君に届け!
4.
来良学園の終業式は金曜日で、3連休初日の土曜は帝人は1日家に引きこもっていた。もともとインドアな性質ではあるのだが、落ち込んでいる今、人の多い日にわざわざ出かける気にはなれなかったのだ。
早まって告白なんかしたりしていなければ、今頃は静雄の家で春休みを満喫していたのかもしれない。そう思う反面、早めに吹っ切れて、これでよかったんだと思ったりもした。そばにいる時間が長くなれば長くなるほど、想いは募っていく。
友達のまま、このままフェードアウトしていくのがいいのだろうと思う。静雄は帝人の気持ちをちゃんとわかっていて、だからだろう、距離を置こうとする帝人に敢えて踏み込んでくる気配はない。
あるいはそれが静雄の優しさなんだろうと思うが、だからといって気持ちは晴れなかった。正臣はしつこく「絶対勘違いだ」「ちゃんと確かめろ」などとけしかけてくるが、今の帝人にはその気力がない。
今日も朝からずっと、枕を抱えたまま布団の上でぐるぐると考え込んでは溜め息を吐いていた。これではいけないと思うのだが、我ながら驚くくらい、何もする気が起きないのだ。
それでも、明日は帝人の誕生日で正臣が杏里と朝から誕生日パーティをすると張り切ってくれてるから、それまでにはもう少し笑えるようになっておかなきゃ、と思う。思うのに身体は動かなくて、もう何度目になるかも覚えていない溜め息を溢した。
会いたい、と思う。けれども、会うのが怖くて外出も避けている。
八つ当たり気味に「正臣の馬鹿…」と呟くと、頭上で「ひでーなぁ」と声がした。
「…不法侵入」
「ちゃんと鍵開けて入ってきたろ」
「鍵渡した覚えがないんだけど」
「そりゃあ、お前が呆けてたんだ。一昨日、ちゃんと宣言して持って帰ったもーん」
そう言われればそうなのだろう。合鍵は冷蔵庫の中に入れてあって、正臣はそれを知っている。
けれども今は、なによりその能天気そうな軽い声が妙にイラついた。
「なにしに来たのさ」
「俺の、今後の人生の修正に」
「…ああ、一生ナンパしないんだっけ。どうでもいいけど、心底どうでもいいけど」
「こんな時でも毒舌は健全なのな。―――いいから支度しろって」
布団を剥がれて渋々起き上がると、畳んで置いてあった上着を渡された。まさかこの時間から外出する気かと思ったら、その通りだと正臣が頷く。
時計を見れば、8時半を大きく回っている。こんな時間に、いったいどこに連れて行こうというのか。
「メシ食いに行くんだよ、メシ。どうせ昨日も食ってねーんだろ」
「1日くらい抜いたって死なないよ、人間は」
「いーや、金曜の夜から食って無いと見たね。丸2日食わずにいると、お前の貧相な身体がますます骨と皮だけになっちまうだろ」
「余計なお世話って知ってる?」
「『世話を焼くならとことん焼け』ってことだろ。ほら、行くぞ」
こういう時の正臣には、なにを言っても無駄だ。
仕方なく立ち上がり、手を引かれるままのろのろと正臣のあとを着いていく。夜になってもにぎやかな繁華街を抜け、見慣れた店の暖簾をくぐると、威勢のいい声が帝人を出迎えてくれた。
「イラッシャイ、タイショー。コンバンワ、ナニスルネ」
「握り2つ! あと、茶碗蒸しも2つよろしく!」
「僕に選択権はないの?」
「奢りだからない」
そうなんだ、とやや驚きつつサイモンに案内されて、帝人はそこで目を瞠った。いちばん奥の席、座敷で寿司をつまんでいる先客に、知らず表情が硬くなる。
「えっ、…お前…」
「お、学生さんが、こんな時間に晩飯か?」
