Zefiro torna【泉栄】
なのに、一体どうしたのかと。気にかけてはいたんだ。
今日も、そうだった。
二人で屋上で昼飯を食って、まだ昼休みは時間あるから、とごろりと横になって。
『食べてすぐ横になると牛になるって言われなかった…?』
なんて、楽しそうに言う栄口の声を子守歌代わりに、心地よい風に吹かれながらオレはウトウトし始めていた。
(ああ、寝ちまいそー。)
そう思って、眠りに落ちるその瞬間。上から降ってきたため息に、オレの意識は急速に覚醒した。
瞼を開けば、オレを見下ろしていた栄口とばちっと目が合う。
さっきまで笑顔だったはずの栄口は、すごく辛そうな顔をしてて。オレは、思わず身体を起こした。
「……栄口っ!」
その声だけで、栄口はオレが何を言いたいのかワカったみてーで。ふい、と目を逸らした。
「どーしたんだよ。なんか、あった?」
訊ねる言葉に、栄口はふるふると首を振る。
「……何も。」
「何もねー顔じゃねーだろ?」
逃がすもんか。
また、コイツは一人で抱え込んで。
コイツの隣に並ぶことができないならせめて、コイツを支える存在でありたいのに。
オレは栄口の腕を掴むと、ぐっとその目を見るように距離をつめる。
栄口の色素の薄い瞳が迷いで揺れた。もう、一息だ。
「何かあったらすぐ言えって言っただろ。……それとも、そんなにオレ頼りねぇか?」
「そんなコト…っ!」
栄口は即答する。
じゃあ、言ってくれよ。オレにそのくらいの気持ち、くれよ。
栄口は視線をさまよわせると、俯いて唇を噛む。それから、震える声で言葉を続けた。
「オレ……おかしい、のかな。」
「……何が。」
ちらりとオレを見て、また視線を落とす栄口にドキリとする。
オレとほとんど背の変わらない栄口が、オレを上目遣いに見つめるなんてコト珍しーから。
「その……触れたい、とか。そーいうのって。」
水谷のコトを言ってる。すぐにワカった。だけど、触りてーって、キス、のコトか? それとも、もっとその先のコトか?
栄口がそーいうこと言うの意外だったから、変にリアルに想像しちまって、心臓がドキドキ言い始める。言葉を紡ぐ栄口の薄い唇に、つい視線が行ってしまう。
「あの、さ。答えにくいかもしんねーけど。……水谷と、キスとか、した?」
栄口はぶんぶんと頭を振る。
ああ、それで、と合点がいった。
付き合って一ヶ月が早いか遅いかわかんねーけど、栄口と水谷はキスすらしてなくて。そんで男相手にそーいうコトしたいって思うのはおかしいのか、と栄口は不安になってる、そーいうコトだよな?
まだ何もしてないって聞いて、オレは思わずよっしゃー! と心の中で小さくガッツポーズをしたけれど、今大事なのはオレじゃなくて栄口のこと、だ。
だから、オレは思ったままを言葉にした。
「好きだったら、触れたいとかって別におかしくねーだろ。男同士だろうが、カンケーねーよ。」
これがオレの率直な気持ち。だって、オレは栄口にならキスできる。むしろその唇を奪いたいとさえ思う。
「けど…っ、」
現に水谷とはそーいう雰囲気にならないし――と頬を染めた栄口に。また、オレの心臓が跳ねた。
この距離で、その表情はヤバいだろ。頬が上気するにつれて、栄口の唇も薄く色づいて。しかも濡れて光るソレをみていたら、キスする言い訳までも思いついてしまった。どーする。行くか? 行くか、オレ。
「大丈夫だって。」
オレは言いながら、目の前10cmに迫っていた栄口の唇にオレのソレを押し当てた。
「――っ!」
触れたのは一瞬だけだったけれど、それはとてつもなく甘くて。そのまま貪りそうになるのを必死に抑えた。
「ほら、トモダチでもできんだからさ。」
身体中が心臓になっちまったみたいにバクバクいってるのを懸命に隠して。オレは栄口にニッと笑いかける。
「い、ずみ…ッ!」
真っ赤になって、目ぇ見開いて。たった今オレが触れた唇を右手で覆ってオレを見つめる栄口。
そんな顔、すんなよ。また、奪いたくなる。
「いっそ、正直に言うのもありかもな。」
オレは言いながら立ち上がると、尻を払って、それから栄口の頭にぽんぽんと手をのせた。
「じゃあ、オレ次移動教室だから。そろそろ戻るわ。」
「あ…、うん……。」
コレ以上栄口と一緒にいたら、自分の中の劣情まで曝してしまいそうだったから。
オレは逃げるように屋上を後にした。
泉が、屋上から校舎に通じるドアをくぐるのを見送って、それからそっとなぞるように唇に触れた。
まだ、身体が熱い。
一瞬だけ、触れたのはホンの一瞬だったのに。泉とのキスはすごく甘い気がして。
触れた時の少しかさついたやわらかな感触を思い出してまた赤面する。
泉はトモダチだってできるだろって言ったけど。オレには、無理だ。同じクラスの巣山にだって、同中だった阿部にだって、同じコトはできないと思う。
……泉は、オレのこと、どう思ってんだろ。
ふと、そんなことが気になった。
いつもオレの話をイヤな顔一つせずに聞いてくれて、臆病になりがちなオレの背中を強く押し出してくれる。
親友って、こーいうのを言うんだろう。そう思うのに、何かかちりとハマりきらないものを感じてもやもやする。
そもそも普通は友達同士でキスってできるんだろうか。オレはどうしたって自分の尺度で考えてしまう。オレは、友達とキスなんてできないってやっぱり思う。……でも、泉とはできた。不思議と嫌悪感はなかった。ただ、吃驚して、ドキドキして――
これが、付き合っている水谷とだとまた違うんだろうか。水谷と、キス――。
ドキッとはしたけど、なんだかうまく想像できなくて。
オレは頭を振ると、5時間目の授業に出るために仕方なく立ち上がった。
「み、ずたに…っ!」
「どしたの? 栄口。」
なんで部誌当番なんて回ってくるんだ、とぼやく水谷をオレはぼんやりと眺めながら待っていたのだけれど。
ころころ変わる水谷の表情を見ていたら、ふっと昼間の泉とのキスを思い出してしまって。
思わず水谷の名前を呼んでしまった。
「あ、あの…さ…っ」
「んー?」
「オレらって、…付き合ってんだよね?」
その言葉に水谷はきょとんとして。それからふにゃっと表情を緩めた。
「そう…だと思ってたけど?」
だったら、…おかしく、ないよな?
「キスとか……水谷はしたいって、思わない、の?」
目なんか見らんなくて。
オレは部室の床をじっと見つめて訊ねた。
一瞬の間があって、水谷の表情が真剣味を帯びる。水谷のこーいう顔あんまり見たことがなくて、ドキッとした。
「……栄口は、したいの?」
穏やかな、いつもよりちょっと低い声で水谷が訊ね、オレはこくりと頷いた。
「じゃ、しよっか。」
……しよっかって――
思う間に、水谷の指が顎にかかる。
「キスする時は目ぇつぶるもんデショ。」
言われて、変に納得して、オレはぎゅうと目を瞑った。
ゆっくりと触れる、やわらかな少し厚い唇。
あたたかな体温を感じたけど――それだけ。
あれ?
初めて自分の中に疑問が生まれる。
泉とのキスはこんなじゃなくって。
もっと熱くて。
もっと甘くて。
作品名:Zefiro torna【泉栄】 作家名:りひと