ぐらにる 流れ ぷんぷん
で、他人に踏み込ませたことがなかったからだ。無理矢理強引に、彼は、その境界線を飛
び越えてきた。だからこそ、ここで安眠できる。
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掃除機をかけて、洗濯をして、とりあえず、部屋を整えたら、すでに夕刻になっていた
。さて、晩御飯は、何を作ろうか、と、普通に考えている自分に苦笑した。
「俺は通い妻か? 」
「とても遠距離の通い妻だがな。」
独り言の割りに、大声で叫んだら、扉の向こうに、グラハムが立って微笑んでいた。ど
うやら、家事に熱中していて、帰宅の音を聞き漏らしたらしい。
「いつから、そこに居たんだ? 」
「きみが、洗濯物を熱心に畳んで、少し遠い目をして微笑んだ辺りから・・・・ただいま
、ニール。」
「おかえり。早かったな、もっと遅いと踏んでたんだが。」
「私の友人は、それほど非情な男ではないよ、姫。『お姫様に泣かれる前に帰ってくれ。
』 と、早めに開放してくれたのだ。」
絶対に、こいつの友人とやらに会いたくない。きっと、とんでもない誤解をされている
だろうと思われる。だいたい、『お姫様』って呼称からしておかしいのだ。
「なあ、グラハム。あんたの友人って人は・・・・・いや、いいや。食事のリクエストは
あるか? 」
まともか? と、尋ねようとしてやめた。この男の友人をやってられるということは、
おそらく同類か、まともではないだろうと予想されるからだ。
「作っていないなら、外で食事しよう。」
「いや、簡単なものなら、すぐに作れる。」
絶対に勘弁して欲しい。彼の行きつけの店に連れて行かれて、対面するのだけは避けた
い。
「そうだな。ニールの手料理のほうが、私も嬉しい。何か手伝えることがあるなら、遠慮
なく言ってくれ。」
しゅるりとネクタイを外して、制服を着替え始める。上着を床に落とすので、それを拾
い上げ、パンツと共にクローゼットに直した。洗濯の終わった普段着を差し出したら、嬉
しそうに受け取る。
「俺がいない時は、どうしているんだ? 」
「制服はソファに投げ出して、シャワーを浴びて寝る。」
「・・・・・なるほどな・・・・・」
留守の時にやってきて、ランドリーボックスが下着だけというのに、かなり疑問は持っ
ていた。誰もいない時は、たぶん、食事も軍でとって、ただ眠るために帰ってくるのだろ
う。
「ニールの手紙が来ていないか確かめるだけで、ここに泊まらないことだってある。きみ
が来るようになってから、ここに頻繁に足を運ぶようになったんだ。」
「それほど多忙な軍人さんが、こんな時間に帰って来て、大丈夫なのか? 」
「『姫が待っている。』 という強力な呪文があるからな。普段、休みなんてとらないの
だから、こういう時ぐらい優遇されても構わないさ。・・・さあ、姫、私くしめに、あな
たの手伝いをお申し付けください。」
さっさと着替えたグラハムは芝居染みた口調で、俺に手を差し出す。まあ、そういうこ
とだろうな、と、納得して、「じゃがいも五個剥いてくれ。」 と、差し出された手に手
を重ねて、普通に命令した。
簡単な料理をして、のんびりと食事をした。些か会話が成立していない部分もあるが、
慣れれば、そういうもんだと割り切ることができる。本質的に言っている意味は、理解で
きるからだ。
「明日は、何時に? 」
「昼には出るよ。」
明日、ここから帰ることになっている。一週間とは言ったが、明日のうちに戻っておか
なければならない。ぎりぎりの時間まで付き合うつもりだったから、午後一番のエアチケ
ットを取った。これで、目一杯だ。
「なあ、ニール。私が、きみを、ここへ監禁して隠してしまうというのは、どうだろう?
」
「はあ? 」
「きみの所属する組織へ、きみが帰らなければ行方不明ということで、逃れられるのでは
ないだろうか? もちろん、ここでは危険だから、軍の宿舎に、しばらくは隠れて居れば
いい。退屈なら、軍の内部での仕事も斡旋しよう。いい考えだと思わないか? 」
「・・・・グラハム・・・・・・正気に返れよ? んなことできるわきゃねーっての。」
「なに、きみは、黙って私に身を任せていればいいのだ。きみが悪いのではない。私が、
このグラハム・エーカーが、きみを監禁するのだ。きみには非がない。」
いつものことながら、この男の思考回路というものを、どっかで分析してくれないだろ
うか? と、呆れてしまう。そんなことで、簡単に済むはずがないことなど、お互いに承
知のことだろうに、帰る頃になると、いつも、突飛な引き止め方を考えるのだ。
「確かに、俺は、あんたに本気でかかってこられたら、太刀打ちはきかねぇーよ。けどな
、本気で抵抗はするからな。どんな手を使ってでも、俺は逃げる。そのつもりでかかって
こい。」
そして、いつものように断固拒否する。だいたい、俺とこいつが、こんなところで、い
ちゃいちゃしている段階が、すでにマズいのだから、それ以上のことはできない。
「威勢のいいことだ。」
彼は、剣呑な空気を撒き散らかして、俺を睨む。ここで怯んだら負けるから、俺も睨み
返す。ずっと、一緒に暮らそうと誘い続けられているが、それは無理というものだ。今は
、まだ、組織が本格的に活動していないから、どうにかなるが、実際、動き出したら、ふ
たりとも、その仕事で逢うどころではなくなるだろう。
・・・・・いつか、戦場でやりあうんだろうな・・・・・・
それについては、腹を括っている。相容れない主張の元で対するのだから、どちらも折
れることなんてない。それに、彼は、俺だとは気付かないだろう。殺されてやるつもりは
毛頭ない。どうせなら、自分の手で葬る。
「ニール、どうして、そう抵抗するんだ? 」
「そりゃするだろう。・・・・・あのな、俺が、こんなに長い時間、定時連絡もなしで、
ここに居れるのは、協力してくれているヤツがいるからだ。だから、俺が、ここで監禁さ
れてしまったら、その余波は、そいつに飛ぶんだよ。そいつまで組織の裏切り者にされて
、処分されることになったら、俺は、とてもじゃないが、まともでいられる自信はない。
・・・・だから、これ以上、俺を困らせるな。まだやるというなら、俺は金輪際、ここに
は来ない。」
どうしようか、と、悩んでいたら、すんなりと、「気晴らししてこい。」 と、携帯端
末を取り上げられた。二、三日なら、どうということはないが、一週間となると、定時連
絡とか居場所の特定とかを受けるから、携帯端末が必要になる。だが、以前、彼に発信機
を仕込まれてからは、ここには持ち込まないことにした。空港のロッカーを放り込んでお
いたのだ。
しかし、それだと期限は三日ぐらいが限界で、仕事の忙しい彼と過ごせるのも、一日か
二日ということになる。それに気付いたから、協力者は、携帯端末の処理をしてやると取
り上げたのだ。一緒に過ごしているというアリバイ作りをしてくれている協力者に、累が
及ぶなどあってはならない。
作品名:ぐらにる 流れ ぷんぷん 作家名:篠義