鉄の棺 石の骸番外11~類は友を呼ぶ~
3.
今までキャンパス内に漂っていた平穏は、子どもたちの笑いさざめく声で、いとも簡単に霧散してしまった。
男は、端末に向けていた視線を声のする方向にやった。フェンスの向こう側、青い制服の子どもが三人通り過ぎていくのがこちらのベンチからも見える。子どもたちが話している内容まではよく聞こえなかったが、何やらはしゃいでいるということだけは彼にもすぐ分かった。正直、とてもうるさい。
「あれは、デュエル・アカデミアの生徒だな……」
デュエル・アカデミアを、男はある程度知っている。アカデミアの卒業生の何人かが、この大学に進学してくるからだ。彼の受け持つゼミ生にも、アカデミア出身の学生がいたりする。
そう言えば、と男は思い返した。アカデミア出身の学生たちが、この街で行われる大会がとても楽しみだと話していたのを。直後、男が大会と試験の期日が重複しているのを告げると、一様に天国から地獄に突き落とされたような顔をしていた。その落差ぶりに男は思わず同情しかけたが、だからといって試験日を重複しない程度に全部ずらすのは、大学のスケジュール上不可能だ。
それでもあまり気の毒だったので、男はレポート試験の期日を、大会前日までに短縮してやった。日数にして丸々一週間分、締切日は今日だ。学生たちには鬼だ悪魔だとか散々言われたような気がするが、レポートのことを気にせずに大会に集中できた方が精神的に楽だろう、と彼は真面目に考えている。
学生たちの努力の結晶であろうレポートは、今彼の手の中にある。枚数は一人当たり原稿用紙五枚。コピペ防止ソフトには、すでに全員分かけ終わった。人のレポートやネット上から丸々コピペして楽をしようとする不届き者には、多少の小言と再提出が例外なく待っている。
彼としては、不自然に整ったレポートよりは、例え不格好でも学生自らの手で書いたレポートの方がありがたい。中身のないレポートほど読んでいて空しいものはないが、学生なりの考えがにじみ出ているようなレポートは、読んでいてとても面白い。充実したレポートを読むたびに、苦労して教えたかいがあったと、実感できるからだ。……まあ、その後の判定が優・良・可のどれかになるかは、一人ひとりの実力次第なのだが。
……子どもたちの騒ぎ声は、彼らがキャンパスから遠ざかるにつれて、段々と聞こえなくなっていく。そうして再び訪れた平穏。先ほどまであって当たり前だったはずのそれが、何故か今の彼には、どこか欠けているように感じられた。
男は、再び端末の画面に目を落とす。彼が数日前から読書のお供にし始めた、「モーメントと精神理論」。先ほどの騒がしさで読むのを中断していたが、本にして分厚い容量のそれも、そろそろ読み終わるころだった。
モーメント。数十年前に不動博士によって発見された「遊星粒子」を媒介とする永久機関。大量の燃料もいらず排気ガスも出さないそれは、当時としては画期的なエネルギーだった。ただ、遊星粒子に人の心を読み取るという性質がある為、機関の挙動が周囲の人間の精神状態に大きく左右され、場合によっては逆回転を起こして爆発するという最大の欠点があった。その欠点は、博士の子息である不動遊星によって解決策を見出され、結果、モーメントは現在でも主要なエネルギー機関として活躍している。
モーメントは不思議な機械だ。科学の粋を凝らして造り上げられたはずの機械が、人の心を読み取り、心の有り様そのままに作動する。科学とファンタジーの境目にあるそれが、自分たちにとっては紛れもなく現実だ。そんなミスマッチさに、彼は心惹かれている。
モーメント自体の原理は、専門分野が近しい分大体は理解できる。ただ、それでもいくつか疑問な点があった。モーメントは一体どのような機構で、人間の負の心の作用から防護されているのか。「フォーチュン」などの対策法はこの本にも載っているが、それの仕組みそのものがよく分からない。
「もう少し、モーメントについて詳しい本を探すか」
彼は、まず先にあらゆる手段を使って調べてみて、それでも解決できなければ専門の研究者に尋ねてみることにした。
昼休みも間もなく終了を迎えようとしている。男は手帳を開き、ちょこちょこと記録を書き連ねる。
『2xxx年xx月xx日。十二時四十四分。「モーメントと精神理論」読破。午後からは、レポートの採点と昨日の実験の続きに取りかかろう。人生は短く、無駄にはできない』
パタン、と手帳を閉じ、彼はベンチから立ち上がって研究室に歩を進めた。後に残るのは、ベンチに降り注ぐ穏やかな木漏れ日だけだ。
作品名:鉄の棺 石の骸番外11~類は友を呼ぶ~ 作家名:うるら