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Zefiro torna【泉栄】

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 傘は持ってなかったのか、持っていてもさす気がなかったのか。全身濡れ鼠になっている栄口にオレは駆け寄る。
「どーしたんだよ、ホントに…っ」
 栄口はオレの顔をちらりと見ると、苦しそうに眉を寄せた。
「い、ずみ…っ……オレ、…っ…ごめ…ッ」
 ひきつれるような声でただ『ゴメン』を繰り返す栄口を立たせようと、オレは栄口の腕を掴む。
 ……って! なんだよ、コレ。
 異様に栄口の身体が冷たい。よくよく見ると歯の根もうまく合ってなくて、カチカチと音を立てているようだった。
「栄口…っ、……お前、いつからココにいた。」
 思わず声が低くなる。
 悠長に外で話してる場合じゃねぇ。まず身体をあっためないと。
「わ…かんな……っ」
 途切れ途切れに言って、栄口は首を振る。
 こんなにワケわかんなくなっちまってる栄口は初めてじゃねーか? オレはまじまじと栄口を見下ろした。
 とにかく! まずは栄口の身体をあっためてやるのが先決だ。話を聞くのはそれからでも遅くない。
「栄口、立てるか?」
 オレは掴んだ腕を軽く引いた。栄口もふらふらしながらも何とか立ち上がる。
「オレんち、すぐソコだから。」
 その言葉に栄口は遠慮するように一瞬身体を引いたけれど。
 縋るようなその目は、オレのこと頼ってくれてるって思っていいんだろ?
 無言で栄口の手を引いて歩き始めたオレの後ろを、栄口も、やはり無言で歩いた。



 家についたら、『そこまでは』と固辞する栄口を問答無用で風呂へと押し込んだ。着替えはオレの服で問題ないだろう。お袋に頭下げて栄口んトコ電話してもらって、今日は栄口がうちに泊まれるよう話をしてもらった。
 幸い明日は学校も部活もない。こんな遅い時間に、こんな状態の栄口を一人で帰す気なんて欠片もなかった。
 客用の布団を用意してると、栄口が申し訳なさそうにちょうど風呂から出てきて。
「泉っ、これ――」
 すぐ帰るつもりだったんだろう、慌てるような栄口に。
「今日はうちに泊まるってお袋に電話してもらったから。――そんな顔してるお前、一人で帰せねーよ。」
 と、真剣な顔で告げた。
 俯いて、栄口はぐっと唇を噛みしめて。それからまた『ごめん』と零した。
「謝るとか、いいからさ。……どうしたんだよ、栄口。」
 オレは謝って欲しいワケじゃなくて。何が栄口にそんなに苦しそうな顔をさせるのかを知りたいだけだ。
 訊ねると、ますます栄口の頭が下がる。
「また、水谷か……?」
 水谷の名前を聞いて、栄口はそれとハッキリ分かるくらい身じろいだ。
 こんなにも栄口を、心ごと振り回すのは、やっぱり水谷なのか。
「くっそ! やっぱ一回アイツぶん殴っとかないと気ィすまねー。」
 今にも飛び出してやりかねないオレの服の裾を、栄口は慌てて掴む。
「ち、が…っ! 殴らんなきゃいけないのは、オレの方だから……。」
 ぎゅっと服の裾を握りしめる栄口をオレは振り返った。相変わらず下を向いてはいるけれど、さっきまでの頑なさはない。
「なんで。どーいう、ことだよ……?」
 できる限り優しく落ち着いた声で訊ねるオレに。
 身体に残っている力を逃すように栄口はため息をつくと、ぽつりぽつりと話し始めた。
「……水谷と……キス、して。」
 話は聞いていたから覚悟してたのに、実際に栄口の口からそれを聞くときゅっと胸が締めつけられる。
「それで、もう、終わりにしようって。別れようって――」
 栄口なりにショックだったのか、微かに声が震えてる。
「はぁ?!」
 ワケがわかんねぇ。キスしといて、なんで。別れるとか言う話になるんだよ。
「……水谷はっ…オレのこと、ちゃんと…っ、…なのに、オレ――」
 くしゃりと栄口の顔が歪んだ。泣く、そう思ったのに、涙は零れなかった。かえってそれが痛々しい。
「水谷のこと、傷、つけて…っ、…泉も巻き込んで……っ…オレ、もう……」
 その後に続いた『消えたい』という呟きを聞いた瞬間、オレの頭ん中は真っ白になって。
 強く栄口を抱きしめていた。
「そんなこと、言うな…ッ!」
「いず、み……?」
「辛かったら泣けよ。泣いちまえよ。全部泣いて、流して、後悔して、それからまた、同じコトしねーように前に進めばいーんだよ。……消えたいとか、そんな逃げるみたいなコト言うな…ッ!」
「……っく、」
 抱きしめる左腕を栄口の後ろ頭にまわすと、栄口の顔がオレの肩口に埋まるよう抱き寄せる。
 これだったら、栄口の顔はオレから見えねーから。泣きたいだけ、泣けばいい。泣けば泣いただけ、笑顔になれるから。
「ひっく、ぅ、…ぅう…っ、――う、ぅぁああ――っ」
 しゃくりあげるような呼吸が嗚咽に変わり、じきに声を上げて泣き出した栄口の。
 震える背中を、オレはずっと撫で続けた。



