ブルーバード
<2>
土方と共に食堂へ向かうと、中は何やらざわざわと騒がしかった。さては今朝は新メニューかなと沖田は少し期待して、先に食堂へ足を踏み入れた土方の後に続く。
「一体なんの騒ぎだ?」
食堂を見渡して土方が不振がる。沖田もその隣ではてと小首を傾げた。テーブルにならぶ料理は新メニューではなくいたっていつも通りで、白米と塩鮭と味噌汁と沢庵。むしろ不穏なのは、食べかけのままの皿が放置してある席が多数あることだった。隊士たちは食事もそっちのけでなにやら窓辺に群がっている。
「おい、山崎ィ!」
土方の一声で、食事もそこそこに何故か窓辺へ群がっていた隊士の山からひょこりと男が飛び出してくる。その素早い行動と従順さに感心半分、呆れ半分だった沖田は、山崎の手の中を見てあっと小さく声を上げた。
「おはようございます副長、沖田さん」噛みそうな速度でそんな定型の挨拶を口にしつつ山崎はずいっと腕を土方の方へ突き出す。沖田のように声こそあげなかったものの、土方も十分驚いた顔をしていた。山崎の手の中に居る青い塊を凝視する。
「…なんだ、この鳥は」
青い塊は、ふくふくとした小さな鳥であった。
土方に睨まれて山崎は体を竦ませるけれど、その山崎の掌の中でまるまっている小鳥の方は、人間に怯える様子も見せずまったりと寛いでいる。眼光を鋭くする土方をまぁまぁと宥めて、沖田は早速小鳥へ手を伸ばした。こら、と間髪容れず咎める声が降って来るけれど、沖田は躊躇わない。そして小鳥の方も、何度か小首を傾げる所作を見せたものの、軽快な動きで沖田の指先へ飛び移った。沖田は目を瞬く。
「へぇ、随分人に慣れてンなァ。誰かのペットか?」
「えぇ、流石にこの人懐っこさからして野生じゃないと思いますが…」
山崎が土方の視線を気にしつつ沖田に答える。沖田は、自身の掌に乗った小鳥にすっかり釘づけだった。首より上は白いのに、腹は晴れやかなブルーに染まっている。たたまれた羽も艶やかな青色だった。今朝の空と同じ色である。純粋に、きれいだなあと沖田は思った。けれど、うっとりしていたのは沖田だけで、隣に立つ土方は山崎を射殺さんばかりの目で睨みつける。ひいっと小さく悲鳴をあげた山崎は弁解するように早口で言った。
「ですが、ペットとは言ってもウチの隊士で鳥を飼っている奴はいないですし、恐らくどこかから逃げ出して来たのか捨てられたのかってところだと思います」
「ほう…」
「それでどうやら屯所に迷い込んだらしんですそれ以上は俺もわかりませんが俺が食堂に来たときはもう既に隊士たちに囲まれてました!」
後半は句読点すら入れずに言いきった。一仕事終えた後の様に山崎はぜいぜいと肩で息をしている。
小鳥は沖田の手の中でおとなしくしている。掌に載せていても重さを感じないくらいふわふわとしていた。沖田はすっと瞳を細める。彼の手の中に居るのは温かい体とつぶらな瞳をもつ生き物である。いいなァ、と反射的に沖田は思った。何が羨ましいのかは、わからなかったけれど。
「で、どうするんですかィ」
ただ黙って苦い表情を浮かべたままの土方へ、食堂に居た隊士を代表して沖田が問いかける。じっと小鳥を睨んでいた土方は迷うそぶりも見せず口を開いた。
「迷い鳥なら奉行所にでも預けて来い」
食堂に集まっていた隊士から落胆の溜息が落ちるけれど、土方には全然聞こえていなかったみたいだった。沖田は土方の横顔を盗み見る。だってそうでなきゃ、こんな冷たい顔が出来るもんかと沖田は思う。
朝食を終え食堂を出たその足で、土方は仕事を開始するために副長室へやって来た。障子を開ければ、裁かなければならない書類の山が今日も土方を出迎えてくれる。嬉しくない。小さく息をついて土方は文机の前に腰を下ろす。
よその者が聞いたら意外に思うかもしれないが、基本的に屯所の中はいつもわりと静かだった。男ばかりのこの場所が騒がしくなるのは、宴会をやっている時か沖田が何かを仕出かした時くらいなものである。今朝は例外的に迷い鳥のせいで少々騒がしかったが、山崎に奉行所へ連れて行くよう命じておいたのでもう気を揉む必要はないだろう。今土方が考えなければならないことは、目の前の書類のこと。いや、それよりもっと優先順位の高いものが土方の背後に在った。
「おい」
見回りへ行かねばならぬはずの沖田がなぜか食堂からずっと土方についてきて、副長室へ入り込んで胡坐をかいているのである。
咎める意味で低い声を出す。沖田のサボり癖にほとほと呆れ返っているのは土方の方だと言うのに、沖田からも呆れたような視線が寄越されて自然と顔が剣呑になる。
「だから俺ァ「おい」なんて名前じゃないって何度言えばわかるんですかィ」
「うるせェ。一丁前な口答えをする前にお前は仕事をしろ、仕事を」
「そんながみがみ言わないでも、しやすよ。ちょっと休憩したらね」
懐からいつもの赤いアイマスクを取り出して沖田はしらっとそんなことを言う。頭に来たので思わず、畳にごろりと体を転がした沖田を蹴って、廊下へ追い出してしまった。放り出された沖田は、土方のつりあがった目を見てあれれ、と呟く。
「こりゃあ本当に倦怠期ですかねィ。一緒に居るのが嫌、会話も面倒ってのは、倦怠期の典型的な症状らしいですぜィ」
「くだんねェこと言ってないでさっさと見回りに行って来い。」
冗談めかして言った沖田を睨んで土方は取りつく島もない。はいはいはい、と沖田はアイマスクを懐にしまいながらおざなりにうなづいた。土方の機嫌がすこぶる悪いということだけはどうやら沖田にも正しく伝わったようだった。珍しくそれ以上口を開かないで沖田は廊下を静かに玄関の方へ向かって歩き出す。遠ざかるその背中を見送ることもしないで土方は部屋へ引っ込んだ。そして、目の前の仕事について頭を切り替える。