言って欲しかった」
そんなこと、いつだって思ってる。
「いつも言ってくれないから」
言ったら面倒がるくせに、何を、
「だから、誕生日なら、こうゆう特別な日なら感情も昂るだろうから、言ってくれるかなって、期待してた。だから、当日は君に会わないようにした」
腰に絡む彼の片腕がするりと背中を這い上がってきて、後頭部に添えられる。
緩く撫でさすられるその感触が暖かく感じて、何故か涙が出そうになった。
「いざ、」
期待してたって、それってその言葉に僕は期待してもいいんですか。
ただの観察の一環じゃないって、そう思ってもいいですか。
「臨也さん、」
寂しかったって言ってもいいんですか、会いたいって言ってもいいんですか。
面倒だって思いませんか、嫌いになりませんか、言った途端にただの駒にされたりしませんか。
「寂しかった」
ほろり、とこぼれた音は僕の唇からではなくて、目の前の彼の唇からだった。
驚いて見つめる僕に、苦笑いをするでもなく、臨也さんは続けた。
「会いたかった」
後頭部を撫ぜていた掌が頬に添えられる。
彼の親指が左の目尻を優しく擦って、自分が泣いてるのだと初めて気付いた。
「あ、っ」
拭おうと腕を持ち上げようとしたけれど、抱き寄せる彼の力が少し強くなって、彼を抱き締める腕を離すのを止めた。
僕を見つめる赤い瞳が少し和らいだから、きっと正しく彼の想いを解釈できたんだろうと思う。