「こ、こんばんは…」
「そっちも今頃メシっすか? 奇遇っすねぇ」
嘘だ。絶対わざとだ。そう思って思わず正臣を睨むが、親友は知らん顔でにこにこと2人に話しかけている。
「あ、そっちお邪魔していいっすか?」
「おう、どーぞどーぞ」
「え?」
「ええっ!?」
どうやら、正臣だけじゃなくトムもグルらしい。静雄は違う。明らかに驚いている様子だ。
驚いてはいるが怒ってる様子はなさそうで、ホッと胸を撫で下ろす。最近避けていることに多分気付いているだろうから、気まずいことに変わりはないのだが。
「ほら、どっちに座るんだ?」
促されて、帝人は渋々静雄の隣に腰を下ろした。今はまだ、正面から静雄の顔を見る勇気がもてない。6人は座れる席だから、座布団の位置をずらして少し距離を開けて座ったのだが、静雄が痛そうな顔をしたことには気付かなかった。
「ひょっとして、仕事帰りっすか?」
「そうなのよー。学生さんは3連休か、いいねぇ」
「いやいや、春休みっすよー。なんで、引きこもってる親友連れ出して、メシ食いに来てみました」
「春休みかー。ますますいいねぇ」
「でしょ?」
楽しそうに会話する声を聞きながら、帝人はすぐそばにいる静雄が気になってどうにも落ち着かない。こっそり窺うように横目を流すと、同じようにこちらを見ていた静雄と目が合ってしまった。それだけで顔が熱くなって、前を向くことも出来ずにうつむいてしまう。
「あ、ほら、寿司きたぞ帝人! 俺のおごりだから、遠慮なく食え」
「う、うん…」
「2日も食ってないんだから、腹減ってんだろ!」
「え?」
「ちょ、正臣…!」
慌ててももう遅い。怖々顔を上げると、渋い顔をした静雄が帝人を睨んでいた。
「食ってないって?」
「…その、食欲なくて」
「じゃあ、これ食え。お前、海老好きだろ」
「いや、好きですけど、僕の方にもありますし、」
「食え」
食の細い帝人に、静雄はなにかにつけて色々食べさせようとする。静雄の皿に乗った海老を口元に突き出されて、仕方なく帝人はそれにかぶりついた。大き目のネタをなんとか収めると、もごもご口を動かす自分を見て静雄が嬉しそうに破顔する。
それがちょっと悔しくて、帝人は自分の皿に乗っていた玉子とイカを静雄のそれへと移した。見上げると、視線の先で静雄が複雑そうな表情を覗かせる。
「玉子、好きですよね」
「おう。…けどイカは、」
「大丈夫、ここのは固くないですから」
「……う」
静雄は、あまりイカが得意ではないらしい。子供の頃に食べたイカが固くてなかなか飲み込めなかったからだと聞いたことがあって、だからちょっとした意趣返しだ。
「じゃあ、鯛食え、鯛」
「静雄さんのがなくなるじゃないですか」
「だってお前、明らかに痩せてるぞ? この辺とか、肉減ってんじゃねぇか」
「ちょ、そこ、くすぐったいんですってば!」
腹や腰をつかまれて、逃げるように身を捩る。身体が薄いのは帝人のコンプレックスで、だから静雄はわざとやっているのだ。その手をかわしつつ、帝人はお返しとばかりに静雄の腹に手を添えた。固い感触、―――と思いきや、予想よりふにっとした手応えに驚く。
「柔らかい…」
「触んな、馬鹿」
「え、あれ? じゃあいつもは、ひょっとして力入れてるんですか?」
ふにふにと腹を押していると、不意にそれが固くなった。腹筋に力を入れているのだろう、固い弾力が指先を押し返す。静雄の腹を片手で押しつつ、もう片方の手は大腿に置いて自分の身体を支えていると、向かいからコホン、コホンと、わざとらしい咳払いが聞こえた。