 溢れだした感情は、とめどなく泉の肩口を濡らした。
 いつも、オレと水谷とのこと気にかけてくれて。相談に乗ってくれた泉の気持ちをオレは無駄にしてしまったんだ。
 それだけじゃない、泉のことが、好き、だなんて。今頃気づいてしまったこの想いをどうオレは昇華させればいい?
 黙って、ゆっくりとオレの背を撫で続ける泉の手のひらは優しい。
 こんなコトをしてしまった自分には、泉にこっちを振り向いて欲しい、なんて許されないことだけど。
 せめて今だけ――そう思って。オレはぎゅうと泉の胸元にしがみついた。
「……少しは落ち着いたか?」
 オレが泣きやんだ頃を見計らって、泉が囁くように優しい声で訊ねる。
 オレはこくりと小さく頷いた。
 それでもまだ、離れずにいてくれる暖かな腕を嬉しく思いながら。オレは整理しながらゆっくりと事の顛末を話し始めた。
「水谷は、ちゃんとオレのこと好きでいてくれたんだよね……」
「うん…」
「だけど、オレの好きは恋愛のそれじゃなくって。行き過ぎた友情? 子供じみた独占欲だったんだ。」
 泉は何も言わない。散々相談に乗ってやったのに――って呆れてんのかな。
 でももう少しだけ、甘えさせて。
「それ、水谷の方がワカってて。栄口、他に好きなヤツいるでしょって。」
「……っ!」
「言われて、気づいた。それで、オレ水谷に酷いコトしてきたんだって。オレから好きだって言っといて。オレの中に違うヤツがいるの、水谷はすぐ傍でずっと見てて。」
 落ち着いて、感情的にならないように話そうと思うのに。
 溢れるものはちっとも落ち着いてなんかくれない。
 喉に絡んで声がうまくでない。泉には話さなくちゃいけない、そう思うのに。
「別れよう、友達に、戻ろうって…っ、あいつに、オレ、言…せて……っ」
 一筋、堪えきれなかったものがすぅっと流れ落ちる。
 泉は少し身体を離すと、指を伸ばしてオレの涙を拭った。
「ワカったから……。も、いーから。それがどんな気持ちでも、あいつは『水谷を大切に想う栄口』を好きになったんだから。あいつはアホだけどバカじゃねーし。ちゃんと自分の気持ちに整理つけてくる。それなのに、お前がいつまでも自分責めてたら――あいつが困るだろ?」
 泉のいいなって思うとこは、言葉が悪くても、いつも仲間のことをとても大切に思ってるってコト。ああ、オレきっとそーいうところも好きになったんだなって思った。
作品名:Zefiro torna【泉栄】 作家名:りひと