ブルーバード
<3>
副長室をつまみ出された沖田は、とりあえず巡回に向かった。土方に邪魔されて今朝の天気を判断するのをすっかり忘れていたから、沖田は歩きながら首をそらして上を仰ぐ。空は快晴で風もなく、外を歩くのに暑くも寒くもない気温である。雨の気配もない。その日の見回りは可もなく不可もなく―――要するに、これといった事件もなく、けれど何もなかったわけではなくて途中で鉢合わせた神楽と一戦交えたりして、沖田は屯所に帰って来た。
本来ならば見回りの報告を土方に上げなければならない。けれどそれを面倒くさがって沖田が一番隊の隊士に「異常なし」の伝言を押し付けていると沖田さァんと名前を呼ばれた。
「なんでィ」
情けない声をあげて沖田を呼んだのは山崎である。彼の困った顔を認めた沖田は不謹慎にも口元を引き上げた。山崎は優秀な監察なのだがいかせん仕事より雑用の量が上回る日々を送っている。だから、彼が困っている時にはたいてい沖田にとっては暇つぶしにもってこいの問題が起きている時である。
沖田の元まですり足で寄って来た山崎は、沖田の腕をとってそのまま手身近な部屋に連れ込んだ。廊下と部屋を隔てる障子をぴしゃりと引くと、明かりのない部屋は少しだけ薄暗くなる。
「困ってるんです、助けてください沖田さん!」
さて、今度はどんな面白いことが起きるのかなと思っていた沖田は、唐突にそんなことを言われて少し混乱した。彼が沖田に頼みごとをするのは珍しい。そして、助けを乞うのはもっともっと珍しい。なにせ沖田は自他ともに認めるトラブルメーカーなのである。
「一体何があったんでィ」
声を潜めて問うと、沖田の腕に縋った山崎は警戒するように念入りに左右を見渡す。まさか隊士の中に敵と内通する者でもいるのだろうか、山崎の頼みといのはそいつを粛清しろということで、だから、沖田に話を持ってきたのだろうか。沖田はない頭でそんなことを考えている。しかし、沖田が難しい顔をしたまま視線で先を促すと、山崎はこいつです、と言いながら自らの隊服の上着をめくって見せた。
「ん?」
上着の下から現れた鮮やかなブルーが、薄暗い部屋の中に色を生む。沖田は何度か瞬いて、それから知らず詰めていた息を吐き出した。と同時に、まだ腕に回されていた山崎の手を幾分乱暴に払う。
「なんでィ。今朝の鳥じゃねーか」
上着の下からひょっこり顔を出した小鳥は、確かに今朝食堂で隊士たちの中心にいたそれだった。やけに人懐っこくて、沖田の手にも飛び乗ったあの。くるりとした瞳で沖田を見上げてくるところも今朝とまったく同じである。
山崎は泣きそうな声で実は、と事の次第を語った。
「俺、副長に言われたとおりあの後すぐにこいつを奉行所に連れて行ったんです」
山崎にとっては副長の命令は絶対である。それは、職務上の命令のみならず今回のような仕事外の命令でも変わりがない。沖田の手から戻ってきた小鳥を捕獲すると、山崎は朝食も食べる前から奉行所へと急いだ。迷い鳥であることを告げ、小鳥を預ける。小鳥は文句も言わず(あたりまえだが。)静かに奉行所の人間の手の中に移った。任務を完了した山崎は屯所へ帰る。任務を終えようやっとおそい朝食を取つ為に食堂へ向かう。その途中、視界に青い塊が飛び込んできた。
「…つーことは、奉行所から逃げてここへ戻って来ちまったってことか?」
嘘みたいな話を聞いて沖田は小鳥を見る。このふくふくとした小さな生き物は、かよわそうな見かけによらずどうやら我を通す性格らしかった。
「もちろんすぐに捕まえてもう一度奉行所に行こうとしましたよ!けど、屯所を出ようとすると、今みたいに大人しいのがウソみたいに暴れ出して…」
ぱっと羽を広げた小鳥は、薄暗い部屋の中で輪を描くように滑らかに飛んで沖田の肩にふわりと止まる。
「どうしましょうどうしたらいいんですか俺は!このままじゃ副長に殺される…!」
「そうだなァ…」
沖田は、小鳥の始末を冷たく言い放った土方の横顔を思い出してしばし思案する。その沖田の肩に止まった小鳥は、やもすれば泣き崩れそうな山崎を不思議そうに眺めている。
有無を言わせず乱暴に追い出したからだろうか。普段は用もないくせにちょいちょい副長室へ訪れる沖田が、今日は1日まったく音沙汰なかった。土方は、終業の時間になってやっとそのことに気が付く。仕事は予想以上に進んでいた。それもこれも、やはり騒動と苛立ちを連れてくる沖田の邪魔が入らなかった為であろう。
煙草に火を付けながら、倦怠期だと言った沖田の言葉を不意に思い出して土方はひとり静かに目を閉じる。
そういうこともあるのかもしれない。
沖田と土方の付き合いは長い。それに沖田に至っては、人生の半分以上を土方と共に過ごしているのだから、飽きが来たりうんざり思うことがあってもなんら不思議ではないはずだった。ただの知り合いや仲間というくくりの中より、もっとずっと近いところに居たぶんなおのこと。
この考えは決して土方の独りよがりな判断じゃないはずだ。土方が沖田を遠ざけるような態度をとったところで、沖田が別段特殊な反応を示さないことがその証拠である。沖田もまた、土方と同じような心持ちでいるのだろうと土方は推測する。
二人の関係を表す言葉はいろいろある。上司部下ともいえるし、恋人同士ともいえる。ただ、恋人という繋がりはもしかしたらもうあまり正しくないのかもしれないと土方は思った。閉じていた目を開けて、自分が吐き出した白い煙をじっと追う。
『一緒に居るのが嫌、会話も面倒ってのは、倦怠期の典型的な症状らしいですぜィ』
頭の中で沖田の言葉をリフレインする。そして、あの時は返さなかった返事を今頃小さく呟いてみた。セックスレスも倦怠期のシグナルらしいぜ。
もう一度目を閉じて、今度は今日一番に見た沖田の、だらしなく寛げた襟元を思い出す。沖田の白い首筋に赤い跡を残したのは、もうずっとずっと前の話。