君に届け!
2.
仕事の終わる時間が遅いと聞いていたので、今日は食事は外で済ませた。たいていは静雄の部屋で、一緒に作って食べるのだが、夜まで仕事がある時はこんな風に外食したりもする。
帝人は料理は全く出来ないが、静雄は実は上手い。だから時々はちょっといいものを食べに行って、それを静雄があとで作ってくれることもあった。
世話好きで、料理が上手くて、おまけに見た目も標準以上だ。金髪にサングラス、バーテン服という格好だからぱっと見敬遠されがちだが、上背もあるし、なのに細身だし、雑誌のモデルの服をそのまま一式着せて歩いたら、きっとあちこちで携帯を向けられるんだろう。
きっと女性にももてそうなのに、こんな人に自分が告白するなんて無謀だとしか思えない。けれども、正臣と約束した以上ちゃんと言わなきゃ、と思い込んでしまう程度には帝人は真面目すぎた。
告白すると決めたものの、実際に静雄を目の前にするとなかなか言い出せない。必要以上に意識してしまって、だから帝人は、静雄もまたなにか言おうとしては躊躇していることに気付かなかった。
食事の間は、外だからまだ良かった。静雄の家に戻って一緒にプリンを食べた時も、まだいつもどおり振舞えた。けれどもなんだか妙に気まずくて、いつもならないはずの微妙な空気が漂っている気がして落ち着かない。
会話が続かず、これといってすることもなくて、2人はいつもよりやや距離を置いた位置で、並んでテレビを眺めていた。古い洋画が流れているが、当然内容などまったく頭に入ってこない。
(どうしよう、どうしよう、どうしよう…! 告白って、いったいいつ言えばいいの!?)
流れを読めとか、いい雰囲気になったらとか、散々アドバイスはされたけど、なにをどう読んだらいいのか、どれが『いい雰囲気』なのかがさっぱりわからないのだ。いつもならテレビを見ていても他愛ない会話が間に入るのに、なにを言えばいいかわからなくて、ひと言もない。
自分のことでいっぱいいっぱいの帝人は、静雄からも会話のない不自然さには気付けなかった。ただ、いつそれを言えばいいのかとそれに必死で、会話のないまま時間だけが過ぎていく。
「……っ」
ふと、画面の男女が抱擁を交わして、途端に濃厚なキスシーンへと切り替わった。軽い口付けから貪るようなキスへと変わり、そのまま絡み合うようにベッドに倒れこむのにどきりと心臓が跳ねる。
もともとラブシーンは得意ではない。それは静雄も同じだ。
そして意識しまくっている今、それは帝人には刺激が強すぎた。目に映るものだけではない、濡れたような水音や女性の口から漏れる小さな声が、五感を刺激してなんともいえない気分になる。
いたたまれなくなって、帝人は思わずリモコンへと手を伸ばした。ら、少しの差で伸ばされた静雄の手が、リモコンを掴んだ帝人の手の上からそれを握りこむ。
「……」
「……」
手を重ねたまま見つめ合うことしばし、静雄の顔が真っ赤になって唸るような勢いでその手が離された。帝人の顔も、負けじと真っ赤になっているはずだ。
「あああの、す、すいません…、て、テレビ、変え、って」
「いや、い、いや、悪かった! その、い、痛くなかったか!?」
「ぜ、全然です! い、痛く、とか、ないです! 全然!」
ぶんぶんと首を横に振ると、その勢いにちょっとだけ静雄の表情が緩んだ。そっか、と呟いて柔らかな笑みを浮かべるのに、思わず目を奪われる。
そばにいたい。ずっと、この顔を見ていたい。優しい笑みが、伸ばされる手が、自分を素通りして他の誰かに向けられるなんて嫌だ。
「…静雄さん、」
無意識に伸ばした手が、静雄の服に触れる。ん、と首を傾げて笑う顔を覗き込むと、なぜだか泣きたい気分になった。
「好き、です…」
必死の想いで、けれどもそれが顔に出ないよう懸命に堪えて、やっと、そのひと言を吐き出した。すそを掴むその手を離せないまま、もう一度小さく呟く。
「好きなんです…」
消え入りそうな声は、けれどもすぐそばにいる静雄にはちゃんと届いた。サングラスに覆われていない飴色の目が、大きく見開かれ、帝人を真っ直ぐ見つめている。
驚いた表情のまま、静雄はじっと帝人に視線を注いでいる。向けられる瞳から目をそらす事が出来なくて、わずかな反応も見落とすまいとして、帝人はただ答えを待ち続けた。
驚愕が微かな笑みに変わり、瞬時に困ったような表情へと変わる。また、照れたような笑みに変わって、―――その口がつむぐ言葉は、予想通り望んだものではなかった。
「ありがと、な。俺も、お前のことが好きだ。大事だと思ってる」
「……………」
望んでいた言葉と、同じ答え。けれども意味は違うのだと、表情でわかった。
一瞬見せた、困ったような表情。つまり静雄は、帝人の言った『好き』を正確に把握したのだ。把握した上で困って、気付かない振りをすることにした。恋愛感情ではなく親愛の情だと、そう取ることにしたのだろう。
完敗だ。そう思って、ちょっとだけ期待していた自分に気付いた。浅ましい自分。こんな自分はフラれて当然なんだろう。
「…ありがとうございます。僕も、その、…大事な友人だと、思ってます…」
掴んでいた手を離すと、ホッとしたような空気が感じられた。これでよかったのだろう、静雄は友人を失くさずに済み、帝人は、……いつか来るその日までは静雄のそばにいられる。
「あ、…っと、もうこんな時間だな。風呂入って寝るか?」
「…はい。いえ、…いいえ」
いつの間にかキスシーンは終わっていて、テレビでは主演女優が楽しそうに笑っている。静雄が敢えて話題を変えようとしてくれたことはわかっていたが、さすがにこの今の心境で、一緒に風呂に入る気にはなれなかった。
「すみません、今日ちょっと疲れてて…。朝入るんで、先に寝ちゃっていいですか?」
「え? ああ…、大丈夫か?」
「期末試験が近いんで、…寝不足気味なだけですよ」
「そっか。学生は大変だな」
ぐしゃぐしゃと、短い髪をかき混ぜる手つきは優しい。なんとか笑みを作って浮かべると、ホッとしたような顔で静雄が笑った。
着替えを持って浴室に消えるその背を見送って、帝人は置いてある寝巻きに着替えると布団に潜り込んだ。微かな水音が聞こえて、耳を澄ますようにその音に意識を集中させる。
…そうでもしていないと、泣いてしまいそうだと思った。静雄は敏い。だから、ここでは泣けない。
正臣の馬鹿、と心の中で罵倒して、帝人は閉じたまぶたの奥にある闇を見つめて考えることを放棄した。